第1話

「……な、んで」




暖かな日の光と緩やかな風が窓から室内へと入り込む。


だが、そんな穏やかな雰囲気とは裏腹に幼い子供が酷く弱弱しい声で呟いた。


「…や…いや、いやだよっ…」


子供は自身の小さな手を呆然と見つめ、顔を青ざめさせた。


何かに怯えるように自身の身体を強く掻き抱く子供の大きな瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が浮かんでいた。


あずま…?どうしたの?」


様子を見に来た母親が俯く息子の顔を覗き込み_________息を飲んだ。


泣いていた。表情もなく、虚ろな目で泣いていたのだ。


声どころか嗚咽さえも零さずに、泣いていた。


息子はどこにでもいる普通の子だった。


よく笑う子供だった。泣いたりすることもあったが、こんな、声もなく泣くような子ではなかった。


今日だって、夫と楽しそうに無邪気に笑っていたのに。


「大丈夫、大丈夫よ。お母さんが側にいるから」


大丈夫だと声を掛け、震える息子の身体を抱きしめることしかできない自分が恨めしい。




「大丈夫、大丈夫だからね…」


困らせてしまっているのが頭では分かっていても涙を止めることが出来なかった。


(ごめんなさい)


止められないんだ。


(だって思い出してしまったんだ)


荒廃と瓦礫に覆われたあの戦場を


軍靴が地面を揺らし、破壊の怒声が鳴り響くあの場所を


信頼する仲間で大切な家族とも言えた彼らのことを


寂しがり屋なくせに素直じゃない唯一を独りにしてしまったことを




子供は暫くの間涙を零し続け、パタリと眠り込んだ。


子供はそのまま高熱を出し、三日三晩眠り続けた。


……その後、目覚めた人前で涙を流すことは無くなった。








「っやった!」


「うおぉっ?!急に大声出すなよ」


「ご、ごめんな?」


エドワルドとしての記憶を思い出した彼、白影しろかげあずまは、15歳の青年へと成長していた。


「何か良いことでもあった?」


「久々にご飯食べれるみたいで、買い出しを頼まれたんだ」


「あー、お前のとこ共働きで家に中々居ないんだっけ」


「おう。だから今日はこのまま帰るわ」


「りょーかい、また今度ゲーセン行こうな!」


手を振り送り出してくれた友人に礼を言って校門を通り抜ける。


記憶を思い出してからは前の身体と今の身体の違いや環境の違いで苦労したが、今世では初めての両親という存在が俺を支え見守ってくれた。


『強くなりたい』


と言った俺の言葉を真剣に聞いてくれた。


仕事の関係で家にいることは少ないけれど、時間を作っては俺に様々なことを教えてくれた。


「楽しみだな」


母さんから送られた買い物リストには、俺の好きなメニューの材料が書かれている。


これらの他に、父さんの酒のつまみと母さんに何か甘いものも買っていこうか。


いや、簡単なものなら作るのもアリだな。


カゴを持ち、手早く商品を入れていく。


少しでも早く帰って、二人に会いたい。


「(時間はいくらあっても足りないからな)」


あいつらにしてやりたかった事や見せたかったもの、話したかった事は結局出来なかったから。


今は時間があるなら、後から後悔が残らないようにしたい。


「ありがとうございましたー」


定員の声を背に、材料の入った袋に気を付けて足早に帰路につく。


家に帰ってリビングに入れば、キッチン母さんがいてその近くで父さんがコーヒー片手にくつろいでいるんだろうな。


『おかえり』って笑ってくれるんだろうな。


それに『ただいま』を返して、荷物を置いたら母さんの手伝いをしよう。


それで作り終わって、食事をしたら皆でテレビを見たりゲームをしてゆっくり団らんを楽しもう。


家族の時間を過ごそう。








なんて、馬鹿な俺は暢気にもそう考えていた。


あの時も、『おかえり』なんて『ただいま』なんて言えなかったくせに。






幸せが壊れるのは、咲いては散る華のように美しいものではない。


それはあまりにも突然で、不条理で理不尽なものである。


家の中は異様に静かで寒かった。


なにか追加で買い物にでも行ったのだろうか。


買ったものを仕舞うためにリビングへの扉を開いた。……開いて、しまった。


「あっ……」


リビング中に充満する、軍人時代毎日のように嗅いだ血の匂い。


カーテンはボロボロに引き裂かれ、足元には割れた皿や花瓶の欠片が散乱している。


「父さんっ、母さんっ!?」


そこに、家にいる時は皆で笑い合っていたその場所で倒れている両親がいた。


荷物が音を立てて力の抜けた手から落ちるのにも目もくれず、倒れる二人に駆け寄った。


「あず、……て」


二人共意識はある。所々に小さな傷や圧迫痕があるが、これと言って大きな外傷は見られない。


「待ってて、すぐに救急車を……」


呼ぶから、と続くはずだった言葉はそこで途切れた。


大切な家族の傷だらけの姿を見たからか、はたまた今世では見ることも嗅ぐこともなかった血に触れたからかは分からないが、気が動転していたのは確かだ。


本来であれば、今この場に襲撃者がいないのかを確かめなければならない筈なのにそれを怠ってしまった。


「逃げろ、東!!」


父さんの叫び声が聞こえると同時に、頭に鋭くも重い激痛が走った。


「あん?まだ意識があんのか」


倒れまいと床に手を付き体を支えていると、知らない男の声が頭上から聞こえた。


「騒がれるのも面倒だな」


「任せろ兄弟」


痛む頭を抑え立ち上がるも、今度は腹に衝撃が走った。


その後も何度も殴られ蹴られを繰り返される。


立ち上がり反撃しようにも、頭から流れた血で片目が潰れ、体格のいい大人と負傷し上手く動けない子供では差がありすぎた。


どんなに体を鍛えても、今動けないのでは意味がない。


また、俺は家族を失うのか?


また、何も出来ず奪われるのか?


俺は一体、何のために記憶コレを思い出したんだ……。


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