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  「あ、いきなりごめんね。私、フェアリーン」


  「……」


  「今日学園に来たばかりなんだ。でね、いろいろ見学していたら、あなたを発見して…」


  (…なんだろう…。声までリリー様に似てる気がする)


  「知り合いが他に居なくて。出来れば、お友達になってくれないかな?」


  「……家名は、どちらですか?」


  「あ、申し遅れました。私、フェアリーン・クロスって言うの」



 **


 

  カタン。


  菓子を運ぶ手を止めて、間抜けた表情で自分を見上げたと、驚くリリーの姿にフィエルはほくそ笑む。


  「それで? 私を招待したからには、どんな持て成しをしてくれるんだ?」


  リリーの周りに侍る十枝からは、静かな殺気がこぼれ出る。スクラローサ学院の規則が無ければ、こうして向かい合って座る事も無い者たち。


  見ただけで胸が悪くなったリリーの前に並べられた甘味の山。それをどうこうするつもりは無いが、フィエルは苦いコーヒーを口に含み、食べてもいない甘味を打ち消した。


  「前にも言ったが、あれと関わる事は止めて頂きたい。取り入っても無駄だ。結局彼は、左側うちの同胞なのだ」


  リリーから積極的にグランディアに話しかける事は無い。だが王太子は、忙しい合間を縫っては右側ダナーに足を運ぼうとする。それを何度か止めたフィエルは、苛立ちをリリーにぶつけた。


  「……」


  「あれが王座に座った時、右側きみたちは、左側われらに頭を垂れるのと同じになる」


  黒の令嬢と白の公子が向かい合う、異様な光景の学生食堂。更に笑いながら言ったフィエルの言葉に、その場の空気が張り詰めた。


  「……フン」


  「?」


  右側ダナーにとっては冗談でも許されない侮蔑。これに令嬢の激怒する姿を期待していたフィエルだったが、意外にもリリーは、決壊しそうな緊張を鼻で笑うと、菓子をつまんで一口食べた。


  「何を言っているのか、さっぱり分からないわ」


  「これは残念だな。こんなに分かりやすく教えてあげたのに、理解出来ないとは」


  静まり返って、ざわめきも聞こえない食堂内。口に入っていた食事を、音を立てないように漸く飲み下した生徒たちをよそに、フィエルをじっと見つめたままのリリーは、新しい菓子をつまむとそれを口に運ぶ。


  「食べてもいいわよ」


  差し出されたのはクリームがこんもりと乗せられたクッキー。それに吐き気が込み上げたフィエルは、苛立ちに眉をひそめる。


  「結構だ」


  「物欲しそうに見てるから」


  「……」


  話しにならないと、侮蔑に笑って席を立とうとした。だがそのフィエルに、リリーは両手を広げた。


  「闇は右手に、光は左手に。間違えてはいけないわ、意味の無い善悪は、いつでも闇が覆い隠せるのだと」


  「……」


  見ると真白い両手の平には、白砂糖と黒砂糖が厚塗りの焼き菓子が乗っている。


  「王が左側そちらに傾けば、右側わたしたちは不文律を放棄するだけよ」


  左側アトワだけを護る王ならば、それを廃するだけ。廃する事が出来ないならば、下げた頭を上げるだけ。


  「あなたこそ、こんなに簡単な事もわからないのね」


  憐れみを浮かべて微笑むダナー家の令嬢は、未来の王家と敵の旗頭になる男に宣戦布告をした。そして見せつける様に掲げた白の焼き菓子を、ぱくりと口に放り込む。


  「…………フッ」


  思ったよりも、馬鹿ではない。


  感情を顕に品なく激昂する事もしない。


  更にフィエルと立ち向かう度胸を持っている。


  立ち上がった左側アトワの貴公子は、それを目で追っただけのリリーを見下ろす。


  「世に出たことの無い令嬢は考えが短慮だな。いかに甘やかされて育てられたか分かる」


  カタリと動いたメイヴァーを片手で制する。口の中のクッキーを飲み込んだリリーは、フィエルに更に微笑んだ。


  「お食事中に立ち上がるなんて、あなたこそ、お母様にマナーを教えていただかなかったみたいね。お可哀相に」


  そして手にした黒の菓子を一口。その姿をうんざりと見たフィエルは、それ以上は無言で食堂を後にした。



 **



  「ああ、まだ、生きていると思うよ。…兄上は、行かない方がいいってさ」


  早朝、珍しく早めに食卓に現れたメルヴィウスに、新聞を確認していたグレインフェルドが問いかけた。


  ダナー領に現れた、不審な女の事後報告。


  あらゆる手段を用いて境会との繋がりを問い詰めたが、知らないの一点張りで有益な情報は得られない。


  フェアリーエムと名乗る女は、何故かグレインフェルドに異常な執着を見せ、どこで調べたのか、一族でも親しい者しか知らない馬好きの趣味まで知っていた。


  「新しい情報は、もう出ないとトライオンから聞いてる」


  その女から得られたものは、現在は拷問により面相や髪型が変わり果て、幻術でもリリーの面影が全く無くなった事だけ。


  「あの幻術、境会アンセーマーの奴らの仕業だろ。証拠が見つかったら、即殲滅してもいいよな?」


  給仕から運ばれて来たコーヒー。それを手にしたメルヴィウスは、妹を狙う組織を思って邪悪な笑顔を見せた。それにグレインフェルドも、同じ様な笑顔で応える。


  「奴らと王家は繋がりが深い。確実に、逃げられない証拠が必要だ。そう言えば、セオルはどうした?」


  「その事で、旧教会ヘーレーンに行くって言ってたな。そろそろ戻って来るかも…」


  「おはよう!」


  復学してから初めての休日。久しぶりに朝から着飾った妹をみて、二人の兄は穏やかにそれを振り返った。



 

 

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