第4話 赤の過去

「これで、この国のNo.073は死んだ」




俺を閉じ込め、この国に縛り付ける為の大きくも狭い鳥籠。


決して逃げられない純白な檻の中に、彼は色鮮やかな色彩を纏って現れた。


月の雫が溶け込んだかのような淡い金髪に、油断すれば飲み込まれてしまいそうになる夕日を思わせる美しい緋色の瞳。


どんなに美しい宝石も、彼の前では霞んでしまうと思わせるほどに美しい人。


とにかく彼は完成された美をその身一つで体現していた。


彼を見て、彼はこんなところに来ていい人では無いと思った。


ここに来るのは俺の主人だと宣う、油まみれの見る者に不快と嫌悪しか抱かせない肥え腐った貴族と王族。


それと感情を消された哀れな奴隷の彼ら彼女らだけ。


あぁ、違うな。消されたのではなく自分で消したのだったな。


そうでなければ生きることが出来なかったから。


来るはずのない救いに縋るより、そちらの方が明日を生きれるのだと誰かが言っていったな。


でも、それは生きながら死んでいるのと同じだろうに。


それが正しいことだと、自分達に救いや希望などありはしないのだからと語っていた。


この国では自分の意志で死ぬことなど叶わないのだから。


だから俺は、連中が氷の彫像にしろと連れて来る奴隷達に必要最低限の知識を教えてはここから逃すの何年も続けていた。


連中には氷だけで造り出した彫像を渡した。連中はそれを大喜びで照を叩き周りの奴らに自分のが美しいと自慢する。


自らの欲望しか考えない無能共が。


連中が氷の彫像にしろと奴隷を連れて来た日と受け取りに来た二日間だけ、俺は俺の能力を使える。


それ以外は馬車の荷台に作られた檻に入れられて連れて行かれる戦場だけ。


戦場は兵に任せ、自分達は後方で野次を飛ばし踏ん反り返るだけの連中を護る。


やりたくない。だけど連中は俺の家族を人質にとっている。


言うことを聞かなければお前の家族を殺すぞと脅されてしまえば何も出来ない。


お前が何度も逃げようとするのが悪いのだとこちらを嘲笑う連中の声が頭から離れない。


だから奴隷たちを逃がすのは俺の勝手な自己満足。


楽な道では無いけれど、今よりもずっとマシな暮らしが出来るはずだ。


外の世界に送り出すことしか出来ないその場所から。彼は現れた。


今の今まで、そこからこちらに出てくる者など居ないと思っていた俺の思考も動きも彼の姿を見て固まってしまった。


入ってきた彼は素早い動きで距離を詰めると持っていたナイフを俺の首に当て、その勢いのまま腰掛けていたベットに押し倒されてしまった。


彼の気に入らないという理由で俺の顔を覆っていたベールは取り払われ、光源が月明かりしか無いこの場でも、彼の端正な顔立ちがよく見えた。


異能を使おうにもシャラリと音を立て、その存在を主張してくる異能封じの足枷により使うことが出来ない。


体を動かし抵抗しようにも、首に当てられたナイフや長い間ここに閉じ込められていた為に衰えた筋力では身動きさえ取ることも出来なかった。




彼が最初に言った通り、俺はここで死ぬのだろう。


死への恐怖も生への渇望も俺の内には無い。今と変わらないだろうとしか思えなかった。


どうせなら一思いに殺してほしい。


目を閉じて、来るであろう痛みを痛みに身構えるも、一向に上の彼が動く様子はない。


それ以前に、あろうことか彼はナイフを放り投げたのだ。


ナイフが床に音を立てて落ちる音に驚き目を見開けば、凄艷な顔がこちらを覗き込んでいた。


「っ……!」


だが俺を見つめるその瞳


茜色の瞳のその奥にドロリとした黒い何かが見え、無表情でこちらを見る彼に、さっきは感じなかった恐怖が、怖気が俺の全身を襲った。


敵意や殺気とは違うそれ以外のなにかを彼は俺に向けていた。


だがそれは一瞬のことで、次いで彼の瞳や表情は全くの別物となっていた。


まるで愛しく思うような、懐かしむような表情だった。


