第7話 それは真実かそれとも……
「ありましたよ、乙守さん。これが学校史です」
しんと静まり返った図書室、昨日以上のひそひそ声で江利川は言った。
今日は先客がおらず、ペンや紙の音はしなかった。相も変わらず呪われた席に座らせようとする江利川を押し切って、昨日より手前の机に座ると、彼女は斜向かいに腰を下ろした。
江利川が持って来た学校史らしき書物は想像していたよりも分厚く、一見すると辞書のような貫禄があった。毎年、少しずつ改訂されているらしく、発行年は去年になっていた。開いてみると前半にはかつての校内の様子を捉えた写真がかなり多く掲載されており、後半には時系列順に学校に関係する出来事が並べられている。校内に桜を植えたとか、校舎のガラスが何者かによって割られたといった程度のことも掲載されていたので、もしかしたら何か手がかりになることを見つけられるかもしれない。にわかに期待が高まる。
「篠原先生は四十五歳なんだよな。その中学生時代だから……三十から三十二年前の項目を探ればいいんだよな」
「ええ、汐崎さんが間違っていなければですけど」
「まぁ間違っているようなら、本人に直接聞けばいいか」
「ですね」
俺と江利川は早速調べものに取り掛かった……のだが。
あまりに項目が多い。一年につき三十も四十も出来事があって、図書室の件に関係する事がどれか分からない。この調子では、おそらく図書館に向かった二人も漠然とした情報しか得られないだろう。
「どうします、これ?」江利川が早くもウンザリという顔で訊ねてきた。
「とりあえずは、図書室と明らかに関係ない出来事を除外してリスト化しよう。地域のボランティアや校内の植樹の情報、歴代校長の訃報は論外だろうから」
「でも結構量がありますよ」
「それはまぁ……割り切るしかないな。ただ俺たちがある程度目星をつけないと、あの二人が調べる対象を絞れないだろう?学校関連記事なんて三年分も漁れば山ほど出てくるだろうからな」
「校内の事だけでもこの有様ですしね。あ、学校全体に関わることはどうします?」
「それは一応、残しておいてくれ。学校の方針が何か関係しているかもしれないからな」
互いに不平を言いたいのを我慢して、淡々と作業を進める。
クラスでは喧しい部類の江利川がこうも静かにしていると、調子が狂うというかなんというか。人のことだからとやかく言うつもりは無いが、俺が思うに静かにしている方が本人のためにも一番いいのではないだろうか。黙っていれば変なことはバレないし。
三十分ほどかけて一通りの項目を書き出すことが出来た。
***
三十二年前
――五月二十三日、地域の資産家が図書室に二千冊の文庫本を寄贈。
――七月三日、本を読む習慣づけの目的で、読書週間が初めて導入された。
――八月二十八日、持ち物検査基準の強化、徹底。
――九月十七日、運動会の最中、北校舎に不審者の侵入。無事確保。
――十二月六日、北校舎の水道管が凍結し、破裂。生徒に被害なし。
――二月十一日、薬物乱用に対する危機感から、正しい知識の周知を目的とした緊急集会。
三十一年前
――四月十五日、髪型の完全自由化について、生徒会から教師陣への打診。却下される。
――六月九日から十一日、集中豪雨の影響により休校となる。
――八月二十九日、南校舎で異臭騒ぎ、第一理科室に放置された有機溶剤が原因と判明。
――十月四日から六日、給食センターの整備により一時的に昼食を持参することになる。
――十二月二十日、生徒総会にて髪型の完全自由化が訴えられ、のちに職員会議にて認められる。
――一月十二日、豪雪により昇降口の天井が歪む等の被害が出る。
三十年前
――四月二十七日、三年生の修学旅行の行き先が東京から奈良・京都になる。
――六月三十日、地域の小学校との交流、生徒が絵本の読み聞かせをする。
――九月二十一日、茶々城中学人権宣言の発布、周知のための集会。
――十月一日、北校舎の一部教室の改装工事。校舎内に生徒立ち入り禁止。
――十月二十五日、中庭でボヤ騒ぎ、枯葉で焼き芋を作っていたことが原因とみられる。
――十一月三日、保健室にカウンセリング担当教諭の配置。
***
重要そうな出来事は、元の項目数と比べるとかなり少なくなった。こうも量増しが多いと、何としてでも学校の歴史に箔をつけてやろうという魂胆が見え透いてくる。やたら学校史が分厚いのはそのせいだろう。
抜き出した年表を見て、江利川が首を傾げる。
「ところで、この南校舎と北校舎というのはどこなんでしょう?」
「北校舎は今の旧校舎だろうな。南校舎は新校舎の建て替え前にあった校舎だろう、多分」
「なるほど、ありがとうございます。それで何か分かったことはあります?」
「さっぱりだ」
「ですよねー」
と後ろに伸びをする江利川。どうにも形容しがたいのだが、こう……体のラインが……。
紳士的な俺は目を背けるしかなかった。
「選りすぐってこれですからねぇ。まぁ、しいて言えば……北校舎の一部教室の改装工事でしょうか。詳細がないので確かではありませんが、この時に図書室に変化があったと考えられるのでは?」
「篠原先生の言っていたことを考慮すると、やっぱりこの時期に図書室が変わったんだろうな。これ以降にもこれ以前にも、それらしき記述は見つからないし。となると先生が三年生のときか」
「なら、先に先生が言っていたことを検討しますか。とりあえずこのリストは小宮山さんに送っておきますね」
そう言うと江利川は机の下でスマホをいじり始めた。さも当たり前のように扱っているが、スマホを校内で使っていることがバレたら大問題だ。最悪、学年集会で晒し上げられたり、取り上げられたりする可能性がある。念には念をという感じで、江利川はカウンターの方に背を向ける。
