第13話 黒の過去
酷く入り組んだ道とも呼べぬ様な場所を、彼の手を借りながら進んで行く。
時に下り時に上り、彼の案内がなければ確実に迷ってしまうだろう道を進んだ先には、ここがスラムだとは思わせない程に美しい光景が広がっていた。
色とりどりの花が咲き誇り、幼い子供たちが柔らかな平原を楽し気な声と共に走り回る。
そして暖かな日の光を受け、清潔感のある白い壁の小さな教会が建っていた。
「ここが俺らの家。古い教会を皆で綺麗にして住んでる」
「凄いな、コレは……」
「あっ!ビーちゃだ!」
「そのお兄ちゃんだれ~?」
「ビーちゃの、おももたち?」
目の前の光景に見とれていると、こちらに気付いたらしい子供たちが走り寄ってきて、彼と二人あっと言う間に囲まれてしまった。
次々と聞かれる質問の中、共通して気になる点があった。
「ビーちゃ?」
「Bianco.《ビアンコ》(白)って言いたいけど言えないから、ビーちゃって言ってるんだよ。
ちゃんといい子にしてたか?」
「したよ!」
「お花に水あげたの!」
「ネコつかまえたの!」
口々に手を挙げて元気よく答える子供たち一人一人に頷き、褒めて頭をなでたり服についた汚れを掃ってやったりと、まるで母親のようだな。
「そかそか、ケガしない様に遊ぶんだぞ。洗濯物は纏めたかー?」
「やったー!!」
子供たち全員が大きく手を振り上げ、忙しなく周囲を駆け回る。子供ってこんなに元気なものだったのか。
見ているこっちの目が回ってしまいそうだ。
だが、子供の探求心を舐めてはいけない。
子供特有のなぜなに質問に答えていたのだが、その答えからまた新たに疑問が生まれ終わる気配が微塵もない。
「ほら、困らせちゃダメだろ?あっちで他の子供たちと遊んどいで」
その言葉に不満げな声を漏らす子供たちに彼が何か囁くと、次の瞬間には不満げだった顔は笑みを浮かべ「また後でね!」
そう言って他の子供たちの所へと走っていった。
「なんて言ったんだ?」
「このお兄ちゃんは暫く泊まっていくから、また後で聞きなさいって言った」
「つまり先延ばしにしただけだよな?」
「ご名答!」
わざとらしく手を叩いて見せる彼に冷めたような目を向けてしまった俺は悪くないと思う。
「まぁ、さっきみたいなことは無いと思うから安心してくれ」
気まずそうに目を逸らしながら__長い前髪に隠れ見えていない為恐らくだが__彼は言った。
が、実際はどうだ。
俺も彼、ビアンコも子供たちの好奇心を甘く見ていたようだ。
子供たちと離れた後、ビアンコと共に慣れない洗濯や料理などをしてゆったりとした時間を過ごした。
どれもこれも俺にとっては新鮮で目新しいもので、久々に楽しいと感じたが、夕食もその後もさながら戦場のようだった。
初めて出会った時にされた比でない程の質問の数々が、俺を襲った。
一つ答えればその質問がさらに増える悪循環。
正直何を聞かれ何を答えたのか、もう覚えていない。
「お疲れ」
「…笑って見てないで、早く助けてくれればよかっただろう」
あの時も思ったことだが、ビアンコは意外と意地悪というか嬉々として相手の嫌がるような事はしないが軽い悪戯などは好きなんじゃないだろうか。
「飲み終えたコップはその机に置いといてくれ。毛布はコレな」
「ありがとう」
だが、久しぶりに忙しくも楽しく有意義な時間だった。
裏もなく純粋な言葉や笑顔を向けられたのは、いつぶりだろうか。
「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「なんだ」
「名前、不便じゃないか?」
「………。」
その言葉に、俺はただ黙って下を向くしかなかった。
子供たちの怒涛のなぜなに攻撃のさなか、俺は自分の名前だけは答えなかった。
俺の名前は、父の影響で何かしら有名だ。
いい意味でも悪い意味でも目立つこの名前を言ってしまえば、この場所に居られなくなってしまうのではないかという恐怖が首を絞める。
どう足掻いても、この名前《呪い》からは逃げられないのか……。
「…赤?でもどちらかといえば夕日みたいな茜色に金色の髪。
んー、行動力もあるしなぁ」
まじまじとこちらを見て、色の名前などをブツブツとつぶやく彼。
顔を上げその様子を見ていたが、急にどうしたと言うのか。
「……あっ、レオポルド!レオポルドなんてどうだ?」
「急にどうした」
「名前だよ名前!」
「誰の」
「お前以外誰がいるんだ?」
「……………………………は?」
急に大声を出したかと思えば、俺の、名前?
