【ラスタの書】第1章

第1節《光の記憶》

 ――光。光をくれ。


 脳裏を何度もリピートするリディムが、光の記憶を蘇らせていた。



 六年前の出来事――それは奇跡と呼ばれるものだった――が、俺の心をいまも突き動かしている。当時、二十歳の俺は果てしもなくくらい絶望の奥そこで、死を待つことしかできないでいた。


 兄弟のように共に育った仲間に裏切られて、腹が裂けて致命傷を負っていた。もう、どうでも良い。どうせ死ぬなら、とっととくたばりたかった。そう思いながら、虚空を眺めていた。コザの街に立ちこめる暗雲が、雨期の訪れを知らせていた。くらい――そう、底ぬけにくらい空だった。そんなくそみたいな死期の中で、その少女は現れた。



 少女の言葉は、とても優しさに満ち溢れていた。そう――俺がそれまで、触れた事もないぐらいに――慈愛にいろどられた声だった。



 心が揺れた。



 死を受け入れた俺の心は、生きたいという意識に揺さぶられていたのだ。


 その瞬間、俺の意識の底からラガが浮き上がってきた。



 ――光をくれ。



 誰もが知るそのラガを、少女は歌った。その時、まばゆい光をたしかに俺は見たんだ。そしてその光は、俺にとっては『救い』となった。たんに命を拾ったという意味だけではなくて、絶望に包まれた俺のくらい心を照らしてくれていた。少女には、いくら感謝してもしたりない。



 俺はすっかり、その少女に魅せられていた。

 たとえ少女が聖女でろうが、悪魔でったとしても関係なかった。少女が何者でろうとも、俺は手放しで少女に惹かれていたんだ



 少女の為であったら、何だってできた。



 少女とその父親――リデルになかば強引に付いて行って、生まれ育ったコザの街を出ていった。糞ったれなあの街には、何の思い入れもなかった。

 リデルから少女の瞳に宿った呪いについて、聞かされた。



 三日月の浮かぶ少女の瞳は、月瞳ムーン・アイズと呼ばれていた。少女とリデル以外の人々は、それを聖女の証しだと信じて疑わなかった。だけどリデルたちは、そうは思わなかった。


 伝承によると、月瞳ムーン・アイズを持つ者は、二十歳を迎えた時に命と引き換えに世界を救済するとされていた。

 人々は少女を聖女とあがめて、持てはやした。とても、とうとい存在。神聖な御子みこ。ありとあらゆる賛辞さんじが、十四歳の少女を襲い掛かっていた。



 ――ふざけんな!



 腹の底から、そう思った。心の奥底から、こう想った。



 少女を呪われた定めから、救いたい。それが俺にできる唯一の恩返しなのだ。何があろうとも、必ず少女を助ける。


 けれども俺は余りにも無力で、ちっぽけな存在だった。

 どうしようもない程の衝動が、今もくすぶり続けていたんだ。



 明日、少女は二十歳の誕生日を迎えてしまう。けれども少女の行方は、五年前から解らなくなっていた。




   ●




「光をくれ。炎のゆらめき。その光をくれ」



 ハンの澄んだ歌声が、思考の渦から俺を現実に引き戻していた。男達のにぎわう声が、陽気にくらい空気をざわめかせていた。



 大きな火をいて、手を叩いて笑う者。酒をあおる者。歌う者や叫ぶ者――ならず者の一団が、そこには居た。だけど俺は、そんなならず者の彼らが大好きだった。名もなき盗賊団ではあったが、居心地が良かった。



 皆、気の良いやつらばかりだった。


 なかでも副団長のハンは、俺と同じコザの街の生まれであった。

 この砂漠に覆われた世界のなかで、コザの住人に出逢であえた奇跡に感謝した。これも、ジャーの導きだろうか。



 ハンは小柄な男であったが、とても筋肉質であった。身のこなしも軽快で、常に頭にターバンを巻いている。ラガと酒をなによりも愛していて、ほんの少しだけ女にだらしがないのが玉にきずだった。



「へい、ラスタ!」


 ハンがリディムを絶やさずに、呼び掛けてくる。



「しけたつら、してんじゃねぇ。何がつまんねぇか知らねぇが、俺のフローにびびってねぇってんなら、上げてみろ?」



 独特なテンポとリディムをめて、一息にそう歌うとハンは、二小節のバースに言葉の弾丸をめこんだ。



「ぶっぱなす弾丸。振り切るラスタ。俺は、解ってる。本当は恐くて、逃げてるだけ。俺の放つGunゴンと、ライム。こめかみ貫かれて、死ぬのが恐いだけ」



 皆が静かに、ハンに視線を注いでいる。

 金管楽器と打楽器の二重奏だけが、ハンの歌声に絡みついている。



 早口に――だけど心地の良いリディム。



「だけど、俺は慈悲を与えねぇぜ。やるのはキレてるフローと、キルだけ」


 軽快な一小節の後、一拍のあとスローダウンさせるハン。



「スローに放つフロー。俺の奏でるこの音が、ラスタの腹をえぐるブロー」



 沸き起こる歓声。

 吹き上がる感性。


 自然と心が、舞い上がる。


 挑発するように、ハンがこちらを手招きしている。



 ――舐めてくれるな。


 全く。上げてくれるな。 



 クラッシュを仕掛けてくるハンに、俺は応える為に立ち上がっていた。


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