第11話 それは死者が示す道標

 ユウナギは、責任ある大人としての道が始まったばかりの青年に、こんなごうを背負わせるようなことを神はなさるのかと、悔しくなった。


 それを紛らわせたくて彼の妻とのなれそめを聞いてみた。


「彼女は近くに住む幼馴染だった。とはいえ彼女の家の方がよほど裕福でね。子どもの頃は気付かなかったが、気楽につるむような立場ではなかったかもしれない」


 子どもながらに、彼女の他者の目を気にしないおおらかな人柄を尊敬していたようだ。


 それでもその時点では、ただ仲間のひとりだった。



 美しく成長した彼女は、その評判が隣のむらにまで広がり、役人の第5夫人にと望まれるようになる。


 彼女の親族らは、その邑の大きな一族と関りを持てると喜んだ。


「その雰囲気の中、僕も彼女に「良かったな、おめでとう」と言ってしまったんだ」


 それから彼はどうしようもない寂しさに襲われた。

 彼女が地元を離れ、その家に入るという事実が受け入れられない。自問自答を繰り返す日々。


 わがまま以外のなにものでもないが、どうせもう会えないのであれば、これをただ声にしたいと思いつめた。


「隣むらへ嫁ぐという前夜、僕は彼女のひとり過ごす小屋まで走っていった。そして彼女に言ったんだ。どこにも行くな、僕のところに来てくれ! 貧乏で何もないけれど、永遠に君だけを大切に想うから、って。彼女はそれを喜んで受け入れてくれた」


 婚礼を直前で断ることになり、彼女の親族にはもちろん厳しく咎められた。


 しばらくは住民とも気まずくなり孤立した時期もあったが、夫婦でまじめに暮らしていく中で、なんとか認めてもらえるようになる。

 そして子を授かり、やはり貧しい暮らしではあるが幸せな日々の中にいた。


「すてきな話……」


「でもね、息絶えた彼女を見つめて思ったんだ。僕と一緒にならないで、隣の邑に行っていたら、こんなふうに死んでいくこともなかった。息子だって生まれてこなければ……」


「ううん、そんなふうに思うことない」


 刹那の間、そこは静まり返った。ナツヒの寝息が小さく聞こえている。


「今更そんなこと言ったって、どうしようもないもん」

「そうだけど……」


「必ず犯人を見つけ出して、償わせて、ふたりの墓前に報告しましょう」


「そうだ。それまでは死ねない」


 苦しいかもしれないがそれが今、彼の命を繋ぐ理由になるのなら、ユウナギは全力で協力したいと思った。


「君と彼も幼馴染? ふたりで旅なんて、もしかして良い仲なのかい?」

 彼はそう言って熟睡しているナツヒを指さす。


「幼馴染だけど……そういうのじゃないわ。私には他に想い人がいて、片思いなの」


 そうユウナギが寂しそうな表情を見せても、男性ならではなのか、彼から気の利いた返事はなかった。


「さぁ寝ましょ」


 先ほどは、彼にできる限り力を貸すと迷いはなかった。


 しかし兄のことを思い出した今、いくらかの不安が芽生えたのだった。本当に自分たちが神に隠されたなら、彼は今頃心配しているだろう。

 いますぐ馬車で中央に帰ったとしても、門限は守れない。捜索が始まってしまうかもしれない。

 夜が明けたら一刻も早く帰った方がいいのだろうか。


 そんなことを考えあぐねていたのだが、さすがにこの日も疲れていて入眠してしまった。



 翌朝、男は仕事仲間に呼ばれ、慌てて家を出ていった。


「……いったん中央に帰るか?」


 家屋戸口の段差に腰かけているナツヒが、ユウナギの迷いを察したのか、そう問いかけた。


 入口から朝日が差し込み、まぶしい。


「でも……彼をそのままに残していくのは」


 まだ撤退する勇気はない。


「進展もないのに、ここにいるだけでも不毛だ。むしろ中央の強権きょうけん使って犯人を挙げる方が、可能性がある」


「強権で脅しても真実が得られるとは限らないわ」


 ユウナギは子どもながらに感じていた。丞相じょうしょうが民に対し、度の超えた権力を振りかざさないという信条を胸に、政務に骨を折っていることを。それは一族に代々受け継がれている心根のようで、そういった為政者だからこの国の、少なくとも内政はうまくいっているのだと思う。