そんな江利川を見ながら、俺は昨日先生が言っていた言葉を思い出す。
『昔は明るかった、でも暗くならないと見えないものもある、世の中には。いや逆だな』
いや逆だな、はどこにかかっているのだろうか。昔は明るかった、にかかっているとすると、昔は今よりも暗いことになる。これ以上暗いのはさすがに教育機関としての規定を無視することになりそうだから、こちらでは無い。
ならば、暗くならないと見えないものがある、ということになる。意味が通りやすいように順接でくみ取ると……暗くすると見えるものがある、ということだろうか。
「暗くすると見えないものがある、これの逆ってなんだと思う?」
「逆ですか?数学的に考えるなら、二つの条件を入れ替えるだけじゃないですか?」
「見えないものがある、だから暗くする……どういう事だ?余計見えなくなるだろ」
「まぁそこは意訳してですねぇ……見えないものを見ようとしてー的なあれですよきっと」
「何かを見るために暗くした、もしくは何かを見なければならなくて、試行錯誤した結果暗くなってしまった……」
俺は呟きつつも、頭の中でこれまでの情報を整理していた。
呪われた席、薄暗い図書室、不可解な蛍光灯、掛けられっぱなしの暗幕、背の高い本棚、床の傷、約三十年前の出来事……。
それらの要素がくっ付いては離れ、離れてはくっ付いてを繰り返し、やがて一点の色とりどりな光になる。その光は万華鏡のように色を変え、強さを変えた挙句、たった一色の白に固定される。
俺の自称灰色の脳みそが近世の蒸気機関みたくもうもうと水蒸気を上げ、過剰に思考を巡らした結果、とある仮説を捻りだした。
「なぁ江利川、これは仮説なんだが」
俺は机に肘を置いて腕を組んだ。
「この図書室の蛍光灯の並びと本棚の配置がチグハグなのは、何らかの理由によって、本来の本棚の配置から今の配置に変えられたからだろう。あの床にあった円弧上の傷、あれはおそらく本棚を移動させる際に床を擦って出来た傷だ。だから背の高い本棚の周辺にはもれなく傷があったんだ」
「でもこの本棚は天井に着くほど背が高いですよね?移動の際に蛍光灯にぶつかりませんか?」
「ソケットだけなら簡単に取り外すことが出来る。大幅な工事を要さないのなら、本棚の移動後に同じ向き同じ場所に付け直せばいいだけだ。ただ持ち上げるほどの高さが無かったから、床を引きずったんだろう」
証拠を探そうと学校史をペラペラとめくる。すると、旧校舎建設当時の図書室の写真が出て来た。やや粗いが、明らかに背の高い本棚が写っており、それらは南北方向に延びるように、並べられていた。出入口の方から撮られた写真には背表紙をこちらに向けた本が映っている。
「なるほど……ええと色々聞きたいことがあるんですけど、なぜ初めからこの配置にしなかったんでしょうか?元々の配置にも理由があると思うんですけど」
「多分それには直射日光が関係している」
俺は自分の日焼けした腕を出す。けれど俺の頭によぎったのは、料簡と理の研究部の部員募集ポスターの下に見えた、色あせた人権宣言のポスターだった。色の薄くなった綺麗事が記憶に引っ掛かっていた。
「印刷物が青白く色落ちしているのをみたことがあるだろ?あれは太陽光に含まれる紫外線によるものだ。本も印刷物だし、お堅い装丁をしていない大半の本、文庫本や単行本、雑誌類はもれなく紫外線の影響を受ける。そして図書室には沢山の本がある、中には貴重な本もあるだろうし、それらを保存する義務もある。だから、本になるべく紫外線を当てないような本棚の配置が考えられた。学校の校舎は基本的に右利きの人間が勉強しやすいように、南側に窓、北側に廊下を作る設計になっている。ここの図書室も南側から太陽光が入ってくるから、その光が本の表紙になるべく当たらないように本棚の側板を南側に向けたんだろう」
「日が傾くとはいえ、常に当たっているよりは良いですからね。最悪カーテンを閉めればいいですし……」
そう言って江利川はさらに難しそうな顔をした。
「なら尚更、なんで本棚を動かしたんでしょう?本の事を考えるなら元の配置の方が良いですよね、結局暗幕を使うのならば、蛍光灯の数が多く残っている方が利用者にとっても良いですし」
「そこでさっき言ったことが響いてくる。何かを見るために暗くした、ということが」
かつての図書室の写真を指さす。
「この配置だと、確かに本にとっては良いかしれない。ただこのやけに背の高い本棚は、沢山の本を並べるともはや壁のようになってしまう。まして図書室の奥の方なんて、入口側からは見えないだろう?」
「つまり、出入口側の方から図書室の奥を見渡すためだけに、わざわざ本棚を動かしたという事ですか?部屋が暗くなるのに?」
「いや正確には、カウンター側、司書がいる位置からだ。さっきお前がスマホをいじる時に、無意識かは知らんが、カウンターに背を向けただろう」
なるほどと言う感じで江利川はポンと手のひらを打つ。
「で、教師が図書室を見渡さなければいけない理由はなんでしょう?」
「教師に見られては困る何かが、存在したか、発生したんだ。教室の改装を強いられる程の何かが」
こんなことが理由であって欲しくはないが……。
口の中にたまる唾をゴクリと飲み込む。
俺は先ほど思いついた仮説、もとい図書室の謎の原因を語ることにした。
「さっきのリストから考えるに……図書室の後ろの方、いくつもの本棚に隔たれた最奥で薬物の取引、もしくはそれに準ずる何かが行われたんだろうな」
江利川は唖然として口を開けたままだった。虚を突かれたような表情には後ろめたさが感じられた。
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