ナイフを放った手が頬を撫でる。


ナイフが消えたのだから抵抗しやすくなった筈なのに、その色を見てからは何故か不思議と抵抗しようとは思えなかった。


「名前は?」


「……。」


「名前」


「…073」


「それは名前じゃないだろう?」


何故か悲しそうに笑う彼に首を傾げる。何が違うと言うのだろうか。


彼は自分で言っていたじゃないか。


俺はこの国のNo.073で、それ以上でも以下でもない。


ここでの俺は命令を受け、それをただ実行するだけの人形に過ぎない。


他との違いを挙げるなら、実験の唯一の成功体だということだろうか。


実験の目的は大きく分けて3つ


1つ、能力者と能力の分離・複製


2つ、非能力者への能力付与


3つ、能力者の能力保有数の増加・強化


俺はこの3つの内の能力保有数の増加に成功した検体だ。


それにしても、急に話しだしたと思えば何故こんな分かりきったことを聞くのだろうか。


馬鹿馬鹿しくなり拘束から抜け出そうと身を捩るも、強く腕を捕まれ拒まれた。


……やめてくれ。その目で俺を見ないでくれ。


まるで何もかも見透かされているようで、汚れに塗れた醜い姿を暴かれているようで息がし辛い。


駄々をこねる幼子のように足掻く俺に構うことなく、尚も彼は問いかけてきた。


「お前の、本当の名前は?」


「……エド、ワルド」


口について出た名前は、ここに連れてこられる前の名だった。


スラムの皆で過ごしていたときに、から貰った名前。


ただの名無しネームレスだった俺に名を与え、俺もあの人に名を贈った。


度重なる実験の影響か、あの人の顔も声も性別でさえも朧気で、与えられた名前以外何も思い出せなくなってしまった。


この名前を知るのはあの時殺されてしまった大人達と、今もこの国で俺の人質として捕まってしまった子供達と、そしてあの人だけ。


なのに何故、目の前の彼は満足そうに笑うのだろうか。


怖いと思った。これ以上は危険だと本能が警告を放つ。


けれどこの体は、石のように固まりピクリとも動けなかった。


心臓だけが早鐘を打ち、ドクドクと血液の巡る音が異様に耳に煩い。


「エドワルドは、この国が好きか」


「何を、言って……」


「お前をこの古塔に閉じ込め、戦争の道具としか見ないこの国を、お前はどう思う」


「お、れは…この国の、検体で」


「この国の検体No.073は私が殺した。


私が聞きたいのは、エドワルドの言葉だ」


なんでそんな目で俺を見るんだ。なんでそんな顔を俺に向けるんだ。


どうして、俺エドワルドを求めるんだ。


この国で求められているのは、検体の俺073だったのに。


「何だよ、何なんだよアンタはっ?!」


頭が痛い。胸が苦しい。


「好きなわけ無いだろ!勝手に、無理矢理連れて来られて、いいように使われてっ奪われて‼」


心の奥底、一番深い場所に沈めたはずのモノが溢れ出す。


一度溢れ出した言葉おもいは、堰を切ったように止めどなく口から溢れ出した。


「返せ、返してよ!俺の記憶を!俺の大切な人達を返せよっ…!」


記憶を、心の拠り所であったモノを奪われるのが、実験や戦場で受ける痛みや苦しみよりも辛かった。


それを失うのが怖くて、何度もここから逃げ出した。


その結果、人質として子供達が捕まってしまった。


どんなに痛いと叫んでも、誰も止めてはくれなかった。


全てが恐ろしかった。全てが憎かった。


「もう、失うのは嫌だ…」


今まで誰に言うでもなく隠してきた様々なものが、言葉となり、涙となってこぼれ落ちる。


光に伸ばした手は届かない。


身体中に絡み付いてくる闇からは逃れられない。


「___っ」


”助けて”の言葉は声にならず、ただの息として吐き出された____筈だった。








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