「名前がないと不便だろ?せめてここにいる間だけでも全部忘れて、好きに生きればいいじゃないか」
あー、でも安直すぎるかな…。
なんて言って頭を抱える彼に、俺はどう答えればいいかわからなかった。
Leopold.《レオポルド》
【彼は勇気と勇敢さを持つ】という意味だったか…。
「そっ、そんなに嫌だったかっ?!うわぁぁっ、ごめんな!!」
「?」
何をそんなに慌てているんだ?
「もしかして、気付いてない?………泣いてるぞ」
言われて、自身の頬に手を当てれば確かに涙が流れていた。
兎に角止めなければと慌てて袖で拭うも、涙が止まる様子はない。
「ちがっ、嫌なんかじゃない。ただ嬉しくて……そう、嬉しい筈なのに、止まらないんだ」
拭ってもぬぐっても、涙は止まるどころか勢いを増して溢れ出してくる。
忘れていい。軽率だったと口にする彼に嗚咽交じりにそう答え、涙を拭ってくれていた手を掴み、信徒が祈るように自身の額に押し当てた。
許されたと思ったんだ。
重く圧し掛かるこの名前から逃げてもいいのだと。
ただの子供でいてもいいのだと。
俺という、ただの個でいいのだと。
握られた手はそのままに、ビアンコはもう片方の手で優しく俺の頭を撫でてくれていた。
その後、いつ眠ってしまったのか分からないが、いつもとは違うベットで目が覚めた。
ビアンコは俺に握られたままの手はそのままに、ベットの縁に肩肘を枕に眠っていた。
「(温かい)」
繋がれた手もこの空間も、そして彼自身も。
「ん~、起きたの…?」
「…あぁ、すまないな。ここまで運ばせてしまったのもコレの事も」
未だ繋いだままの手を軽く持ち上げて見せれば、気にするなと彼は笑った。
「じゃあ、早く着替えて朝ごはんにしようか」
「そうだな」
名残惜しいが、このまま手を繋いでいたら俺も彼も何もできない。
それに昨日会ったばかりの、見るからに訳ありそうな奴とそもそも手を繋ぐなんて彼にとっては苦痛だったんじゃないだろうか。
「そぉぉいっ!」
「うおっ!?」
何故か勢いよくビアンコにシャツを脱がされ、その勢いのまま何処に用意してあったのか新しいシャツを着せられた。
「追加!」
「んぎゅっ…!」
そして首から鼻辺りまで、何か柔らかなもので覆われた。
「下はそのままで大丈夫だろ」
「きゅ、急になんだ?!」
「今日は寒いからな~、風邪ひかないようにそのマフラーも付けときなよ」
俺のだけど使ってないからやるよ。
そう言って首に巻かれたマフラーは、彼と同じくらい温かかった。
「行くぞ~、今日は昨日買ってきた野菜で温かいスープとパンにしようか」
手早く着替え終えた彼は、口元しか見えないが子供たちに見せていたのと同じ柔らかな笑みを浮かべていた。
話したくないと思ったことがバレていたのだろうか。
「…ありがとな」
「何か言ったか?」
「いや?何も言ってないぞ」
子供扱いされている様に感じるが、決して嫌ではなかった。
むしろ少しくすぐったくて、どこか心地よかった。
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