糸を引く者 壱

小桃(桜の精)


ポタッ、ポタッ、ポタッ。


何かが垂れ落ちる音と冷たい風が体の体温を下げる。


寒い、体が重い。


ガシャンッ、ガシャンッ。


鎖が岩の床に触れる度に耳障りな音を奏で、手足の拘束を強めた。


起き上がる気力がなく、冷たい岩の床で寝たままの状態。


御丁寧に注射器で血を一日に何回も抜かれ、桃の果実を食事として与えられ。


鬼達はこれから何をしようとしてるのか。


何の為に、美猿王と鬼達はこの地に来たのか。


白虎はいつの間にかいなくなっていて、逃げれたのなら良いけど…。


カツン、カツン、カツンと階段を降りる音が聞こえる。


黒のセーラー服を着た星熊童子が、鉄格子の前に立った。


短いスカートから見える太ももには、十字架のタトゥーが彫られている。


「おはよう、お姫様。調子はどう?」


そう言って膝を降り、星熊童子は小桃の目線に合わせる。


光を宿してない黒い瞳。


彼女の陰の部分が現れていて、すごく怖い。


「起き上がれない?死には至らない量の血を抜いてるんだけどなぁ」


「毎日毎日、血を抜かれてたら起き上がれないよ」


「ふぅん、花妖怪って弱いんだね」


「何しに来たの」


喋る気力がないから帰ってほしいんだけど。


星熊童子は何かと、小桃のところに来て話し出す。


どうでも良い話がほとんど。


「お姫様って、好きな人いる?」


「え?なんで、そんな事を聞くの…」


「王がね、お姫様は悟空って奴にベタ惚れだって。そう言ってたから、同じ女の子なんだし恋バナ?でもしようかなって」


「は、はぁ…」


本当に恋バナがしたいのか。


それとも、別の狙いがあるのか。


「星熊童子は…、これから…、何をしようとしてるの」


「それ、恋バナと関係なくない?」


「貴方の真っ黒な目で、何を見てきたの」


小桃の言葉を聞いて星熊童子は、真っ黒な瞳で見つめてきた。


「ねぇ、目の前でさ。好きで好きで堪らない人が、愛してやまない人が首を落とされるのを見て、どう思う?」


ゾッとする瞳には、どれだけの憎しみが込められているのか…


きっと、想像以上に苦しくて見たくもない光景だったと思う。


好きな人が目の前で殺されて、平気でいられる訳がない。


寂しくて、切なくて、やるせない気持ちでいっぱいで。


あの細い体に、どれだけの絶望と怒りを持っているのだろう。


「ふふ、その顔見たら想像できたんだ。私の気持ち。そうだよ、私はこの目で絶望しか見てこなかった。王が殺されてしまったあの日から、私達は神々達にありとあらゆる拷問を受けたよ」


「ご、拷問って…。な、なんでそんな事」


「お姫様は知らないの?私達鬼と神達の戦の事」


「どう言う事…?」


小桃の言葉を聞いた星熊童子は、意地悪な笑みを浮かべる。


そして語られたのは妖と神、天界人達との間で起きた出来事だった。


「最初の戦に勝って、少しずつ天界人と妖達は分かち合うようになって。でも、人と妖が恋に落ちる事は罰せられる事だったの。皆んな、皆んな殺されたよ。神達は絶対に許す事はなかった」


「神達はどうして、妖をそこまで嫌うの?手を取り合って、世界を作ったんだよね?」


「結局、邪魔になったんじゃないかな。私達は毎日毎日、戦い続けて血を流し続けた。妖達も神達も、本当の意味で戦いに終わりが見えなかったのかも」


「美猿王と貴方達は…、何をするつもりなの…?世界を作り変える意外に、何かあるんでしょ?」


星熊童子の話を聞く限り、他にも企があるはず。


妖と神は平行線の上を歩いている。


けして、交わり合う事のない線を渡っている。


「天之御中主神の事を裏で操っている親玉を見つけ、炙り出す事が目的だ」


「夜叉?きたの」


階段を降りてきた夜叉は、星熊童子に暖かそうな上着を羽織らせた。


「ど、どう言う事…?天之御中主神が主犯格じゃないって、そう言う事?」


「俺達も最初はそう思っていた。だが、王を殺す事は

目的の一つに過ぎなかった。本当の目的は…、姫の心を壊して鬼達を封じ込める事だった」


夜叉は目を閉じ、当事の事を思い出しながら語り出した。



夜叉(鬼) 過去


ブシャッ、ブシャッ!!


