第1話 入部届
放課後の職員室はそれなりに人の流れはあるが、この教師のデスクは部屋の隅なので、こちらにまで来る人間はほとんど無くしんとしていた。
私の目の前には、白衣を着た女教師が座っていた。よれよれの白衣に下にはジャージを着て、髪は背中までの長さ、下半分はなだらかにウェーブしているが、果たしてこれってセットしてるのか、それとも放ったらかしの天パなのかも分からない程、髪がボサボサだ。
この人とは、学校案内の時に一度会ったことがある。
確か部の顧問の教師で、私の案内の時も『それじゃ、よろしく頼むよ』って、言って3年生に案内を放り投げた教師だ。
確か変態で天然さんだから、こういう対応が普通らしいって聞いてるよ。そして名前は……。
「私は、
突然、ボソッと言われてビックリした。
私の様子を一瞥した水野先生は、苦笑しながら言った。
「驚かせて申し訳ない。私としては最大限気を遣ったつもりでも、人からは空気を読まないと言われててね。早速だが、入部希望と聞いているので、今日はまず入部届を書いて貰って、簡単に説明をして終了としよう」
私は、さっきの七海ちゃんの態度に妙に引っかかるものを感じたので訊いた。
「今日から、活動に参加することは出来ないんですか?」
すると、教師水野は頭をボリボリと掻きながら
「入部届を提出してから受理して処理するまでは1日かかってしまうので、申し訳ないが、明日からの活動になる。そして、今、他にも新入部員の案内が立て込んでいるんだ。七海君が、慌てて出たのにはそういう理由もあるんだ」
と答えた。
立て込んでいても、自分で案内する気はないんだな……とその時、疑問に思った。すると
「さて、じゃぁ今日はこれで終了としよう。そう言えば、鷹宮君は車で通学すると聞いているが、もう既に乗ってきているのかね?」
と、突然訊いてきたので
「いえ、もう申請は済んでいて駐車場も使えるんですが、車がまだ向こうにあって、今週いっぱいは迎えを頼んでいます」
と答えながら気がついた。
今日はまだ、沙織さんに帰り時間をLINEしていない事に。
すると、教師水野は
「ならばその間、部員の特典として足代わりの車を貸与しよう。丁度いいのがあったんだ」
と言って、私の返事も聞かずにスタスタと職員室を出て行ってしまった。
私は慌てて後を追うと、教師水野は昇降口から外に出て校門の脇にある空き地に入った。
「ここは教職員用の駐車場なんだが、空きスペースも多いんだ」
と言うと、薄い青の混じったグレーのセダンの方へと向かい、キーレスエントリーで鍵を開けると
「来週までこの車を使うと良い。なに、ひょんなことから預かったものの、使ってなくてね。遠慮せずに」
と言ってキーを強引に私に手にねじ込むと、そのままスタスタと去って行ってしまった。
私は困ったものの、沙織さんに迎えは不要というLINEを打つと、セダンの運転席に座って、キーを挿しこんだ。
キーを捻って、エンジンをかけ、一通りの警告灯が点灯して消灯した後で、1つだけ消えない黄色いランプがあった。
「ガソリンが……入ってないじゃん!」
私の転入初日は、地理に不案内な土地で、ガソリンスタンドを探す事で終わりを迎えた。
◇◆◇◆◇
「あっははははははは。それで、ガソリンスタンド探して街中をグルグル走り回ってたって訳ぇ? ウケる!」
別荘のリビングのソファに座った沙織さんが、地下のセラーから持ち出したワインをグラスに注いでからクイッと1口飲んでそう言うと、再び笑い出した。
教師水野から車を渡されてから2時間が経過している。
ガス欠が発覚してから、私は別荘とは逆方向にある麓の街へと向かって走り、ガソリンスタンドを探したのだ。
初めての経験と、いつガソリンが尽きるかも分からない恐怖とに襲われながら、地理に不案内な街でメインの通り沿いに走って行ってようやく見つけたスタンドでは、勝手の分からない車にガソリンを入れるのに手間取り、更には、お金をあまり持って来ていなかったので2,000円分しか入れられず、更には、帰り道で道に迷ってしまったのだ。
普通なら、学校から別荘までは山の1本道で、40分弱あれば到着できるのに……だ。
