第19話 鍵と錠前、男と女
「ナツヒ?」
「私は下がっていた方がいいかしら」
そう階段へ向かおうとしたアヅミをナツヒは止める。
「どうせ声は聞こえるだろ。そこにいればいい」
そしてまっすぐにユウナギを見て、憤り混じりの声を発した。
「今度ああいう場面に遭遇したら、何よりも自分の命を優先しろ」
「え?」
「あの、アヅミの
ユウナギは、ああやっぱり全部ナツヒに聞かれていて怒ってるんだ、と観念し、ばつが悪そうに弁解を始めるのだった。
「私がひとりでここを出れても、無事に国まで帰れる可能性は、ナツヒよりずっと低いし……。なにより私は、弱くてずるくて……怖いことから逃げて、ひとに押し付けてしまう。ごめん!」
「は?」
「でも、どうしても嫌なものは嫌。ナツヒが魚の餌になるのは嫌」
ここで頑なな視線を彼に返した。
「魚の餌って。お前を死なせて俺がおめおめと国に帰っても、魚の餌になる結末だぞ」
「
「いや、する。兄上だって、する」
「そ、そう?」
ナツヒは深く溜め息をつく。
「とにかく、お前は全力で自分が生き残ることを考えろ。もうダメだってなっても、一瞬でも長く生きろ、俺が助ける可能性を伸ばすために。……俺は死なないから」
「砂袋になっても?」
「なっても」
「分かった、私が生き残る方を選ぶ……。でも、もう……こんな二択は嫌だよ。もう2度と、考えたくもない!」
「…………」
涙がこぼれないようにひたすら目に力を入れるユウナギを前に、ナツヒはアヅミへ、女じゃなかったらタコ殴りにしてやる、という視線を牢内から送った。
アヅミは決まりが悪くてそれを無視した。
悪趣味だったと認めているので目を逸らしはしたが、自分だってすぐ止めなかったくせに、と思ったようだ。
話も終わり、アヅミは懐から何やらを取り出して扉に差した。そうしたら扉が開き、彼女はユウナギの手を引いた。
牢から出たユウナギは、その場で彼女に尋ねる。
「ねぇ待って。これ何?」
さきほど牢内から触った、扉に付属している分厚い板を指さす。
「これは、錠前です。扉や
「からくり?」
ナツヒも牢内から説明を聞く。
牢の外から見ると、錠前という名の板は扉に2つ付いている。そしてそれらはいくつかの穴を持つ。
「これが対になる“鍵”というものです」
言いながらアヅミは懐にしまった棒のような物を2本、再度取り出して見せた。
「この板の中に針が入っていて、それを、この鍵を差して動かすと、仕組みを作動させることができるのです。その仕組みで、扉や蓋が開かないように、または開くようにできるのですわ」
「それで見張りは要らなくなるのね」
アヅミは錠前の真ん中を指さした。
「この錠前は使用者が、この10箇の穴のうち、ひとつを選んで仕掛けることができます」
「ん?」
「たとえばこの、上の錠前は、左から2つ目の穴に仕込まれていたので、そこに鍵を差さないと作動しません。鍵を差して閉めた人物、ここが正解だと知る人物しか開けられないということです」
「その鍵を持っているだけじゃだめなんだ?」
「そう。この館には錠前のある扉も多いです。この牢は見ての通り、ふたつの錠前が付いている。これは同時に、かつ、ふたつの正解の穴だけに差さないと、開かないようになっています」
「ってことは最大100回試せば開けられるってことだな」
ナツヒも理解した。
「鍵自体は侍従の集う部屋にいくらか置いてあるので、ふたつの錠前くらいなら試行すればいいでしょう。この館には最大4つの錠前を構える何かもありますわ」
「閉めた本人以外は、絶対に開けられないようにする扉、ね?」
ユウナギは錠前を、旺盛な好奇心でもってじろじろと眺める。
「鍵と錠前、男と女みたいで心が弾みませんか?」
そんな彼女の耳元で、アヅミが突如ささやいた。
「え?」
「愛しい人に正解を、
「いいからもう行け! こいつに何か力のつくもの食わせてやってくれ」
欲しい情報は得たので、ナツヒは彼女を急かした。
「ナツヒは何、ユウナギ様の父親か何か? ……なら、鍵は掛けずに行くけど、頃合いを見て私が迎えに来るから大人しく待ってなさい」
アヅミはナツヒに対して、鼻であしらうような態度をとる。多分これが一般的な兄妹なのだろう。
そしてナツヒが妹をいかに信頼しているか、ユウナギには納得できた。
ユウナギは彼を一度見つめて、アヅミに連れられ地上へと出た。
「ここから衣類庫までは他者に見つかったら面倒なので、手縄を掛けさせてくださいね。1階なので、すぐですから」
アヅミの胸元から縄が出てくる。いろいろ入ってるんだなとユウナギは思った。
「それで、頭の方は働き始めましたか?」
目的地に着くまでふたりは、そのような当たり障りないことをひそひそと話す。
「具合はだいぶ良くなったけど、まだ戸惑いの最中よ。あなたのこととか……新報も急に入ってくるし」
「そうですか……さきほどの罪滅ぼしに、私の知る情報を差し上げますわ。ここからすぐ逃げるなら、そう必要のないことかもしれませんが。ただ、いつ逃げられるか分からないですものね」
ふたりは屋敷の角に来た。人ひとりが通れるほどの出口がある。
外に見えるのは川、その向こうに森。この屋敷は3方向が、数歩離れると川である。
「ここ東南の角の出口から、屋敷に沿って貼られたそこの板の上を進むと、川屋があります。のぞいてみてください」
のぞくと足元の板は右手に伸び、屋敷の西南側角の手前辺り、川の浅瀬に簡素な小屋を見た。
「この出口より少し戻って隣が衣類庫です。侍女らが出入りするので鍵は掛かっていません。さぁお入りになって」
中では木の棚に、大量の布地が積み上げられていた。
ユウナギの手縄をほどいて懐にしまったアヅミは、そのうちの2枚を取り上げユウナギに被せる。
「これが侍女の衣服です。いつでも脱いで捨てていけるように、今の服の上に被っておきましょう。重くなりますけど、
と言いながら仕立てた。
仕立てられながらユウナギも尋ねる。
「この屋敷は一体どうなってるの? 見たこともない様式……錠前のような、国ではありえない道具とか」
「ではこの館について、私の知るところをお話ししましょう。多分、興味深いことかと」
アヅミはユウナギに頬かむりも被せてみた。
「これはおよそ二百年前に、渡来人らによって建てられた館です。海の向こうの大国の、更に向こうの大国の、進んだ文明を持つ人々の奇知が詰まった屋敷なのだそうです」
「二百年前といえば、我が国が成り立つ前だけど。そんな頃に、ひっそりと建てられた館?」
「彼らは3人の屈強な戦士とその親族らでした。みなで暮らすためにこの大きな屋敷を、力を合わせて建設した。しばらくは近隣の者ともうまくやっていた……。しかしこの国の王がこれを支配下に置こうとした頃には、もうその子孫は存在していなかったということです」
「なら、戦にはならなかったのね」
「近隣の者の語り草ではそのようですわね。そして居城だけが残された。それ以降は、王がここを保持していました。さて、ナツヒに食事をと言われたので、調理場へ行きましょうか」
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