第3夜
レトルトの白米を買いに行こうと外へ出た時、市川さんが小さな声で呟いた。
「あ」
「どうしました?」
玄関から一歩踏み出したまま動きを止めた市川さんを振り返り見る。
市川さんはまるで鳩が豆鉄砲を食らったようにポカンとしていて、しばしの沈黙の後に一言。
「僕の部屋、多分貴女の部屋の隣です。」
「本当ですか?」
「多分、確認していいですか?」
そう言うと私と市川さんは左隣の部屋の表札を確認する。これで違っていたら完璧にヤバい奴らだ。
半信半疑で確認してみると表札には『市川』と書かれたプレートが差し込まれていた。
「本当に市川だ・・・」
「ですね・・・え?すごくないですか?」
二人揃ってまるで狐に化かされたかのように呆けてしまう。
だってたまたま保護した男性が隣人さんだったなんてそんなできた話が・・・。
「ちなみに聞きますけど―――」
「偶然ですよ!?」
食い気味に市川さんが私の言葉を遮る。確かに自意識過剰かもしれないけれど普通こんな偶然あるとは思わないじゃないか。
「事実は小説より奇なりとはよく言ったものですよね。」
「ですね」
まさかの隣人さんとの顔合わせがこんな形で行われるとは思ってもみなかった。
確かに隣人さんがいることは知っていた。でもお互いの生活リズムが違いすぎて顔を合わせたことは一度もなかったはずだ。
「こんな形で隣人さんのこと知るとは思ってなかったですけど、あの、自己紹介を・・・私まだでしたよね、すみません。緒川春樹です。よろしくお願いします。」
お辞儀をすると、市川さんも「よろしくお願いします」と丁寧にお辞儀を返してくれる。
まるで名刺交換のようで思わず二人そろって笑ってしまった。
「朝食が冷めてしまいますし、そろそろご飯買いに行きましょうか。」
ふふっとまだ少しだけ笑いながら市川さんが言うので私も「そうですね」と返してご飯を買いに行った。
この日の朝食をきっかけに私と市川さんは一緒に朝食を食べたり、夕飯兼飲み会などをする仲へとなっていった。
――――――――――――――――――
それから少しだけ月日は巡り、12月のある日。
私はいつもの様に日課になった散歩をしていた。と言っても冬の間は時間を変えて深夜1時だったものを4時に変えた。流石に冷えるし何より、よる君が女性の一人歩きは危ないから時間を変えて欲しいと言ってきたからである。
最初は大丈夫と笑いながら言っていたのだが、よる君があまりにも必死な顔で言うものだから私の方が折れてしまった。
それにもう一つ変わった事がある。
「よる君大丈夫?寒くない?」
そう、私の日課の散歩による君が同伴するようになったのである。
そんなよる君は鼻の頭を赤くさせながら、少しだけ不機嫌そうに答える。
「子供扱いやめて下さい。カイロも持ってきましたし大丈夫です。」
「ごめんね、4つも下だとなんだか弟みたいなんだもん」
ご飯を一緒に食べるようになって少しした頃、本当に何となく聞いた質問により発覚したのが年齢の事だ。
『市川君って何歳なの?』と聞くと、よる君は『24歳ですよ』ときょとんとしながら答えてくれた。24歳・・・若いな。と思ったのを今でも覚えている。
それから『別に無理して一緒にご飯食べなくてもいいんだよ?』とも言った事がある。24歳といえば遊びたいだろうしそれにもしも彼女がいればそっちを優先してほしいとも、するとよる君は少し何か考えたあと『迷惑ですか?』とまたあの最初の頃に見せた迷子の顔をしたものだから私は『迷惑じゃないけど』と返すとよる君は笑って『じゃあ、大丈夫です』と返したのでそこからこの話題は出していない。
なぜだかこの話題を出すとよる君の目が笑わなくなるからである。顔の整った彼がやると正直怖いのだ。
そんな事を思い返しながら歩いていると、「ぼーとしてたら危ないですよ?」と言いながらよる君に腕を引かれる。はっと我に返ると私の真横を自転車が通りすぎていった。
「ありがとう」
そう伝えようと視線をよる君の方へと向けようと顔を上げると、予想よりも近いところによる君の顔があって驚きで固まってしまう。
「いえ、それよりも考えごとしながら歩いてたら駄目じゃないですか!僕がいたからよかったけど、下手したらぶつかってましたよ!・・・?聞いてますか?」
あまりにも反応を示さないで固まっている私を見てよる君は不思議そうにしている。
「あの」なにか言おうとしたよる君の言葉を遮って
「ごめんね!ありがとう!考えながら歩いてたら駄目だよね!今度から気を付けるね!」
と早口で言いながらよる君から一歩だけ後ずさりして顔をそむける。
照れて顔が赤いところを見られたくなかったからだ。
そんな私の些細な抵抗もむなしく
「もしかして、照れてます?」
とよる君が言ったので私は顔を背けたまま弱弱しく
「そうですけど」
とだけ呟いた。それからお互いに喋らず暫くの沈黙の後、ははっと笑い声がしたのでチラッと少し前に視線を向けるとよる君が見たこともない顔でほほ笑みながら私を見ていたからまた照れてしまって視線を逸らしてしまった。するとよる君が呟いた。
「嬉しいです。僕で照れてくれて」
決して大きくなかったその呟きがやけにはっきりと聞こえてはっとした私は顔を上げた。
よる君と目が合う、私はどうやって返していいのか分からずに視線をさまよわせていると鼻をつままれる。
「そんなに困らないでくださいよ」
鼻をつままれながらよる君の顔を見ると今度は困ったように笑いながら言うものだから「ごめんね」とだけ小さく呟くと鼻をつまんでいた手は離れ、数回頭をぽんぽんと撫でられたが不思議と嫌な感じはしなかった。
「別にいいですよ、もともと長期戦になる気はしてましたから」
「へ?」
「情けない声ですね、つまりそういうことです」
そういう事とはどういうことなのか、よる君は満足そうに笑っている。
私はというと脳のキャパをこえた状態で帰宅して真っ先にやった事は
『長期戦 そういう事 検索』
という訳の分からない事だったし、考えすぎて翌朝熱が出たのであった。
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