 ユウナギが意固地になりそうで、ナツヒは話題を逸らした。


「なんか変なんだよな、一昨日から思ってたんだけど」


「変?」

「あの農作物」


 入口から小さく畑が見える。この国ではよく目にする類の作物だ。


「先日どの地域もすべて刈り終わったはずなのに、今まさに収穫直前のいい熟れ具合だ」


「……確かに変だけど……」

 それは今重要なことだろうか、とユウナギは訝しんだ。


「とにかくここにいてもさ。お前はそのかめの薬を手に入れるために出かけたんだろ」

 そう言って彼は瓶を指さす。


「そうだけど……」

「で、結局それは一体何なんだ?」

「もう。道中で話したでしょ。死者の行く道を示す薬よ。これがあれば黄泉の国を発見できるかも!」

 ユウナギは甕を抱きしめた。


「……もしかして、だからこの甕を持った私を、神は彼の元に寄越したの?」


「俺は女王の力は信じるけど、死者が形を成す国の存在なんて、さすがに信じられねえ。そんな国があるなら、あいつは川に飛び込んで流されりゃ妻子に会える」


「会うだけじゃなくて! 黄泉の国から連れて帰ってこれるのかも!」


「んなわけない」

「だって兄様が言ったんだもん!!」

「お前いつもそれだな! だいたいそれ、兄上通した又聞きだろ。あの魔術師はそんなこと一言も言ってなかったぞ」


 そういえば兄様から聞いた話にだいぶ色を付けてしまった気もする、とユウナギはいったん落ち着いて思い出そうとした。


「それを言ったのは魔術師の住処を教えてくれた商人よ。彼がいくさ跡地でぶちまけたら、辺りが光りだしたって」


「よくそんな処でぶちまけたな。その場には死体やら血まみれの武器やらが、ごろごろ転がってただろうに」


「死体……血……」


 そこでユウナギは思った、なぜ兄様はその話をしたのだろう、と。あの時、ずいぶん唐突だったような気がする。


「あれは私が衣類に付いた血を洗い流していて……全部流して見えなくなった時……」


 ユウナギは甕を抱えて立ち上がった。


「なんだ?」


「私は特別な力なんて持ってないけど……コツバメが言っていた勘っていうの……きっと誰にでもあるの、あの子ほど強くはなくても」

「うん?」


「今は自分の勘も、兄様の“なんとなく”も、信じるしかない。神が私をここに遣わした理由も……」


 その目線で、ナツヒももうひとつの甕を持って付いてきて! と命令した。




**


 ふたりはまた3つのむらを順に訪れ、荷車庫をまわる。


「これを荷車の後輪に掛ければいいんだな?」

「薬に限りがあるから慎重にね」

 民家でもらってきたさじをナツヒに手渡した。


「じゃあ入口は全部閉めた方がいい」

「なんで?」

「闇の中でないと光は生まれないだろ」


 だいぶ時間を費やしたが、ふたつの邑の、いくつもの荷車で試してみても何も起こらなかった。3つ目のむらでもやはり同じだ。


 ふたりは商人の口車に乗せられたかなと落胆気味に、最後の荷車の元に来た。


 ナツヒが戸を締め切ったのを確認し、ユウナギは、これが最後の車輪……と疲れでぼんやりしつつも、匙に乗せた薬をふりかける。


「!!!」


 その瞬間、彼女の疲れ切った脳天に張る幕に、青白い光が映し出されたのだ。


「ナツヒ……」


 呼ばれて振り向いたナツヒの瞳にも、確かにそれは灯る。


「光ってる……。これが死者の示した道標みちしるべ!」


 薬はもうほんの少ししか、残っていなかった。


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