36



  新たに召喚した聖女フェアリーエムは、ダナーの領地で罪人となった。


  「また召喚するのか? ネルの量が少ないというのに…」

  「ですが次の蝕まで待てません。我らが召喚した異物は、まだ王家への献上品を完成させてはいないのです」


  役目を終えた前回の巫女から次の蝕、この代で初めて召喚されたフェアリーエルは、多少の幻獣の核の収穫には協力したが、異世界の有益な情報をあまり持ち合わせていなかった。


  約三百年前、現在の王家グロードライトが革命により旧王家エルローサを倒した。


  グロードライト大公家を影で支えた境会は、彼らが王家となってからも、国を纏めるために様々な協力を惜しまなかった。


  その一つが、境会が異界から異物を召喚し、王を助けるための知識や情報を得ること。


  他国には存在しない魔力や人力を使用しない、ネルで動く保冷庫、冷風機、温風機など。歴代の召喚異物が提案したもので、未だ実用化されていないのは、馬を用いない車と、空を飛ぶ大型船だった。


  これはどの異物も提案はするのだが、構造を詳しく知るものが居らず、製作は空の模型のみ。


  最新技術のそれを定期的に貴族に普及して、国王は国内の支持を強めていった。


  召喚は空が闇になる蝕に行われる。


  今回フェアリーエルの失敗により新たに召喚されたが、フェアリーエムと名付けられた異物は、ダナーの領地で愚かな行為を行って、境会が関与する前に捕まった。


  「そもそもなぜあれらは、呼び寄せるとダナー大公領に現れるのだ?」


  「おそらく、未だダナーには多くの幻獣ヴェルムが残っているので、その魔力に惹かれて道が繋がるのだと、過去に言っていた祭司が居りましたね」


  「成る程、幻獣それを狩るために、異物たちが引き寄せられているならば都合がよいが、しかし、これほどとはな」


  教本に記されている通り、落とされる異物は現代の教養がなく、それを理解させるのが困難で、更にそれらは繁殖を目的とするものが多いとあった。


  「…全く。つがう事しか頭にないとは、使えんな」


  フェアリーエルは常に王族貴族の男たちに、分かりやすく媚を売っていたと報告に上げられていた。


  「エルに関しては、保冷庫や温水器など、すでに実用化された物ばかりの提案しかありませんでしたしね。聞くところによると、エムもダナーで公子殿下を呼び捨てしたらしく、その様なものからは、有効な情報は期待出来なかったでしょう」


  ため息に資料を見下ろした、深紅の外套を纏う二人の主祭司。


  「そういえば、が、ダナー大公令嬢の件で、気になる事があると言っていましたが」


  「か。大方、ダナーの令嬢を仕留め損ねた言い訳だろう。次はないと、念を押しておけ」


  了承に一礼したのは壮年の主祭司。戸口に佇むのは灰色の外套を纏う者たち。それを見た皺だらけの顔の奥、つぶらな瞳を苛立ちに歪め、老いた主祭司は祭壇の間を後にした。



 **



  王太子の命は狙われたが、実行犯の口は封じられ証拠は全く出てこない。それを指示した本人は、殺害対象ににっこりと商売用の笑みを浮かべた。


  「くれぐれも、自死だけはお気をつけ下さい。王族や貴族のお方は、自尊心の損失により、他よりそれを早く選ぶ傾向がありますので」


  エルストラを求めた隣国の公爵は、肥満体で悪臭を放ち、陰湿な性格で嗜虐的な性癖を持つ事で有名だ。


  「取引先のお客様は、常に生きた若い身体をお求めなので」


  婚姻後の生死は問わない。爵位の復権と引き換えに売られた少女の罪は、恋により盲目となった事だった。


  「それはフィンセンテの者たちも心得ているだろう」


  一族のものたちは、愚かな行為に及んだエルストラに怨嗟をぶつけて、同情する者はいない。憔悴していたはずの第三王妃は、売られる娘は居なかった事にしたようで、今は保身のために足繁く王の元に通いすがり付いている。


  契約書類を封じたアーナスターは、一礼して戸口に向かう。そしてくるりとグランディアを振り返った。


  「いつもナイトグランドのご利用、ありがとうございます。王太子殿下」


  「……」

 


 **



  王太子の執務室を後にしたアーナスターは、中庭から食堂テラスを見上げた。ここからは、窓辺に座るリリーの姿がよく見える。


  普段は黒の貴族に囲まれて、なかなか目にする事が出来ない。噂の美しい令嬢を一目見たさにこの場所から見上げるのは、アーナスターだけではなかった。


  世間では、死や恐怖が色濃く付きまとう印象により、彼らを畏れる者が多い。そして更に、それに関連する善くない噂話も事欠かない。


  だがダナー家の者たちを実際に目にした者たちは、彼らの美しさに心を奪われ、焦がれ、常に目で追ってしまうのだ。


  中庭には庶民制服クスラディアの生徒の他に、王族制服グローディアの姿も見える。


  アーナスターはこの有象無象に紛れるつもりはなかったのだが、グランディアの兄弟粛清以来、ダナー家の者たちは、リリーとアーナスターとのやり取りを完全に拒絶した。


  (リリー様…)


  もちろんこのままにするつもりは無かったアーナスターだが、今は逃亡した兄の勢力を抑える事が先決だった。


  (もう少し落ち着いたら、必ず迎えに行きます)


  自分とリリーを阻む壁。それを壊すには、まだ力が足りない。


  「ピアノさん!」


  決意にリリーの姿を目に焼き付けていると、不意に声をかけられた。


  (……誰?)


  初めて見る女子生徒は、アーナスターと同じく一般生徒スクラディアの制服を身に纏う。


  長い黒髪、白い肌、どことなく青く見える印象的な瞳。それにアーナスターは、恋しい令嬢の姿を重ねて見た。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る