【リラの書】第1章

第1節【悪魔の記憶】

 わたしには、記憶がない。


 幼いころの父の記憶が、うすぼんやりとあるだけで、ほとんどが歯抜けの記憶ばかりだ。

 わたしについて、解っていることといえば、自分が世界を救う――聖女であるということだけだ。


 わたしの瞳には、月瞳ムーン・アイズというまわしき呪いがかけられている。


 そう――これは、呪いだ。人々にとっては聖女の証しなのかもしれないが、わたしにとっては呪い以外の何ものでもない。この瞳のせいで、わたしは命と引きかえに世界を救う定めにあるのだ。



 聖女としての自覚を持てと、司祭たちに教えられてきた。


 そんなことは、はっきり言って知ったこっちゃないんだよ。だって、わたしはまだ恋も知らないような、十九歳の女の子なんだから。他の子たちみたいに好きな人と、楽しく過ごしたいんだから。


 それは、いけないことなの?



 ――ねぇ。本当に、駄目なの?



 何度もわたしは、自分自身にそう問いかけた。


 こんな現実ところ、さっさと抜け出してしまいたかった。機会チャンスがあれば、絶対に逃げ出してやるんだ。そう――わたしは聖女として、死にたくない。自由に生きて、恋をして、人並みの普通の女の人生を送ってやるんだ。


 だから、こんなクソみたいな他人任せな世界なんて、ぶっ壊れてしまえばいいんだ。

 わたしは、恋をする。



 恋がしたいんだ。




   ●




 ――光をくれ。



 眠るまえになると、わたしは遠い過去に想いをせるのが日課になっていた。


 古い記憶を掘り起こそうとすると、必ず浮かんでくるメロディーがあった。本当はそのメロディーには、別の呼びかたがあるんだろうけど、わたしには解らないから勝手にそう呼んでいる。



 ――光をくれ。



 わたしじゃない誰かが、それを歌っている。


 これは多分、わたしのなかに眠る悪魔の記憶なんだと思う。だから知らない人が、頭のなかを埋めているんだと思う。



 わたしのなかには、ラサという名前の悪魔がいる。そのせいで、わたしは悪魔に狙われているんだ。聖教団の騎士たちが、いつもわたしを護ってくれているから、いまのところは恐い目には遭っていない。


 ラサが男の人に、歌っている記憶がずっとわたしの心を埋めている。

 きっとラサにとっては、大切な記憶なんだろうな。


 わたしには縁のない感情を、悪魔が持っているのが――正直なところ、めちゃくちゃむかついた。


 だって。



 ――ねぇ。だってさ。



 わたしだって、恋がしたいんだもん。


 聖女は、恋をしちゃ駄目なの?



 悪魔が恋をしてるのに、わたしは恋をしちゃ駄目なの?



 気がつくといつもわたしは、悪魔の記憶に嫉妬しながら眠りについていた。


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