第5話 あだ名

 商店街から少し外れた、住宅地の一角に聳え立つ大きな図書館。真ん中を陣取るお城の次に大きい建物だ。誰でも入ることが出来て、本の数も管理しきれないほど豊富だ。絵本に小説、参考書や新書などもある。図書館の中は高い高い棚で埋め尽くされている。

 図書館の中に入ったリリィは目を輝かせた。まるでお伽の国に迷い込んだような表情だ。


「じゃあ夕方の五時にこの入り口に集合しようか」


 アレフとリリィはそう決め事をして、互いに好きな本を見ることにした。図書館内をふらつくリリィの目に止まったのは、恋愛もの小説だ。椅子に腰かけパラパラとページをめくる。男女がデートして、帰り際にキスをするシーンで手を止めた。リリィはアレフとのキスを想像し、頬を赤らめた。


「……私も、こんなふうにデートしたいなぁ」


 足をパタパタとさせて妄想するがそれは叶わない。足を止め、悲しげにぽつりと呟く。


「私がイミタルだったら……アレフとデート出来たかな」



 一方アレフは、リリィの呪いについて探っていた。新聞の切り抜きや人体学の書物など、それらしきものを漁りまくった。だがリリィの呪いを解く方法は見つからない。ただ時間だけが過ぎていくばかり。そんな中、アレフは一冊の本を手にとった。震える指で書かれている文字をなぞっていく。

 そして――



 夕方五時が刻一刻と迫ってきていた。リリィは窓の外を眺める。日はまだ落ちきっていないが、空はオレンジ色に染まっていた。薄紫色の布からちらりと見えたリリィの茶色い瞳も、斜陽に照らされ輝く。


「そろそろかぁ」


 そう呟いた時、アレフがリリィを見つけた。


「リリィ、これ見て」


 アレフは少し興奮しながらリリィに本を見せた。それはとある探検家の本だった。


「この文章なんだけど」


 アレフが指でなぞったところをリリィは目で追っていく。


『この世界はなんとも不思議で面白い。緑溢れる自然の多い国や、文明が発達した巨大都市もある。なかでも驚いたのは、寿命が百年ほどしかない人類が住んでいる国だ。そんな寿命が短い人達をコートと呼ぶらしい。イミタルとはまた違っていい響きの名前だな』


 そこまで読み、リリィはアレフの顔を見た。アレフはリリィの手をとって言う。


「いるんだよ、短命の種族が。リリィは呪われてるんじゃなくて、その種族なんだよ」


 笑顔でそう言うアレフの言葉に、リリィの顔も明るくなる。


「会いたい! コートの人達に!」

「じゃあ行こう! この本を書いた探検家の後を辿るんだ。行き方も詳しく書かれていたし。船に乗って、冒険して……あ、お金……あるかな……」


 不安そうに自分のバッグを漁るアレフに、リリィは得意げな顔をした。


「ねぇアレフ。今がじゃない?」



 旅の決行は二日後の早朝。それまでに各自、準備をすることにした。リリィは特に問題はないだろう。

 問題があるのはアレフだ。アレフは百五十歳。イミタルの中で百五十歳はまだまだ子どもだ。子ども二人で旅に出ることを、親が許すとはとても思えない。アレフは旅に出る直前に、母親に打ち明けることにした。

 リビングでテレビを見る母親の背中に、アレフはおずおずと話しかけた。


「……お母さん」

「ねぇアレフ」


 アレフの言葉に被せるように母親はそう言った。背中を向けているため顔は見えないが、母親の口調は確実に怒っている。アレフが黙っていると、母親がアレフの方を向いた。その顔はどこか悲しんでいるようだった。立ち上がり、ゆっくりとアレフに近づきながら母親は言った。


「呪われた女の子と一緒に過ごしちゃだめって言ったわよね」

「……知ってたんだ」


 家族にはバレないようにしていたつもりだったが、バレていたらしい。母親はアレフの手を掴んだ。


「ねぇ、なんでお母さんの言うこと聞いてくれないの? アレフが呪われたら――」

「リリィは呪われてなんかない! そういう種族なんだ! コートっていう……」


 コートっていう種族。そういえば花屋の店主もリリィのことをコートって呼んでいた。


「知ってるわよ。知ってるからみんな彼女のことをコートってあだ名で呼んでるのよ。ねぇ、お願いだからあの子と一緒にいないで」


 アレフの手を握る母親の力がだんだんと強くなる。アレフは怒りをぶつけるかのように母親の手を振りほどいた。


「僕、リリィと二人で旅に出るから! もうこんな……リリィのことを大事に出来ないこの国なんかには帰ってこないから!」


 アレフはまとめた荷物を全て持って、家を飛び出した。暗闇の中を必死に走り、秘密基地のつくと急いでリリィを起こした。


「今すぐ出よう! みんな僕らの旅を止める気でいる!」


 リリィは眠たい目を擦りながら、アレフが焦っている理由をようやく理解した。


「もうすぐ夜が明ける! 今なら行ける!」


 アレフはチケットを握りしめてそう言った。リリィも覚悟を決めた。


「行こう」


 二人が船に乗り込もうとした頃、朝日が船の奥から差し込み始めていた。噂を聞きつけたカイナルが船着き場まで走ってきた。カイナルは二人の乗る船に向かって叫ぶ。


「いいのかお前ら! こんなことして!」


 アレフはカイナルをちらりと見た。カイナルは必死に涙を堪えていた。


「戻れなくなるぞ!」


 アレフは無言で船の中に消える。アレフはカイナルの言葉をしっかりと受け止めていた。


 わかってる。わかってるんだ。それでも……行かなきゃいけないんだ。


 アレフは心の中でそう返した。これから待ち受ける困難も、二人ならきっと乗り越えられると。だが現実はそう甘くはないと、後に二人は身をもって知ることとなるのだった。

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