3



  「この木はなんの木?」


  少女は、丘にある大きな木を見上げていた。よほど気になるらしく、興味津々に丸くて白い頬が紅潮している。


  「天への梯子という木ですよ」


  「!」


  教えると、なぜか少女は驚愕に口を開き目を見開いた。そして信じられないと言わんばかりに落胆し、頬はぷっと膨れて目を据わらせる。


  「…姫様?」


  どうやら不満げな瞳は、背の高いトライオンを見上げて睨んでいる様だ。それにトライオンとセオルの二人は、意味が分からず首をかしげた。



 **



  翌日、カイン家も交えての定例会議の日。前日に宿泊せずに所用で自領に戻ったため、招待された朝食に間に合うように早駆けでダーナ城にやって来たトライオンは、騒然とした城内に何事かと使用人を呼び止めた。



  「お嬢様がっ、リリーお嬢様が居ないのです!」



  蒼白な侍女が走り去ると、入れ替わりにカイン家のガレルヴェンが現れた。


  「早朝に侍女が部屋を確認したら、すでに居なかったって」


  「…まさか、あの監視が」


  「いや、それは無いそうですよ。彼も青い顔で走り回ってましたからね。それよりも、連れ去るのでしたら、やはり左側アトワの仕業では?」


  「そうならば、戦争だな」


  底冷える声に振り向くと、珍しく怒りを顕にダナー家の長男がやって来た。二人がとった礼を軽く片手で受け流す。そのグレインフェルドに続いて次男のメルヴィウスが駆け寄った。


  「それよりも、セオル・ファルを捕らえましょう! やはり奴は、境会の手先だったんだ!!」


  「そういえば、その神官は何処に?」


  振り返り振り返り木を見上げていた少女の手を、少年は優しく引いていた。その姿を思い出したトライオンは、名残惜しげに大きな木を何度も振り返って見上げていた少女の瞳に何かを思った。


  「まさか、天への梯子、」


  確信にトライオンは走り出す。そして同じことを考えていた先客の背中、丘を駆け上がり大樹を蒼白に見上げたセオルが叫んだ。



  「リリー様!!!」


  「!?」



  地上からは遥か離れた大樹の頂点、頼りなく細くなった幹の枝に、小さな少女はくっついていた。


  「なんてことだ、」


  万人に恐れられる右側。処刑人と呼ばれるものたちが、一様に戦慄した姿を見せたことは無い。だがこの場に集うものたちは、あり得ない光景に口を開いたままだった。



  「ふぇーーーーん…」



  用意された短い梯子、風に乗るのはか細い泣き声。木を登ろうと手を掛けたセオルを制して、トライオンは上着と長靴を素早く脱ぎ捨てると大樹の枝を掴んだ。


  初めて手のひらに汗をかきながら登った木。たどり着いた目標は、泣いていないかと思えば、朝陽を浴びてゆらゆらと目を瞑っている。それに怒りのような安堵のような、言い知れぬものが込み上げたが、確保して膝上に乗せると、目覚めた少女は愛想笑いを浮かべていた。


  「えへへっ」


  「…はぁ。降りますよ」


  地上に目をやると、集う人々の中に身支度の整わない大公と婦人もいた。そして少女の無事な姿が見えたことで、拷問部屋の確認でも鉄面皮を崩したことの無い、気丈な婦人が安堵に気を失った。


  「よく見えたわよ、お父さまとお母さまの、お城」


  震える両足が地上に着いた少女は、ステイ婦人を抱える大公と、駆け寄った兄たちになぜか胸を張った。


  「お兄さまたちも、のぼってみるといいのだわっ」


  父親譲りの冷血漢である長兄グレインフェルド、苛烈な気性を持つ次兄のメルヴィウス。周囲が息を詰めるほど怒りと緊張を張りつめた二人を前にして、リリーは半泣きにグレインフェルドの腰に飛び付いた。


  「でも少し、こわかった、」


  「リリー…、」


  ダナー家の人々の言葉に表せない顔は、その場にいたものたちの心に生涯焼き付いた。

 

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