どれだけ神を切り裂いても、俺達と同じ赤黒い血が噴き出すだけだった。


俺達と分かり合った天界人は、ほんの一握り。


九割の天界人は俺達を殺そうと、神々達の収集に応じた。


血肉が飛び散り、生臭い匂いが鼻を通る。


足元に転がる死体達を足で蹴り、姫の元に向かう。


天界軍人達の死体の山に腰を下ろしている姫は、刀に付着した血を拭っている。


一人で五百人の天界人を斬り殺したのか。


姫は戦を重ねる度に強くなり、劣悪になって行く。


終わりが見えない戦は、俺達にとっては好都合だった。


元々は神と言えど、人間であり必ず寿命が尽きる。


そして、心臓を突き刺さえば簡単に死ぬ。


俺達は致命傷を負っても傷の治りが早いし、心臓を貫かれたとしても再生力が早い。


「あー、夜叉。お疲れ様」


「姫、疲れてるだろ。早く帰ろう」


「うん、王が帰ってくるまで待ってる」


温羅と王の二人は天之御中主神邸に忍び込み、神達の動きを調査していた。


かれこれ調査に出て二週間は経つ。


「あ、帰ってきた!!」


姫が大きな声を上げながら、腰を上げ立ち上がる。


フード付きのマントを着た二人の男組が、俺と姫に向かって歩いていた。


「おー、派手にやったねぇ」


そう言って、フードを外したのは温羅だった。


「王っ、おかえりなさい」


「ただいま、月鈴。夜叉もご苦労だったな」


抱き付いた姫の頭を撫でながら、王はフードを外す。


少年だった王は成長し始め、細かった体は筋肉がつき始めた。


目付きは鋭くなり、王としての風格を漂わせる。


「王、おかえりなさい。どうでした?調査の結果は?」


「あぁ。どうやら天之御中主神は、牛鬼が死ぬ度に輪廻転生させ、破壊の力を与え出した。それに加えて牛鬼の野郎、他所で女を作ってやがったんだぜ?」


「女…ですか」


「しかも、花妖怪の女だぜ?ほら、神達が性欲処理に使ってる女共の事だ。その事に対して、天之御中主神が御立腹だったな」


王は気怠そうに、天之御中主神邸で集めた情報を話す。


「だが、天之御中主神が牛鬼のケツを叩く頃だ。それからよ、神の間で派閥が生まれ出した」


「派閥ですか…?誰派のですか?」

「お前、観音菩薩って分かる?あ、今の観音菩薩な」


「あの女みたいな顔の奴でしたっけ。観音菩薩派と天之御中主神派に分かれてると言う事ですか」


いよいよ神達の間で、なにかしらの変化が起きたと言う事か。


「王。我々の意見も聞かず勝手な行動をするのは、やめていただきたい」


俺と王の会話に入ってきたのは白鬼殿だった。


「王。お前さんは我等と妖達の王だろう?軽率な行動を慎んでもらおうか」


「爺さん、俺に指図する気か?」


スッと姫の体から手を離し、鋭い目付きのまま白鬼殿の前に立つ。


「お、おいっ、王!!落ち着けって!!」


「シュウセンに話してねーよ。おい、爺さん。今のままじゃ、妖達が全滅すんぞ。それに、この無駄な戦は天之御中主神の差金だ。俺達の戦力を削る為に、天界人の命を捨ててまでの計画だ。分かってんだろ爺さん、これは無駄な戦だってな」


「そ、それは…」


王と白鬼殿の間に割って入ってきたシュウセンは、口

をつぐみながら後に下がる。


王の言っている事は間違ってない。


現に、妖達は傷が再生する前に死んでいっている。

無理もないだろう。


戦は毎日のように続いていて、体を休める暇もない。


天界人が夜に奇襲をかけに来る所為だ。


妖達の精神が擦り切れる中、ただ一つの希望を抱いて戦ってきた。


それは"王"の存在と強い忠誠心だ。


天界人と結ばれた妖達も、妖と結ばれた天界人達も王

への忠誠心だけは衰えなかった。


妖達と混じって、俺達側の軍人として天界人が戦に出る事が増えた。


一度の戦で天之御中主神を暴いたとしても、現状は大きく変わる事はなかったのだ。


王が命を落として、牛鬼が命を落として。


何度も何度も輪廻転生をして、血の絶えない戦を繰り返して。


王だけは、世界を変える事を諦めなかった。


だがら、危険な事は自分一人だけで密にするようになってしまったのも。


俺達や妖達を死なせない為、王は何一つ変わっていない。


ただ、王が死ぬ度に姫の心と精神が破壊されていた。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だっ!!!」


