第20話 帰ったらお習字ならいにいこっと

 ユウナギは今、調理場の隣の食堂にて座らされている。


 調理場からアヅミが食事を運んできた。それを食しながら彼女のことを尋ねる。


「私は幼少期から、間者として生きるための教育を施されました」


 丞相じょうしょうの一族に生まれついた女は、おおかた同族の男のつがいとなり、子を生む役目を持つ。

 だが中でも将来性を見込まれた女子は、政治的に暗躍するよう育てられるのだという。


 そのようなことを露も知らず、ユウナギは少なからず衝撃を受けた。


「物心ついた頃にはナツヒと共に、武芸の訓練で日々を過ごしておりました」

「気付かなかった。私もナツヒと一緒に弓の訓練を受けてたけど……」

「あのころ、彼はあなた様の倍は鍛錬しておりましたよ? 弓だけでも」


 ユウナギはなんとなく、知らなかった自分が恥ずかしくなる。


「私が必要とするものは武術だけではなかったので、あなた様を尾行したりもしました」

「全然知らなかった!」


 アヅミは淡々と昔話を続ける。


 10の時、間者の男女二人組と、この国の片隅に送られた。

 浮浪の家族を装い、豪族の屋敷に下働きとして入り込むことに成功する。


 12の時、周辺の豪族が一堂に会し、部下らに武術を競わせる宴が開かれた。

 そこで厳つい男たちがほこで打ち合うのを、アヅミは隅で眺めていた。


 他をなぎ倒し、立ち続けた男が勝者として名乗りを上げたその時、彼女は鉾を手に、大勢の見守る壇上に駆けあがり、男に仕合いを申し込んだのだった。


 周囲は沸いた。荒くれ男の中の勝者に、細い少女が臆面もなく挑んでいったのだから。


「結果として私は勝ちました。しかし相手も観客も、それを認めなかったのです。確かにおかしいでしょう? 体格も腕力も天と地の差だというのに。相手はわざと負けてやったと言い、周囲もそれで納得しました。そこでただ一人、ある豪族のおさだけが、私を面白がり正式に召し抱えると言い出しました」


「それが、あのあるじね? あなたの力を見出したのなら、有能な豪族よね。まぁ、間者を引き入れちゃってるけど」

「有能?」

 アヅミは嘲るような表情かおで聞き返した。


「とんでもないですわ。血統で長の座に就いただけの、なんの信条もない放蕩男でした」


 更にそしりを続ける。彼は領地の民のことを思わず、ただ淫蕩にふける暮らしを好む無能な男。その贅沢な暮らしのために、地位には執着するところがまた厄介だと。


「私は私の役目のため、彼の地位をより高めることに専心しました。うまくいくと、彼は私をより近くに置くようになりました。そして国の王も、彼を殊更に取り立てるようになったのです。しかし、すぐに大王おおきみと呼ばれる新しい統率者へと変わり……」


 アヅミはまた、上にあるじが気に入られるよう動いた。

 そうすれば、彼女がその統率者に取り入る機会もありえよう。


 そして今回の和議を、国からの要請で取りなしたのも彼女だ。


「現状は金印を差し出してでも、和睦を結んだ方がいいと判断したのでしょう、兄は。なのになぜ今、こんなことになっているのだか」


 憂うアヅミの隣で、ユウナギは兄という言葉をもって思い出した。


「もしかして……トバリ兄様とふみを交わしているのは、あなた?」


「文を交わす? そんな悠長なものではありませんけど……密書は交わしております。だって私、間者ですもの」


 ユウナギは口を開けたまま止まった。しかしすぐ彼女の肩を掴み、食い下がる。


「あの恋文は、あなただったのね??」

「恋文??」

「よもぎがどうとかっていう……」


「よもぎ? そういえば、だいぶ前にそんなことを書いたかしら」


 アヅミは、万が一のことを考え密書には暗号を使用すると話す。

 または重要な言葉を隠すために、とりとめのない文も混ぜるのだとか。


 ユウナギは脱力した。


「トバリ兄様が恋文をニヤニヤして読んでいたから、てっきり妻がいるのだと……」


「ニヤニヤ? 妻がいるかどうかは、私は知りませんが、彼は私の手跡が気に入りなのですよ」

「へ?」


 トバリはまさかの美麗手跡愛好家だった。


 言われてみれば思い当たるふしはある。また「美しいでしょう?」と言った時の彼の顔は、明らかにうっとりしていた。


「よもぎの話は多分、我が主の弱点を伝えたのですわ」

「弱点?」


「女狂いで、過ぎた嗜癖のある主ですが、奥方には弱い方なのです。妻は唯一人だけで……」


 妻からよもぎが文と共に届けられた時、彼はアヅミを含むすべての侍女を下げようとした。


 なので彼女は何事かと退室間際に見つめたら、彼は袖の下で、涙をこぼしていたというのだ。

 それも身体を振るわせて。


「よもぎの花は夫婦愛だもんね」

「え? ……とはいえ、主の弱点なんてわざわざ知らせるほどのこともなかったですわ。大王のそれを突き止められればいいのですけど。やはり大王ですらも、弱みは女性なのでしょうかね。さぁ食べ終わられた様なので、あなた様のお好きなものがたくさんある処へご案内いたしましょう」


 そう言って、アヅミはユウナギの手を取り連れて出た。



 階段を上る間、ふたりは続けて話をする。


「私の好きなもの? 何かなぁ、どこにあるの?」

「殿ですわ」

「え、主がいるんでしょ?」

「ですからちゃんと頬かむりをして、顔をお隠しになって」


 そこでユウナギが、聞きたかったことを思い出した。


「あなたとナツヒは顔立ちが似てる、でも異母兄妹なのよね」


「ささ、お気をつけくださいませ」

 4階の扉を開き、橋の上に出た。


 橋を渡りながら会話を続ける。

「父親の顔立ちとは違う……異母兄ナツヒと私が似ている理由。それは簡単な話で、私たちの母親が実の姉妹なのです」

「へぇ」

「母同士がそっくりで、私たちは母にそっくり。だからそっくり、なのですわ」

「なるほど」


 答えが分かってすっきりしたユウナギは、橋から下りて崖縁の方に歩き出した。


「あまりそちらには行かないで」

「こんな川に囲まれた区画にぎりぎりの屋敷を立てるなんて、斬新ね……」


 谷底の川や向こうの山を、目を大きく開いて眺める。


「あ、あ―……アヅミ、ちょっと川屋へ行ってきていい?」

 ユウナギは物怖じしながら聞いてみた。


「1階にいるうちに行っておけばよかったなぁ」

「でしたらお供いたします」

「ううん、それくらいひとりで大丈夫。頬かむりしっかり被っておくから」

 川屋もひとりで行けないのは、大人として恥ずかしいのだ。


「でしたら1階までは共に。そこから私も少し用を済ませてまいりますので、この場で待ち合わせいたしましょう。必ずこちらにお戻りくださいね。万が一何か起こり、ナツヒにバレたら私が面倒です」

 アヅミの本音が最後の一言に濃縮している。


 ふたりは階段で下に降り、いったん離れた。



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