「ウケないです! 大体、私の返答も聞かずに、車を押し付けていって『部員特典』って一体何なの? あの教師」
私が口を尖らせて言うと、沙織さんは
「まぁいいじゃん! 別に車を調べたけど、怪しいものは何もなかったし、少なくとも悪意がない事だけは確かなんだから」
と笑いながら言った。
別荘に戻るなり、ガレージに待ち構えていた沙織さんに、乗ってきた車を徹底的に調べられた。
エンジンルームやトランクの中も丹念に見て、盗聴器や、GPS発信機、爆薬などが仕掛けられていないかを調べていたのは、さすが引退したとはいえ、沙織さんもプロの裏稼業人だと思わされた。
その時に言われたのは、私が借りたのはサニーという車らしい。
昔の日産の主力の小型車で今で言うとノートのポジションに当たり、1966年に初代がデビューして、9代目まで続いて2004年に廃止されたらしい。
私が乗ってきたのは2003年式の最終型で、この頃になるとかつての勢いもなく、サニーと言えばお爺さんの乗り物となって、高齢化が進み、みんなからも忘れ去られていた車だったそうだ。
「なにせ最後は、1600cc、1800cc、ディーゼル、CVTも廃止されて、1300ccと1500ccで全3グレードしかなかったからね」
沙織さんが哀れむような目で、この車を見ながら言っていた。
ちなみに廉価なFE、普及グレードのEXサルーン、豪華版のスーパーサルーンが残って、この車はEXサルーンらしい。
このサニーっていう名前は公募してつけた名前で、当時ハガキでの応募に860万通の応募があったそうだから、それだけ、この車の存在に注目されてたんだね。
ちなみに、サニーレタスって『日産サニーのように小さなレタス』っていう意味でつけられたって、さっき沙織さんから聞かされてちょっとビックリしちゃった。料理が好きな私にも、ちょっと関わりのある車だったんだ。
「さてと、燈梨の送り迎えが無くなったから、その分の時間、あたしは別件で動くかなぁ~」
すっかり、別の事に集中していた私の耳に沙織さんの声が入ってきて、私は、現実へと引きもどされた。
「別件って?」
「燈梨の引っ越し先の辺りの事とか、一応危険がないかだけ調べておかないとね。周囲に変態とかいると、1人暮らしだと怖いからね」
沙織さんは言うと、ニコッとした。
「荷物はそんなにないから、引っ越し自体は、時間がかからなさそうね」
「うんっ」
私はニコッとして答えた。
家出をしていたので、元々私の荷物は下着類とかの着替えくらいしかなかったのだが、コンさんと暮らした半年間で部屋着や、外出着などが増えていった。
それでも、コンさんの家に放置されていた、販促品の小さなバッグに収まる程度なので、鞄1つで引っ越し……と言って差し支えない程度だ。
アパートは、学生課で斡旋して貰った物件だ。
築年数も新しめで、オートロック、更には家電付きだというのに惹かれた。
この街には観光ホテルが多く、その社員寮として建てられたものの、不景気で撤退したりして、結構空き物件もあぶれている。
そこで、編入生を多く受け入れて生徒数減を喰い止めたい学校と、空き家問題と住民減に悩む町との思惑が一致し、編入生の学生アパートとして、安く斡旋しているのだ。
「沙織さん」
「なに?」
「私、明日からも楽しみだな」
私は思わず沙織さんに宣言してみせた。意味の無い事なのは分かっているが、やってみたくなったのだ。
沙織さんは黙って微笑みながら、私を温かい目で見つめていた。
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■あとがき■
お読み頂きありがとうございます。
早速、★、♥評価、ブックマーク頂き、大変感謝です。
今後の、創作の大きな励みになりますので、今後も、よろしくお願いします。
感想などもありましたら、どしどしお寄せください。
次回は
転入初日は散々な終わりを迎えた燈梨。
翌朝、初めて自分の足で登校した学校で待っていたのは……。
お楽しみに。
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