第10話 引き裂かれた家族

 ナツヒも確かに一瞬、自分の身体が浮き、強風に激しく吹き飛ばされるような感覚を覚えた。

 だから目を閉じた。


 その瞬きの間に何があったのだろう。


 次に視界に入ってきたその場は、田畑の広がる平地だ。

 うっそうとした木々の中を歩いていたはずなのに、これはいったいどうしたことか。


 そしてユウナギはすぼめた肩で彼の胸にしがみついている。


「おい、大丈夫か?」


 肩をゆすられユウナギは抱きついたまま、恐る恐る目を開け、彼の顔を見上げた。


「大丈夫……」

「……」

 涙目になっている彼女の顔を身近にして、ナツヒは慌てて彼女を自分から引っぺがすのだった。


「ん? ……あれ?」

 剥がされて視界が広くなったユウナギも、その異変に気付いた。

「ここは……?」


 しばらくふたりは無言を貫いた。呆けてしまったというのが正しいだろう。


 山間にいたはずが、近くに川が流れ向こうには林、小さく住居も見えるのだ。



 その時、人の声が聞こえた。その方へ振り向くと、橋の上に人影がある。


 その影はふたり組で、誰か――誰か――! と片方が呼び声を上げていた。どうやら男が川に飛び込もうとしていて、それをもうひとりが止めようとしている。


 まわりには誰もいない。それが判明したのでナツヒは足早に駆けていった。


 そして飛び込もうとしている男に掴みかかり、そのみぞおちに一撃くらわせたのだった。


「あわわ~~……」

 ユウナギはその思い切りの良さに、少々他人のフリをしたくなった。



 その後、意識を失って倒れた男をもうひとりの邑人むらびとが背負おうとしたので、ふたりは手助けし礼を言われる。


 ユウナギはいきなり暴力を振るう、見ず知らずの人間に礼を言うなんて、本気でこの意識不明の若者は川に飛び込もうとしていたのかと知るのだった。


 そこで邑人がふたりに尋ねる。

「あんたら、見かけない顔だが……」

「俺たちは旅の者だ」


 ナツヒが間髪を入れず答えた。ユウナギはたぶん彼が話した方がいいのだろうと自重した。


「俺たち、今夜泊まるところを探しているんだが」

「……とりあえずついてきなよ」


 こういうわけで、邑人むらびとの話を聞きながら集落へと向かうことに。


 邑人むらびとの言うには、彼はこのノビている男の隣人で、男は事故で妻子を亡くしたばかりなのだと。


 そしてその事故を引き起こした人物の正体も分からず、自暴自棄になり、今死のうとしていたという話だ。

 そこで、まだ男はとても目を離せる状態ではないので、彼の、妻子と3人で暮らしていた家で共に雑魚寝をしないかとふたり誘われる。


 ユウナギは、そうしよう! とナツヒに目で合図を送った。



 ちょうど住居に到着したが、それは本当に小さな家屋だった。夫婦がふたり身を寄せ暮らし、そこに生まれたばかりの子どもが飛び入り参加したような空想を抱く空間であった。


 すでに辺りは暗い。邑人むらびとは家に入ったらばさっと男を転がして、自分はイグサの織物をかぶりすぐに寝てしまった。

 ふたりも背負っている台を置き、空いているところに腰を落ちつかせ休むことに。


「これからどうすればいいの……」

「とりあえずさ、住民の前では一時滞在の旅人を装うことにしよう」

 それは嘘ではないのだし。


「彼らの暮らしに一時溶け込ませてもらうってこと?」

「ああ、そういう“てい”でこの状況を調べるしか、今は方法がない」


「中央に無事帰れるかしら……」

「考えて不安になったところで仕方ないだろ。さ、寝よう」

 ユウナギがうなずいた時には、ナツヒはもう横になっていた。



 翌朝、最後に目を覚ましたのはこの住居の主、昨夜入水しようとしていた男だ。

 隣人は彼にふたりのことを軽く話し、そのまま畑仕事に行ってしまった。


 そこには気まずい空気が流れる。ナツヒは人助けのつもりで一発くらわせたのだが、本人は死にたがっていたのだ。


