第16話 頭打って失神してたらデキる美女に拾われた件

 その声の人物は、ユウナギの隣に寄り添い、額に軽く手を乗せた。


「いましばらく横になったままで、夜明けをお待ちください。ほら、空に明けの明星ですよ。美しいでしょう?」


 確かに美しい。美しさに酔うせいか、自分の身体が宙に浮く心地でいる。

 ふたりは何も言葉を交わさず、ただ明星を見つめていた。



 その沈黙を破ったのは、女の柔らかな声だった。


「昨夕あなたを診た医師の言では、命に別条はないとのこと、安心いたしました。頭の出血も少量で済んだようです」


「出血……? ここは、どこ? 私は、どうして……」


 ユウナギにはまだ起き上がる力がない。


「ここは、あなたの国の北東部よりすぐ隣の地に建つ館。あなたは大王おおきみの治める我が国との和睦のため、ご足労いただいたのですよ」


「和睦……? 何のこと? あなたは私を知ってるの?」


「困りましたわね。大事なことを忘れてしまったの? しばらく休んでいれば、思い出すかしら?」


 彼女の声の雰囲気からすると、本当に困っているようだ。


 その時、夜が明け窓から光が差した。

 光を頼り、ユウナギは彼女の顔を見る。


 白い肌に長いまつげ。印象深い、力強いまなざし。


 自分と年ごろは変わらないだろうに、その、息を飲むほどの妖艶さは、対外用に施された化粧ゆえだろうか。

 ユウナギはほぉっと感動し、まじまじと彼女を見つめてみたら、なぜか親しみのある面立ちでもある。


 ずっと前から知っている人のような気もする、ふしぎな女人にょにんだ。


「あなたは誰? ……怪我した私を、助けてくれたの?」


 だんだん頭のもやが晴れてきた。分からないことだらけだと実感が湧いてくる。


「私はこの地方の豪族スカラベ氏がおさ、トラモチの舎人しゃじん、アヅと申します」


 ユウナギが一刻も早く知りたいだろうことを、女官アヅは説明し始めた。


 彼女はたまたまユウナギを助けたのではない。


 このたび王女と彼女のあるじにより、この地で和議が結ばれることになっていた。だから館で待ちわびていたら、警備兵が近所で倒れている者を発見したと報告に来た。

 よってそのふたりを収容した、ということだった。


 そこでユウナギはナツヒのことを思い出し、起き上がろうとして。


「いっ、痛……」

「無理はなさらないで。お供の方は別室で休まれています」

「ナツヒは無事なの!?」


 彼女はゆっくりユウナギを横たえ、彼がユウナギより早く目覚め、身体の具合もそう悪くないことを話した。

 しかし彼も同様に、何もかもが分からない、という状態だと。


「私どもにとっても、まったくおかしなことです。このあたりには山や森の向こうに暮らす民がおりますが、あなた方の倒れていたところはこの館の敷地内です。いったい誰に襲われましたの? ……なんて聞いても致し方ないですわね。敷地内に曲者が侵入していたとしたら、こちらの不手際でもあります」


 そして彼女は憂いの表情を浮かべる。


「あなた方のまわりにお手荷物は見られなかった。和議に必要な、大切なものをお持ちになっていたはずなのに。賊に奪われたのかしら……もし見つからなければ交渉は決裂してしまう」

 急に彼女の表情は険しくなった。


「あの、和議、と言われても……。何のことだか……」

「思い出せません? あなたはそのために、ここまでいらしたのに?」


 彼女はあくまで、そちらの国からの申し出だ、と強調する。


 和を結び、不可侵の約束を取り交わすこと。


 その証として国の宝、かつての国より賜った金印を譲渡する、またその代わりに、こちらも望むものを頂く、と女王の責を持って書状を交わし、この運びとなったと。


「金印を!? そんな……」


 それは代々護られてきた国の宝だ、丞相じょうしょうが安易に和議交渉の餌にするとは思えない。


「それに、どうして私が……」

「それもあなたの方からの提案でしょう」


 王女を使者として送る代わりに、戦力の介入を互いにまったく許さず、和議にあたるよう願い出たようだ。


「私どもの国は、大王おおきみの住まう都が遠く東に位置するので……」

「国からすぐの土地で、と便宜を図ってくれたのね」


「大王より私のあるじが代理の命を受けました。側近は互いにひとりのみ帯同を許され、ここまでの護送兵は館前の、森の中に建つ兵舎で待機しています」

「側近……あなたと、ナツヒ?」

 うなずいて彼女はさらに続ける。


「この館内には最低限の侍女と警備兵しかおりません。そして王女は金印の他に、王女たることを証明する書状を、女王より持たされているはずです」


 そこまで聞いたユウナギは、各所に違和感を覚えた。


 それを察したアヅが、にわかには信じられないでしょうがと前置きし、言い立てる。


「2年近く前、この地を手中に収めた大王おおきみは、いまだ戦力の立て直しが未完了ゆえ、和議に応じることをお決めになったのです。もう少し遅ければ、そもそもがなかった話かもしれません。あなたの国にとってはまたとない好機だと思いませんか? 私やこの地の民としましても、むやみに血を流すことなく時を過ごせれば、それ以上の果報はありません」


 彼女のつらつらと並べる言葉を、ただ大人しく耳にしていたユウナギに、引っ掛かったままの言葉があった。


「2年前……?? えっと、あなたの主は元からこの地の豪族だったの? それとも大王と共に北から来たの?」


「2年前までは以前の国王の元に付いていました。その王は戦に負け刑に処されましたが、我が主はうまく立ち回り大王の臣下に収まりました。この領地はそのまま据え置かれたのですよ」

 そう話す彼女は得意げに見えた。


 そしてすっくと立ち上がり。


「私、今から主に進言いたしますわ。例の品がみつからなければ和議には至りませんが、対面くらいは済ませておいた方が円滑に事が進むかと。無くされたお手荷物は兵が今、屋敷周辺を探しておりますので。まだしばらくお休みになっていてください」


 そう言い残して、扉の向こうに消えた。



 ユウナギは、まだ実感が得られていない。


 こんな大それたことを、丞相じょうしょうや兄が自分に任せるはずがない。なにか理由があるはずだ。

 だいたい、記憶が曖昧とはいえ、そんな話は何一つ知らない。


 ただ彼女は言った。この地を北からの勢力が獲ったのは、2年近く前だと。


 自分のなけなしの記憶が正しければ、そんな前ではない。


 隣国がいよいよと聞いたのは、コツバメがそばにいた時。それから半年たったかどうかというところなのに。


 まさかまた時を超え、ゆかりのないところに来てしまった、ということか?


 とにかく、何も分からない。それなら早くナツヒを連れて逃げるべきか。

 どこへ逃げればいい? 現状、自分の身体が満足に動く気もしないのに。


 ナツヒはどこにいるのだろう。心細さが込み上げる……。


 その時、扉が開いた。


「無事か? ユウナギ」


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