第2節【わたしは聖女なんかじゃない!】

 美しいパルプオルガンの音色に、シスターたちの讃美歌さんびかが絡みついている。


 その神聖な空気を、わたしは好きにはなれなかった。



 五年前にこの街を訪れた時、わたしは全ての記憶を失っていた。灼熱の砂漠のなかをさまよい歩いたすえに、このラハブの街へと流れ着いたのだ。その時にはすでに、わたしは衰弱していて、当時のことを良くおぼえていない。



 わたしのなかにるのは、悪魔の記憶とこの街での記憶だけだった。


 毎日、毎朝、やりたくもないお祈りをさせられて、歌いたくもない讃美歌さんびかを歌わされた。聖女としての『正しい』振る舞いをしなければ、わたしの存在意義はないかのように扱われてきた。



 奇跡というものを、わたしは信じるつもりはない。何故なぜならわたしは神から、見放されたからだ。


 記憶を失って、自由を奪われて、悪魔に魅入みいられてしまった。挙句の果てには、もうすぐ死ぬのだ。

 それなのに皆は、わたしを神に祝福された人間だというんだよ。


 絶対に、おかしいと思う。



「聖女リラよ。神に祈りを捧げなさい。其方そなたの輝かしい未来のためにも、我々の栄華えいがのためにも、祈るのです」


 司祭の言葉に、わたしはいつも発狂しそうな怒りを感じている。



 ふざけるな――糞みたいな考えを押しつけておいて、何が栄華だ――マジで、ふざけんな!



 何が輝かしい未来だ。もうすぐ死ぬのに、未来なんてある訳がない――お前らが勝手に決めつけたことを、身勝手に人に押しつけんな。



 ――わたしは、聖女なんかじゃない。


 わたしの苦しみは、誰にも解らない。



 わたしがどれだけ死に怯えて、不安に駆られているかも考えもしないで、人を幸せに導こうとしているこいつらは、本当におめでたい頭をしている。


 皆、死んでしまえばいいんだ。

 わたしの中の悪魔は、いつも囁きかけてくる。



 ――ここから、抜け出してしまえばいい。



 そうすれば、何も苦しまなくてもいい。


 どうして、あなたはここに留まるの?


 その声は、自分自身の心の声だった。



 ――結局。わたしは、わたし一人の力では生きていけないんだ。



 独りになるのが恐いから、自分を殺してまで聖女である事を演じるしかなかったのだ。


 だって、仕方ないじゃない。


 恐いんだから――。


 わたしは、そんなに強くないよ。

 誰か、助けてよ。


 そうやって、現実から逃げるように、悪魔の記憶に想いを馳せるのだ。



 ったこともないような、知らない誰かに助けを求めている。

 名前も得体もしれない誰かに、訳も解らずにわたしは想いを寄せるのだ。



 わたしの名前は、リラだ。


 わたしは聖女なんかじゃない。


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