垢抜けない、山脈、ジャスミン茶
開け放たれていた小鳥遊商店の引き戸をくぐると、店の奥から声を掛けられた。
「いらっしゃい。あんた、堤下さんちの……えーと。みよちゃんだねえ」
「おばあちゃん、こんにちはー」
実際には堤下は母親の旧姓で、みよちゃんに至っては母方祖母の名前なのだが、適当に頷いておく。どうせ訂正しても、次に来た時は別の名前で呼ばれるのだ。細かいことを言ってもきりが無いと思っている。
小鳥遊商店は集落で唯一のコンビニだ。コンビニといってももちろん夜中には閉まるタイプ。チェーンだとかフランチャイズだとかでもない、そう看板を掲げているだけ。名乗った者勝ちである。
ついでに言ってしまえば店主だって小鳥遊さんじゃなくて、大沼さん。先代店主が「大沼より小鳥遊って名前の方がかっこいい」とか言って今の名前になった。看板の片隅にコンビニエンスストアの文字が書き足されたのもその時だ。
その先代店主の母親が、現店主であるおばあちゃん。今は店の奥の小上がりにちょこんと正座で座っている。瞼がたるんで、目は開いてるんだか閉じてるんだかわからない。右の頬からこめかみにかけてシミが大小複数あって、それがちょっと逆さまの日本地図みたい。
店の名前ばっかりかっこよくしても、中身は垢抜けないまま。先代も名前を変えるだけ変えておいて、自分はさっさと都会に出て行ってしまった。おばあちゃんは律儀にも、夫が遺して継いだ息子も残していった店を守っている。
そんなおばあちゃんを時々母がかわいそうだと言うことがあるけど、自分はそれになんだか頷けなくて、いつもただ黙って聞いている。少なくとも店で見るおばあちゃんは、不幸そうにはしていない。
店の品揃えは食品、飲料、雑貨類で、これだけ聞けばコンビニっぽい。でも実際に並んでいるのは野菜とか調味料とか、箱の日焼けした洗濯洗剤だ。
飲料だけはペットボトルのお茶とジュースとミネラルウォーター、缶ビールなんかも置いてあって、その冷蔵ケースだけはコンビニっぽさがある。自分の目当てもそこ。コンクリート打ちっぱなしの床の上を歩いて、棚の前に立つ。
「おっ」
見慣れないパッケージを見て思わず声が出た。新商品だ。おばあちゃんは営業さんのお勧めに基本逆らわないので、飲料は商品が入れ替わることが結構ある。
健康ジャスミン茶。
青を基調にしたパッケージの下の方に、白い花のイラストまで添えられている。これがジャスミンなのだろうか。
迷わずそのペットボトルを手に取り、おばあちゃんの方に向かう。小上がりの縁の方に小皿が置いてあって、そこにチャリンと小銭を落とす。
「はい、まいどありがとうねえ」
おばあちゃんはとてもゆっくりとした動作で頭を下げた。なんだかそういうおもちゃみたいだった。こちらも「ありがとう」と返して店を出る。
店の前は畑だけれど、その向こうの山脈の景色はとても近い。東西南北どっちを向いても畑と山、まばらに家。
手足が伸びて背が高くなっても山は大きいまま。だけど世界の狭さは嫌というほどわかってきてしまう。おばあちゃんの息子はあの山を越えていったのだな、とふと思う。
ジャスミン茶を飲んでみたけれど、なんだか匂いが独特で薬みたいで、あまり美味しくは感じなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます