第6話 一時の幸せ

 やがて二人を乗せた船は出航した。リリィがデッキに出て潮風を浴びる中、アレフは部屋で探検家の本を読んでいた。


「最初見えるのが自然の多い国……もはや国全てが森のようだ、か」


 野生動物などもたくさんいるらしい。次に見えるのが大都市の国。高いビルなどが多く建てられており、現実を疑うような国らしい。


「大都市の国まではこの船で行けるけど、そこからコートが住む国までは別の船に乗り換えなきゃ行けないのか」


 アレフは本をぱらぱらとめくっていく。探検家にとっても短命の人たちは非常に興味深いらしい。コートの国についての話が、本の三分の一ほどを占めていた。


『短命故、多くの人々が他人の死を経験する。若くして亡くなる人もいれば、そうでない者も。どちらにせよ、人がいなくなることは悲しいことだ。寿命が間近に迫ってくることを"老いる"と言うらしい。そして老いた人々を老人と言うらしい。老いるといろんな病気にかかりやすくなる。特に――』


 その後の文章を読んでいたアレフの眼に涙が溜まる。そっと本を閉じ、俯きながら言葉をこぼした。


「そんな……」

「アレフ?」


 リリィの声がし、アレフは涙を拭った。デッキからリリィが戻ってきたようだ。


「大丈夫? 泣いてたの?」


 心配しながらアレフの隣に座るリリィ。アレフは眉を下げて笑った。


「大丈夫。感動しちゃっただけだから」


 アレフはそう言い、自分の鞄にその本をしまった。


「そろそろ自然豊かな国が見える頃じゃないかな。寄らないけどデッキから見てみようよ」


 アレフはそう誘い、リリィの手をひいてデッキに出た。


「潮風が気持ちいいね」


 なんてアレフが言っていると、自然の国が見えてきた。それはまさに森……というより、ジャングルのような国だった。船はその真横を通り過ぎる。二人は木々に止まる鳥や、潜んでいる動物を見つけては大はしゃぎ。太陽に照らされきらきら輝くリリィの瞳。アレフは思わず微笑む。

 その国が見えなくなると二人は部屋に戻り、肩を寄せ合いながら眠りについた。数時間後、ようやく大都市の国にたどり着いた。まだ眠そうなリリィの手を引き、アレフは船を降りる。


「酔ってない? 大丈夫?」

「ん、大丈夫……」


 リリィは目を擦りながら街を見渡す。そこはまるで別世界。高層ビルや空飛ぶ車など、リリィたちの知らないもので溢れかえっていた。

 とりあえずご飯を済ませ、二人は別の船に乗った。


「もう少し楽しみたかったな」

「しょうがないよ、船の時間は限られてるし。また来よう」

「そうね。約束だよ」


 二人は部屋でそんな会話をしながらコートの国に着くのを待った。日が暮れた頃、二人を乗せた船はようやくコートの国についた。夜ということもあり、とても静かだった。目的地についたは良いものの、どうしたらいいか全く検討はつかない。すると、フードを深く被った男が二人に声をかけてきた。


「旅人さん? 行く宛てがないならうち来る?」


 怪しさを感じるアレフとリリィ。それを察したのか、男はフードをとった。茶髪に茶色い瞳。優しそうな顔立ちだった。


「善意だから、ね?」


 アレフは警戒心は解かないまま、リリィの手をひいて男についていくことにした。男の家は船着き場からそう遠くはなかった。住宅地の一角にある、小さな家に案内された。


「小さくってごめんね。この辺りには宿がないからさ、たまにこうやって泊めてあげてるの」


 男はパーカーを脱ぎ、やかんでお茶を作り始めた。


「君たち旅人にしては小さいね、いくつ?」


 アレフはむすっとしながら言った。


「……百五十歳。コートの年齢で考えたら十五歳くらいじゃないかな」


 男の手が止まった。


「……君、もしかしてイミタル?」

「リリィはコートで僕はイミタルですが……何か?」


 男はやかんを置いた。


「……悪いことは言わない。イミタルここから出ていった方がいい」


 男の鋭い目つきに、アレフは少し怖気付いた。


「……なんでですか」

「君がイミタルだからだよ」


 人種差別か。アレフの中に怒りが募る。そして座っていたリリィの手を引き、家を出た。


「ぼくらは戻るわけにはいかないんだ」


 そう言葉を残し、アレフはリリィを連れて去った。男は椅子に座ると大きなため息をつく。


「……どうなっても知らないからな」



 暗がりの中、二人は歩いた。土地勘なんかない二人は、どう進んだらいいかも分からない。


「おい、ガキがこんな夜道を歩いてんぞ」


 いやな集団に絡まれた。ガラの悪い男たちに囲まれ、アレフの中で怒りが増してくる。


「さっきのことといい……コートの国は治安が悪いのか」


 アレフは思わずそう呟いた。すると一人の男が言う。


「なんだお前、この国のやつじゃないのか?」

「僕はイミタルだ」


 その言葉を聞いた集団はざわつき始める。そして言った。


「こいつを売れば金になるぞ」


 アレフは瞬時に危険を感じ取り、リリィを連れてその場から逃げた。男たちはアレフを追う。


「ああ、もう……!」


 そう聞こえたかと思うと、アレフの手が何者かに引っ張られた。そして路地の中へと吸い込まれていく。男たちが路地を覗き込むと、そこに人の影はなかった。

 アレフたちは路地の裏の小さな家にいた。それはさっきの家だった。アレフの手を引っ張ったのは、あのフードを被った男だった。男はアレフとリリィを椅子に座らせ、お茶を出した。そして向かいに座ると頬杖をつき、言った。


「……だからこの国から出てけって言ったよね」

「この国は治安が悪いんですか?」

「イミタルってさ、長寿でしょ? 誰だって長生きしたいじゃん。イミタルを実験体にして長寿の秘密を探ろうって動きが裏で出てんの。……この国で、つか世界的にイミタルって希少な存在なの」


 実験体……? 希少……? 長寿が普通だと思っていたアレフにとって、それは思いがけない言葉だった。呆然とするアレフに男は言う。


「もう一度言うぞ。君は早くここから出ていった方がいい。リリィちゃんはボクがなんとか出来るから――」

「いやだ! 僕はリリィと一緒いたいんだ!」


 熱くなるアレフ。すると今まで黙っていたリリィが声を出した。


「……アレフは帰って」

「リリィは……?」

「私はここに残るよ。……でも、アレフにとってここは危険だから」


 悲しげな顔で言うリリィに、アレフの胸が締め付けられる。


「……いやだよ。僕はリリィと一緒に――」


 リリィが勢いよく立ち上がりアレフの手を掴むと、家を飛び出した。わけがわからず呆然としながらも、足は勝手にリリィについていく。リリィは船着き場につくと、急いでチケットを一枚買い、アレフに持たせた。


「お願いアレフ、言うことを聞いて。このままアレフがここにいたら……アレフに何かあったら私……」

「でも……」


 出航の音と共に、リリィはアレフを勢いよく突き飛ばした。リリィの潤んだ瞳は月の光に照らされ、光り輝いていた。リリィは透き通るような声を精一杯出した。


「お願い……! 生きてほしいから!」


 アレフを乗せた船は出航した。青白い月に向けて。幸せは一時で、永遠には続かないのだと二人は身をもって知ってしまったのだった。

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