「姫、落ち着け!!王は生き返るんだ!!」


消え行く王の体から姫を引き離し、両肩を掴む。

王がかつて言っていた通りに従った。


消滅して行く体に触れると、こっちの体も同じように消滅してしまうそう。


王は一度目の死の時に、自分の体に触れていた天界人の体が消滅したと話した。


「大丈夫だ、姫。王は必ずお前の場所に帰ってくるんだ。言われただろ、消滅する時に体に触れるなって」


「本当に?」


「え?」


「本当に生き還るの」


姫の綺麗な紫色と黒色のオッドアイの瞳が、墨汁をかけたように真っ黒に染まっていた。


大粒の涙を流しながら、姫は口元を緩める。


「王が死ぬ度に、こんな思いするのは嫌。生き還らなかったらどうしよう。本当に王は私の所に還って来てくれるの?ねぇ夜叉、私はいつまで?こんな思いをしなきゃいけないの?」


姫の今の顔は悲しいと呼べる表情ではない。


"絶望"と言う二文字の言葉が頭をよぎってしまった。


「王は帰ってくるって言うけど、本当に帰って来れるの?もし、輪廻転生しなかったら?何年、何十年、何百年も待っても還って来なかったら?」

 

「姫、王は必ず還ってくるよ。現に今までも、遅い時はたまにあったけど…。還ってきたじゃないか」


「王と体を重ねてる私だから分かるの。王は…、無限に輪廻転生が出来る訳じゃない」


「何だって…?もう一度、言ってくれ…」


「王の命の線が細くなってきてる。まだ、心配いらないと思うけど…。今みたいに、無茶苦茶な闘い方をしていたら…、本当に還ってこなくなるよ」


姫と王は恋人同士だからか、お互いの事はよく理解していた。


命の線と言うのも、本当の事なのだろう。


王にこれ以上、無茶をさせない方が良さそうだ。


その顔をもう二度と見たくないと心底、心の中で思った。


それに加え、最近の白鬼殿は様子が変だ。


俺達と共に戦に出なくなったし、王に口答えするようになった。


そんな白鬼殿に対して、疑心を湧いたのは俺達だった



「白鬼殿こそ、王に口答えかぁ?戦にも出ない爺さんが、王の決定に口を出すな」


そう言って、金平鹿は白鬼殿を睨み付ける。


コイツは姫の次に、王の事が好き過ぎる男だ。


「なんじゃ、金平鹿。わしに汚い言葉を吐くようになったのか」


「白鬼殿は俺等の王じゃねーだろ。王の考えが分かんねーのかよ」


「あ?分かる訳なかろうが、神通力なんぞも使えんのだしな。それに、王よ。貴殿は半妖の身でありながら、何故に陰陽の技を会得なさったのだ」


白鬼殿はそう言って、王をギロッと睨み付ける。


そうか、白鬼殿が気に入らなかったのはそこなのか。

"陰陽の技"


神共の間で対妖用の技を作り上げ、天界人に会得出来るように授業を行い出した。


それが功を制したのか、王は陰陽の技を受けた瞬間、光の刃で心臓を撃ち抜かれて死んでしまった。


一瞬の出来事で理解が追いつかなかったが、ヤバイ事だけは分かる。


王は二年後に輪廻転生を経て、再び産まれた。


すぐに天之御中主神邸に潜入しに行き、陰陽の技の会得方法を調べてきたのだ。


王は一度決めたら、行動に移すのがとにかく早い。


陰陽の技を王が会得したのは、二週間後の事だった。


俺達も王から陰陽の技の授業方法を聞き、技の会得に励んだ。


王は俺達を強くする方法を見つけ出しているのに。


なのなぜ、白鬼殿はそれを拒絶する?