 ここは自分が話した方がいいかと感じたユウナギは男に、良ければ身の上を話して欲しいと言った。

 昨夜、隣人から少し話を聞いたので、力になれればと。なんせこちらには体力腕力に関しての専門家がいるのだから。


 それを聞いた男は、せきを切ったように話し始めた。

 きっと誰でもいいから聞いてほしかったのだろうと、ユウナギは感じたのだった。


「溺れる者はわらをも掴む、だな」

「ナツヒっ」

「溺れようとしてた者、だけど」


 ナツヒは無視して彼の話に聞き入った。




 先日のことだ。

 男が農作業から帰ってきても、妻子は家にいなかった。


 もしかしたら妻の実家に帰っているのかもしれないと、すぐ日が落ちたので眠りにつくまでは待っていた。


 朝一でその実家に出向いたがふたりは来ておらず、近くに住む者らにも尋ねたが、誰も見てはいないと。


 昼になる頃にはみなで捜し始めたが見つからず、邑人むらびとらは各々の判断で、邑を出たところまで範囲を広げて捜していた。


 しばらくして、ある者が道端で黒ずんだ血の跡を見つけた。細い車輪の跡と重なるそれを辿ってみると、その先には変わり果てた彼の妻の姿が。


 驚き飛び上がって、彼と捜索の協力者たちを呼びに行った。その後、土手の下の溝に落ちた赤子の遺体も発見される。


 車輪の跡から彼女は荷馬車に轢かれ、引きずられて絶命したとされた。


 その馬車が向かった北の方には3つの邑がある。


 そこに犯人はいるはずだと、協力者らを連れ談判に行ったが、どこでも知らぬ存ぜぬと言われるだけだった。


――という話だ。



 そこまで聞いたユウナギは、何が何でも犯人を探し出そうと息巻く。


 それと同時に、それまでは自らを死に追い込むような真似をしないよう男に約束させた。


 男はこのところ葬儀などで仕事を仲間に任せきりだったので、手につくわけがないと言いながらもこの日は働きに出た。


 ユウナギとナツヒは朝の食料を手に入れた後、北の3つの邑へ。

 途中ふたりは相談をする。


「その日稼働していた荷車や馬車を調べることから始めましょ」


「持ち主と通行経路を割り出すところまでやると、1日じゃ終わらないな」


「普通、道端で人が倒れていたら誰かが気付くよ。だからあの日いちばん最後に通った人物が犯人のはず」


「気付いても知らないふりして通り過ぎるんじゃ? 自分がやったと思われたくないとかでさ」


「事故現場は集落の入口のそばだもん、見つけたらすぐ言いに行くわ。自分が犯人かどうかは車を見せれば分かることだから、黙って通り過ぎる理由にはならない。そんな人いないと信じたい」


 信じたいという願望はどうなんだかと思うが、ナツヒも概ね賛成で、夕刻にそこを通った馬と荷車を徹底的に調べることにした。


 3つの邑で聞き込みをするというのは移動だけでも時間がかかり、その日は2つめに訪れた邑の集落にて、空き小屋に泊まらせてもらうことにする。


 この日の活動で、ナツヒはその邑が国の西方に位置するところだと見込んだ。


 東の邑から逆の西に飛ばされたという事実に、ユウナギは愕然とする。


 しかしどうすることもできない。その夜はできるだけ考え込まず眠りについた。



 そして2日目も最後のむらでいくらかの馬車に目星を付けたが、それらにこれといった違和感はなかった。


 使用者らとも話をしてみた。こちらが疑ってかかるので仕方ないが、ほとんどの者は態度がよそよそしく、まともに取り合おうとしない。


 言葉があっても、物より人の方が厄介だった。



 小雨が降ってきたので切り上げ、元のむらに帰るという家畜を乗せた車の片隅に乗せてもらい、男の家へ戻った。


 仕事を終え帰っていた彼に2日間の調査を報告、またそれを続ける旨を話した後、ナツヒはすぐ寝てしまった。


「……雨止んだわね」


「こんな雨上がりの晴れた夜だった。僕が彼女に……妻になってほしいと打ち明けたのは」

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