第17話 獄中にて。  ~えっと、トイレはどうすれば?

「ナツヒ……」

 扉を閉める彼の姿をとらえたユウナギの瞳は、安堵の涙でにじむ。


「ナツヒが無事で良かった」

 思いがけず素直な言葉を返されて、ナツヒは少したじろいだ。

 しかし、それどころではない。


「頭は大丈夫なんだな? あの女から話は聞いたか?」

「……うん。いったい……何が何だか」


「多分ここは、俺たちの時よりしばらく先の世だ。知らないことだらけでも仕方ない。和議どうこう言われても、俺たちにはまるで材料がない」

「それなら……?」

「逃げるしか……」


 しかしふたりには懸念がある。ただ逃げるだけでいいのか。

 彼らはこちらを使者だと認めているのだろう。

 のこのこ手ぶらでやってきて、何もせず逃亡しました、ということになるのでは。

 そもそも信じられない話だ。たばかられているのだろうか。


「まぁ、逃げるとしたら、まずこの館をうまく出ないとね」


「警備兵もそういないし、普段なら無理じゃない。しかし俺は手持ちを失くした、見つかったら素手で戦わなくてはならない。お前、身体は動くのか?」


 ユウナギは首を横に振った。


「そうか。ところでさ。俺、真夜中にこの館を探索したんだが……」

「えっ」

「夜中に寝室を出て歩き回った。松明たいまつないからろくな成果は得られなかったけどな」

 なんて無謀なことを、とユウナギは絶句する。


「この屋敷は建築方式が俺たちのと違う。上に伸びた屋敷だ。ここはずいぶん高い。窓を覗いてみろ」


 そう言いながらナツヒはユウナギを起こした。


 ユウナギも自分で立とうとしたが、伏せっていたせいかよろけたので、ナツヒが彼女を抱き上げ窓際まで連れて行った。


「うわぁ……高い! 私浮いてる? 浮いてる??」

「確かにお前今、自分で立ってないけど。ここは4階だ」


 近くを流れる川、屋敷を囲む森、その向こうには平地が広がり、遠くには集落のような土地も見える。

「やぐらより……御母様の高殿よりずっと高いわ」

「この地土着どちゃくの豪族が作った屋敷とは思えないな。あまりに違う」

 そこでふたりは扉の開く音を聞いた。


「あら、お供の方、いらしていたの? ご主人がどの室でお休みになっているか、お教えしませんでしたのに。素晴らしい嗅覚をお持ちですのね」


 ナツヒと女官アヅの間を流れる張り詰めた空気に、ユウナギは少し怯み、抱えられている自分も妙に恥ずかしいのでナツヒから降りた。

「あの……」

あるじがお会いになるそうです。今からご案内いたしますわ」


 それを聞き、ふたりは動揺を隠せない。


「事情は伝えてありますので。そう怯えないでくださいませ」


 侍女数名が入室し、ふたりを後ろから促した。


 仕方なくそこを出て、アヅの後を付いていく。


 廊下を曲がり更に進み、右の扉を彼女が開いたら、そこには橋が掛かっており、その先、北側には崖の上に建つ殿があった。


 橋の欄干に手を置き下を眺めると、崖と今までいた4階建ての屋敷の周りは、囲むように川が流れており、崖と屋敷の間もその分流が流れる。


 川を挟んで屋敷の向こう、西側は山となっている。


「山から流れるこの川、流れは急ではないのですけど、淵はなかなかの深さだと言われています」

「川が館を守っているのね……」


 橋を渡りながら、アヅは語り続ける。


「屋敷の4階と崖の上の殿が同じ高さです。ここ、殿の手前は少し広くなっていますが、崖縁には柵もありませんので、お気を付けくださいね」


 アヅが殿の扉を開けた。中は簡素な広い応接間だ。


 奥の檀上に男が一人座っており、隅に警備兵と侍女が数名待機している。

 アズはふたりをその、あるじの面前へと促した。


 殿の奥行きはそれほど広くない。横に広く、両端に扉が見えるのでどちらにも部屋があるのだろう。