そう言って、白鬼殿は自分の家に帰って行ってしまった。

 

「どう思う、温羅」


「そうだねぇ…、黒に近い灰色って所じゃないかな」

 

「だよな、最近の爺さんの行動と言動が怪しい。縊鬼を監視に付けたんだが…。どうやら、今の毘沙門天と頻繁に接触しているらしい」


王の言葉を聞いて、俺達は目を丸くした。


「唆されたって事かよ!?信じられねー、マジで。何考えてんだよ、あの白鬼殿は」

 

「白鬼殿は僕達を裏切る気だよ。毘沙門天の提案に乗ろうとしてる」


「縊鬼!?テメェ、いつの間に戻ってきてたんだよ!?ビビるだろ!!」


「白鬼殿と顔を合わせたくなかったから、タイミングを見て来たの。毘沙門天の提案ってのは、王を殺す事。この終わらない戦を始めたのは王だろって」


ピクピクッと金平鹿の眉間皺が動き、今にも叫び出し

そうだった。


「そんな事だろうな。爺さんは誘いに乗るだろうな、間違いなく。だが、あえて泳がす事にした」

 

「どうして?殺した方が良いよ。絶対に王の邪魔をするよ?」


「月鈴。天之御中主神は何か計画をして、毘沙門天を動かしてんだ。その計画がなんなのかを知るまでは、爺さんを殺すのは惜しい。それに、爺さんの体に呪術を仕込んでおいた」


「呪術…、もしかして縊鬼の?」


「何の為に縊鬼を監視に付けたと思う?こうなる事が予想出来たからだ。お前が俺の女になった時から、爺さんは俺の事を嫌い始めていたしな」


そう言って、王は姫の髪を優しく撫でる。


俺達は王からそんな事を一言も聞いていなかった。


姫と王が恋人同士になって、もう数年は経つ頃だ。

白鬼殿はその頃から、王を裏切っていたと言うのか。


「どうして、言ってくれなかったんだよ王!!言ってくれたらっ」


「お前等、爺さんとは長い付き合いだろ。言うタイミ

ングがなかった。悪りぃな」


金平鹿は泣きそうな顔をして、唇を強く噛んだ。


こうやって王が謝る時、俺達は、何も口出しは出来ないと言う暗黙の了解が出来上がっている。


そうだ、王は優しいお人なのだ。


いつも俺達を優先に考え、傷付かないように道を作ってくれる。


俺達はそんな王に甘えているし、頼っても欲しかった。


そしたら、あんな事は起きなかったかもしれなかった。


夜叉(鬼) 現在


閉じた瞼を開け、鉄格子の向こう側にいる花妖怪に目を向ける。


「良いか、女。俺達の為…いや、王の為に血を出し続けろ。

 

同族は無闇に殺さないのが、うちのルールだ」


「貴方達が美猿王を失って、星熊童子がどれだけ辛い

思いをしたのかは…、分かる。悪い神を止めようとしてる悟空達とは…、分かり合えないの?」


女は泣きそうな顔をして、俺と姫に訴えてきた。


俺が答える前に姫が静かに口を開き、女の問いに答えた。


「お姫様、この世はそんな甘くないよ。きっと、王と悟空って人は考え方が違うの。王は優しいよ、身内にだけは。それ以外には優しくないの。私達もそう、他の人なんかどうでも良い。簡単に殺せちゃう」


「ちゃんと話した事ない…のに…?決め付けちゃうの?」


「もう、他人を信じる事に疲れたの」


そう言って姫は腰を上げ、俺の方を振り返る。


「行こう、夜叉」


俺は黙って姫の手を引き、地下牢を後にした。




同時刻 下界


牛魔王(宇轩) 現在


バチンッと弾ける音がし、慌てて目を開けると見慣れた赤い天井が視界に入る。


「やぁ、君が牛鬼の器になったガキか」


見慣れない男が俺の顔を覗き込み、いやらしい笑みを浮かべていた。


何なんだ、この男は。


「人の顔を見て、なに笑ってんだ…、テメェ」


喉がカラカラで、声が掠れて上手く喋れない。


何だ…、これ。


自分の体じゃないような、変な違和感が全身に伝う。


「牛魔王の魂を人形に移動出来たな。後は処分するだけで良いのか」


男はそう言って、後方に視線を向けた。


「えぇ、コイツはもう必要ありませんからね。ただ、影を操る能力だけは牛魔王の体に残りましたが」


「破壊の力があるだろ、俺と同じ。ないのなら、また入れてやるよ」


「それは助かります」


男と牛鬼の声が遠くから聞こえるのは、俺がおかしいのか。


すぐ近くで会話をしているはずなのにだ。


「なら、このゴミは近くの森にでも?確か、崖があったはず…」


毘沙門天の言葉を聞き、思わず自分の耳を疑った。


ゴミ?


