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時を告げる鐘の音に、生徒たちは息抜き思い思いに動き出す。だがこの日、異様に静まり返った教室内に入り口を見ると、生徒ではない制服の男が立っていた。
恐れるように道が開ける。それを構わず乗り込んで来たアエルは、奥の席でこの場の主の様に座ったままの、リリーの前にやって来た。
「王警務隊アエル・スペース・デルフェフメがご挨拶致します。令嬢、お時間を頂きたい」
「卿との、約束は特に無い」
「職務に戻られよ」
立ち上がったエレクトとメイヴァーが退場を告げたが、それを軽く上げた右手が止めた。
「良いわ」
「奴隷について、聞きたい事があります」
「私もよ。丁度良いところで現れたわね」
リリーの挑戦的な言葉に、アエルの口の端がスッと下がる。緊張に包まれた教室内。気づけば、他の生徒は誰一人居なくなっていた。
「では、質問をどうぞ」
「ナイトグランドとの交渉は、上手くいきましたか?」
「ナイトグランド? ……アーナスターさんとのお茶会の日を言っているの?」
「はい」
「しつこいのね。支払いに関する事は、王都の家の代表、兄に直接聞いていただける? だけどそれは、本格的に我が家を侮辱したものとして、貴方がどうなるかは分からないけれど」
「それは申し訳ありません」
リリーの言葉に、アエルは再び笑顔を見せる。王警務隊の中ではよく表情の変わる男。
警務隊は貴族の跡継ぎ以外が多く入隊する。名誉職である以上に、王の犬として感情を消されるほどの過酷な訓練を強いられる事で有名だが、目の前の男は違った。
「あの日、我々がお邪魔したことで、取り引きが上手くいかなかったのではと、心配しておりました」
神妙な顔をしてみせた。だがそれに、リリーはにっこりと意地悪に笑う。
「王警務隊デルフェフメ卿、謝ってすむ立場ではありませんよね?」
「「??」」
珍しくリリーが謝罪した者を追及した。主を目だけで確認したエレクトとメイヴァーは、その後に同じ様な疑問に目を合わせた。
言われたアエルは困った顔をしてみせ、考え事に顎を触れていた長い指は、閃きと同時に下ろされた。
「ならば謝罪として、一つ差し出しましょう」
笑う男は何かを企んでいる。
「どの立場で物を言っている」
「姫様、お帰り頂きましょう」
「貴方の、差し出すものにもよるわね」
止めようと前に出ようとしたエレクトとメイヴァーに、リリーは許可を出さない。
「
なぜ少年を奴隷だと見抜けたか、王警務隊の奴隷狩りの手段を、ダナーが探っていることをアエルは知っている。
リリーは、それに「いいわよ」と頷いた。
「
数少ない彫り師の術使い。一人一人描き方に癖があり、図柄を見れば、誰が彫ったか特定は容易である。
襟元を留める金具を外し、硬い制服の上着を脱ぐ。そしてシャツの釦を外し始めると、初めてリリーは怪訝に眉を寄せた。
脱ぎ捨てたシャツ、割れる腹筋、鍛え上げられた身体にびっしりと呪文が刻まれる。
若い娘、特に男性経験の無い令嬢などは、身体を見ただけで驚きの悲鳴を上げて見ないふりをするが、意外にもリリーはそれを静観して見つめていた。
(思ったよりも、男の身体を見慣れているということか?)
護衛の二人よりも、何の反応も示さない。アエルの身体に興味が無いとでもいうように、蒼い瞳は揺るがなかった。
(つまらないな)
腹の下まで続く入れ墨、それを見せたらどうなるだろうと興味がわいた。革のベルトに手を掛けて、素早くバックルを外す。
護衛が動き出す前に露出しようと思ったが、腰に手を掛けたところで窓の外に影を見た。
ーーパンパンパンパンパンパンパンパン!!
「っつ、」
高速で窓硝子を突き抜けた小さな矢が、それを躱すアエルを連射で狙って壁に突き刺さる。全てを躱しきったと髪をかき上げたところで、グサッと一矢が頬を掠めて背後の書棚に突き刺さった。
(パイオドの射手)
突然の攻撃に焦ったが、息を整えたアエルは、背後に穴の空いた窓硝子をちらりと見ただけで、表情の変わらないリリーに驚いた。
(思ったよりもお嬢様は、色々な経験をしているようだ)
後ろに控える護衛よりも、アエルを平静に見つめる蒼い瞳。
「フッ…」
自分の醜態に笑いが出たが、それすらにも興味がないと、リリーは無反応を示すだけ。アエルは、上着を拾うと袖を通して襟を正し、会釈と共にその場を後にした。
「姫様……」
「平気よ」
入れ墨の確認、その後の行きすぎたアエルの行動にリリーは動揺も何もない。むしろ大切なリリーの心が汚されたのではと二人の護衛は考えていたが、本人は意外と強かった。
**
「……今日も王太子様に会えないのですか?」
中庭の件以降、グランディアに会いに行くと体調不良を理由に護衛のサイに断られる。数日様子を見たフェアリオは、それを境会に相談した。
「先日、貴方から王太子殿下とダナー大公令嬢の婚約破棄の報告がありましたが、それは間違いのようです」
『え?』
「なんでも、二人が談笑していたと、一部から聞きました」
灰色の外套の祭司は顔が半分以上隠れている。だが見える不満な口元に、フェアリオは内心で動揺した。
『嘘じゃないです』
「一時の仲違いなど、よくある事です。……それよりも、その大公令嬢なのですが、一人で王宮に来られたのですね?」
『……はい。初めは一人でした』
「……ならば貴方に、頼みたい事があります」
ひそひそと耳打ちした内容に、フェアリオは気乗りなく上目遣いに祭司を見上げる。
『それ、私が行かないと駄目ですか? なんか、直接会うの怖いんです…』
「これは後々、貴女と王太子殿下のためになるのです。内容は簡単じゃないですか」
『……ですけど、……ですよね』
この翌日、リリーの前にフェアリオが現れた。
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