無宗教、見放題、ハザードランプ

 ピンポーンとやや間延びしたチャイムの音を聞いて、畳の上から起き上がった。のっそりと玄関に向かう間に、来客を告げるチャイムの音がもう一度鳴った。

 ドアスコープも見ずに扉を開ける。治安のいい住宅街、男の一人暮らし、おまけに盗まれるような金はない。警戒するのも馬鹿らしい。

「あなたは神を信じますか?」

 だしぬけにそんなことを言われて、思わず顔を顰めた。視界に誰の姿もないので、とりあえず下を見る。いた。

 訪問者はスーツを着た小柄な女だった。何ていうか、髪は真っ黒だし顔も化粧っ気のない、地味な女だ。胸の前に薄い冊子を抱えている。タイトルに神とか信仰とかの文字が見える。まあ、一言目でわかってはいたが、宗教の勧誘だった。

「うち無宗教なんで」

 自分がそう答えると、女の表情がぱっと明るくなった。化粧っ気がないぶん、目は小さいけど瞳が綺麗だな、とか唇の血色がいいな、とかそういうところに目が行く。小作りな口の口角が上がり気味になっている。

「大丈夫です。信仰に目覚めたのがいつだろうと、神は等しく恵みを与えてくださいます」

「ああ、そうなの」

 どうもマニュアル通りの答えを返してしまったらしい。女はつらつらと宗教の教義のことを話し始めた。

 話が長くなる気配を感じるが、暇なのでまあいいか、と耳だけで聞く。頭には入ってこない。声は小さいし滑舌も良くないが、高めで優しい声音だ。

 時々手元の冊子をめくってはこちらに見せてくれるけど、全く見てなかった。焦点をずらして、ずっと女の顔を見ていた。

 美人でも不細工でもない。一度話しただけでは印象に残らなそうな薄い顔。見続けながら、等間隔にまばたきするのがハザードランプみたいだな、とか思っている。

 車は好きだ。持ってないけど。なにせ金がない。

 ぼんやりと声を聞いていた耳に、ある単語がふと引っかかった。

「……それでですね、今なら教祖様の礼拝動画が過去配信全て見放題でして」

 礼拝が動画配信というのは新しい。お布施は投げ銭機能を使うんだろうか。ああいうのは同じ空間に信者を集めて行うからこそ、信仰を加速させやすいのだと思っていたが。

「質問いい?」

 肩の高さに挙手をしてみた。どうせ聞いていなかったので、話の切れ目なんてものは計らない。

「あっ、は、はい、どうぞ」

 話を遮られるのはマニュアルに載ってなかったらしく、女はちょっとうろたえた。目をしばたたかせているのが、やっぱりなんだかハザードランプを連想する。

 たぶん思考が渋滞しているのだ。その最後尾に車を一台追加する気分で口を開く。

 現実には車なんて持ってないけど、想像の中では自由だ。車種はさておき赤いものがいい。

「一目惚れって信じる?」

 驚きに見開かれていく目はやっぱり小さいけど、瞳が綺麗だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る