それはもしかして、俺の事なのか。


何故、俺が毘沙門天にゴミと呼ばれなければならない。


俺と牛鬼の体が引き剥がせれたとか言わなかったか?


ようやく俺は牛鬼の呪縛から、逃れられる事が出来たのか?


「今まで御苦労だったな、牛鬼。お前はもう、お役御免だ」


牛鬼は俺を馬鹿にしたような目を向け、フッと口角を上げた。


ガッと乱暴に髪を捕まれ、むりやり起こされる。


鏡に映った自分の痩せ細った体と、幼くなった顔が目に入った。


それと、失われたままの左目と左腕。


牛鬼もそれは同じなようで、どう言う原理で引き剥が

されたのか…。


「殺した方が早くないですか?コイツ」


吉祥天とか言ったクソババァが、とんでもない事を言い出した。


何言ってんだ、このクソババァは。


俺は良いように使われるだけ使われ、後は捨てるだけだと?


笑わせんな。


俺の人生をめちゃくちゃにしておいて、呆気なく死ぬだと?


俺は負の感情を糧に、負の感情から産まれた存在だ。

簡単に死んでたまるかよ、糞野郎どもが。


「ふざけんじゃねーぞ、糞野郎どもが」


「あ?」


「お前等なんか糞野郎で十分だ。糞同士で群がりやがって。臭くて仕方がねぇな」


牛鬼の眉間がピクピクッと動き、俺の胸ぐらを掴んできた。


「雑魚のお前が俺達を糞呼ばわりか。貧弱なお前によ、何が出来ると言うん…」


ブシャッ!!!


ボトッ。


勢いよく飛んだ牛鬼の右手が、赤い血を撒き散らしながら床に落ちる。


シュルルルッ。


糞野郎共の体から出来た影が鋭い刃の形を成して、俺の周りを蠢く。


ザァァァァア…。


うごめていた影が砂状に線形し、呆気なく床に崩れ落ちる。


天之御中主神と呼ばれた男の手から、黒い靄のようなものが出てきていた。


「威勢のいいガキは嫌いじゃねーよ?ただなぁ、相手見てからした方が良いぜ」


「それが破壊の力か、誰が相手だとか関係ねぇよ。俺はお前等とは縁を切るって決めたんだからなっ!!」

 

俺は近くにあった薬瓶を手に取り、思いっきり床に叩き付けた。


ボンッ!!!


ブワァァァァァッ!!!


「ゴホッ、ゴホッ!!」


「大丈夫か、吉祥天っ!!まずい、牛魔王が逃げるぞ!!」


吉祥天の咳払いする声と毘沙門天の叫び声が交差する。


今はそんな事を気にしている場合ではない。


影で作った狼の背に跨り、部屋を飛び出し廊下を走り抜ける。


ブワァァァァァッ!!!


黒い靄が凄まじい速さで後を追い掛けてくるのが、視界の端から見えた。


廊下全体を覆う程の大きな霧が、俺を飲み込もうとしている。


長い廊下の曲がり角を利用しながら、黒い霧と距離を取ろうと試みる。


だが、黒い靄は速度を緩める事なく加速して行く。


「何なんだよっ、あの霧はっ」


屋敷の構図を思い出しながら、廊下を走り抜けるのにも限界があった。


今、俺がいるのは二階のどこかの廊下だ。


数メートル先にある右の曲がり角を曲がれば、大きな窓があった筈。


窓から飛び降りて屋敷の外に出るしか方法はない。


二階から降りたとしても、大した怪我はしないだろう。


タタタタタタタッ!!!


右の曲がり角を曲がった瞬間、体が宙に浮き上がった。


状況を理解にするのに三秒程、時間がかかってしまった。


黒い霧が影を飲み込んでいたのだ。


パリーンッ!!!


グサグサッと体にガラスの破片が刺さり、赤黒い血が飛び散る。


夕暮れの灯りに照らされたガラスの破片が眩しい。


ゆっくりと半円を描くように体が浮き、地面に向かって落ちて行く。


何故か、悟空の顔が浮かんでくる。


アイツにしてきた事、騙す為に側にいた時の記憶が。


体が重い、瞼が重い。


俺は何故、こんな時に悟空の声が聞きたいんだ。


「牛魔王っ!!死んだらだめっ!!」


聞き覚えのある女の声と白い肌の手が、俺の手を強く握る。


何故、お前が俺を助けるんだ。


その瞬間、俺の意識が音を立てて途切れた。

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