 あちらの屋敷は木造りだったが、こちらは石造りの建物のようだ。


 アヅが主に礼をして横にけ、ユウナギがその男に対面した時、彼は立ち上がって言った。

「よくぞいらした、敵国の王女。我は地方豪族のおさ、スカラべトラモチ。この国を支配する大王おおきみの一補佐官だ」


 背は高いが若干細身の、陰気な面持ちの男だった。

 眼差しがまるで蛇のようだと感じた。この人が一族や民をまとめる統率者なのか、とユウナギは釈然としない。それに加え、こんな陰湿な雰囲気をまとう男が、アヅのような華やかな美女を隣に置いていることに多大な違和感がある。


「お、お初にお目にかかります……。ユウナギと申します……。このたびは……和睦なんかを取り付けてこいと言われ……??」


 ユウナギは目線が斜め下にいっていた。このような機会はもちろん初めてなので、作法が全く分からない。


 ナツヒは、アヅが噴き出すのをこらえた瞬間を見逃さなかった。


「……ですが、あなたも元来この地の豪族ならご存じのはずです! 私たちとは少し前まで敵同士でもなんでもなかった。あなたの国がその大王とやらに、取り込まれてしまったから……」


 手ぶらのくせに、ユウナギは偉そうに言ってしまった。


「貴国だとて近々取り込まれれば、西の国々にそう責められるだろうなあ」


 そう男はつまらなさそうにつぶやいたが、ユウナギにはよく聞こえなかった。


 その時、殿に警備兵がふたり入室し、主に報告を始めた。それをかたわらで聞いたアヅは顔色を変える。


「……訪問者が王女であることを証明する書状を持った人間が、屋敷に到着したそうだ」

「!?」

「となると貴様らは何者だ? まぁ良い。牢にでも繋いでおけ」


 主は警備兵に命じ、ユウナギはそれらに身体を押さえつけられ、手首を縄できつく縛られた。茫然自失の中ナツヒの方を振り向いたが、丸腰の彼もやはり唖然として、無抵抗で捕らえられている。


 殿から乱暴に追い出される時、ナツヒはアヅの表情を再度確認していた。




 兵によって連れてこられたところは、屋敷の地下。

 地下階が存在するこの屋敷、実は5階建てだ。


 その暗い地下に着いたら左手側には、縦に並ぶ2室の牢。手縄を解かれ、ふたりはまとめて手前の牢に蹴り入れられた。


 ユウナギは反射的に木の格子を両手で握ったが、兵らはすぐ行ってしまい、何も訴えることはできなかった。扉は固く、まるで格子と同一化したように動かない。


 監視人がいないうちに扉を壊さなくてはと思うが、まだ身体に力が入らず、どうにも無気力になってしまう。


「牢に閉じ込められたのなんて初めて……」

「俺もだな」

 棒立ちのユウナギとは対照的に、座り込み身体を搔いているナツヒには、なぜだか慌てる様子がない。


「ねぇ、この状況……川屋行きたい時どうするの!?」

「お前の一大事はそれか? 隅に瓶が転がってるだろ」

 ナツヒの指さす、薄暗い隅の方のそれを見て、彼女は青くなった。


「あなたもいるところでぇ!??」

 頭を抱えるユウナギに、ナツヒは呆れ顔。


「それどころじゃないだろ。俺らどうやらただの賊だ、待っても処刑どころか、上から川に投げ捨てられて終わる」


 彼女は一層真っ青になったが、そこで腑に落ちない思いを吐き出す。


「ナツヒ……なんでここまで連れてこられる間に、抵抗しなかったの? なんでそんなに落ち着いてるの?」


 ここまでの間、ずっとナツヒを気にして見ていた。彼がこんなところで大人しく、されるがままのはずはないのに。


「実はさ、俺……今、すこぶる眠い」

「は??」


「疲れたから、しばらく寝るわ。用足すなら俺が寝てる間にしとけよ」

と言ったが最後、彼は即座に寝てしまった。


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