第3話

表情に出さないようにしているが、その声色は赤の他人からすれば何の変哲もないだろうが家族として長い時間を過ごしていれば、心配の声が混ざっているのが分かる。


心配性な祖父を少しでも安心させようと笑って見せれば、僅かにだが祖父も笑みを返してくれた。




それに背を向け、茨の中に足を踏み入れれば、そこはまるで別世界のようであった。


淡い水色の茨は僅かに入り込んだ日の光に照らされ輝きを放ち、小さな氷の結晶達は羽のようにふわりと舞っている。


いつか本で読んだダイヤモンドダストのようだ。


幻想的な空間に魅せられながら進んだ先には、茨で形作られたドーム状のものが見えた。


「美しいな」


それ以外に言葉が出なかった。否、言葉が出せた事さえ奇跡にも等しい。


白雪のような人だった。


処女雪のように白くまろやかな肌。


猫っ毛なのだろうか所々跳ねた黒檀のような黒髪。


これだけでも十分過ぎるほどに美しいが、それ以上に彼の美しさを惹き立てるのは、点々と咲いた小さな深紅の薔薇達だ。


「血を吸って…いや、違うな。


治しているのか?」


深紅の薔薇が氷本来の色へと変化するのと同時に、心なしか彼の白い頬が淡く色付いている様に見える。


「……?」


物音で起きたのか、薄っすらと瞼を持ち上げ何度か瞬きを繰り返した彼は、ゆっくりとこちらを見上げた。


「……なんで、貴方がここにいるんですか」


レオさん___


小さくかすれた声で、彼は俺を見て誰かの名を呼んだ。


俺を見上げる彼の色鮮やかな深緋色ガーネットの瞳は、今だトロリと溶けていたため、ハッキリとした意識は無いのだろう。


「すまないが俺はレオさんでは無いぞ。


ある程度傷口は塞がれているようだが、ちゃんとした治療を受けたほうがいいだろう。


その為にここから運びたいんだが、……異能を解けるか?」


「…貴方の頼みなら、いいですよ」


反ば賭けだったが、彼は既に異能を自身で操ることが出来るらしい。


なら、何故あの入り口を塞いでいた氷達は自我のようなものがあったのだろうか。


普通、異能にあのような自我は無いはずだ。


彼自身がそうさせていた?


だが、あの氷達に彼の意思らしきものは感じられなかった。


異能自体が考え、行動していたように思えた。


俺が考えに没頭していると、目の前の彼がゆっくりとした動作で片腕を持ち上げたのが視界に映った。


それに慌ててそちらを見れば、彼は小さく手を振り動かした。


その動作だけ。その動作だけで、周囲を覆い尽くしていた氷の茨が、まるでその場に溶け込むかのように消えていった。


あまりのも非現実的で幻想的な光景だった。


「……なぁ」


「あっ、あぁ、どうした?」


目の前で起こった出来事を上手く処理できず、目を奪われていると服の裾がクイックイッと引かれた。


「名前を、教えてほしい」


先よりは意識がハッキリとして、るのか?


「まだ言っていなかったな。俺の名前は皇雪叶ゆきとだ」


答えれば、彼はまるで自身に刻むかのように小さく何度か俺の名前を繰り返した。


そして恐らく彼自身の名前を言おうとした彼をやんわりと止める。


「名前はその傷がちゃんと治ってから聴かせてくれ」


「……ん」


何故?と目で語る彼に苦笑とともにそう言えば、彼は口を閉じた。


彼の身体は休息を欲している。


ならばこれ以上無理に話させる事はないだろう。


その証拠に、俺の名前を聞いたときもそして今も彼は下がる瞼を必死に持ち上げようと格闘している。


それに彼の額に手を当てれば発熱も起こしているらしく、小さく吐き出される息も熱を帯びているようにも感じる。


「今はとにかく休め」


「Va Bene.(了解)」


…今のは、外国の言葉だよな?懐かしい感じがするが英語では無いようだな。今度調べてみるか。




「お爺様、お話があります」


「奇遇だな。私もお前に話がある」


救急隊員に運び出される彼を見つつ隣に立つ祖父に話しかければ、祖父からも俺の話そうとしたこととは少し違ったが、同じ様な話をされた。


「後は彼が了承してくれればの話だがな」


「ご安心を。了承させますので」


してもらうのではなく、させるのだ。


まずは外堀を埋めなければ、逃げるのが得意な彼はすぐ逃げていってしまうから。


ゆっくりと、だが着実に囲わなければあの警戒心の強い黒猫はすぐに離れていってしまうから。


彼とは今日初めて会ったばかりの筈なのに、何故かそう思うのだ。


「犯罪行為は許さんぞ」


「警官志望の私がするとでも?」


「変なことだけはしないように」


「分かってますよ」


氷のように冷たく、そして甘く蕩けた赤い瞳を思い出す。


美しく汚れを知らぬかのような純粋な赤。

いや、例え知っていたとしてもあの赤はきっと穢れることすら知らぬのかも知れないな。


唯一の何かを乞い願い、その為だけに光る強い意思の宿った赤い瞳。


あの赤が輝く様を、彼の隣で見たいと思った。


その唯一が俺であって欲しいと望みさえもした。


今この時を逃せば、彼とは二度と会えないと俺の内の誰かが言った。


絶対に離すなと。今度こそはと誰かが叫ぶ。


離すわけがない。逃しはしない。


俺は魅せられた。埋まることのなかった心の穴が埋まる感覚がした。


アレは、彼は俺の__だ。


「彼も随分とこの悪魔に気に入られてしまったようだ」


ニヤける口を隠そうともせず、考えにふける孫を見ながら小さく呟かれた総司の言葉は、誰に聴かれるでもなくその場に溶けて消えていった。








◆◆◆◆






懐かしい気配がした。


暖かくも剣の様に鋭い彼の気配が。


でも、あの人じゃなかった。


あの夕日のような瞳は懐かしいけれど、彼は俺よりも少し幼かった。


あの人に似ているだけの、別人なのだ。


会いたい。あの人に会って、謝って、また隣に立ちたい。


そして許されるのなら、今度こそ最後まで共に生きたい。


もう叶うことのない願いだけど、願わずにはいられないのだ。


戻りたい。


あの戦場に。彼らと背中を預け共に戦ったあの場所に。


帰りたい。


あの家族の元に。笑顔と幸福が詰まったあの家に。




それに、俺はまだあの時の答えを聞いてない。




「俺は貴方の__になれましたか?」






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