第6話 真実を探求する者たち

 俺と江利川が入部して最初の活動をした翌日の放課後。

 俺たちはまた被服室、通称第二家庭科室に集まっていた。被服室へ来るのはこれで三回目、昨日も一昨日も大して滞在していなかったのに、早くも懐かしさのような居心地の良さを感じていた。おそらくは、俺の中で無意識のうちに図書室と比べているのだろう。


「結局、あの席が呪われた席と言われる理由は分からないままなんだよね」

 澄ました顔で小宮山は言った。

「手がかりは……あるのかな?」

「多分ないな……いや」

 俺はかぶりを振りかけて、急に思い出した。

「床の傷には気が付いたか?俺らの机の下や本棚の下の方に繋がっている円弧状の傷なんだが」

 なにそれ、と驚いたような反応をしたのは約一名。

 残りの聡明な女性陣は既知の事らしく、首を縦に振った。


「もしもその傷が乙守と汐崎くんの椅子の下だけにあったら、呪いと何か関係があるんだろうと思うのだけど、そういうわけじゃないから……」と小宮山。

「俺の椅子の下の傷は他の所より深いようにも感じたぞ」

「そうは言ってもやはり、関係は薄いと思いますよ。あの傷を注意深く観察すると、図書室全体に見られますから。床材の張替えに失敗したのでしょうか」と江利川。


 あの傷、もっと広範囲にあったのか。完全に見落としていた。小宮山達の椅子の下にまで続いていた程度の傷が他にもあったのだろう。

 ただ、あの傷が無関係だとすると……。

「他に手がかりはもうないな」

 当然のごとく三人は一様に首を振った。

「ぼくはお手上げだよ。昨日の時点でぼくに観察能力が無いことは分かったし、推理する力も多分ない。だから、呪いが安らかな終わりをもたらしてくれることを期待して、ぼくの想いは三人に託すよ」汐崎はまた机の上に伸びる。まるで餅の擬人化だ。

「そんな悟っているのか投げやりなのか分からないことを言うのは止めてくれ。それに得体の知れない想いなんて俺はいらない、多分犬も食わないぞ。第一、呪いなんて本当に信じているのか?」

「半信半疑ってところかな。基本的にはオカルト否定派だけど、やっぱりよくわからないモノは怖いよ。あと乙守くんってやっぱり切れ味が鋭いね……」

 汐崎は相変わらずの様子だった。


 俺の口が悪いのは……まぁ許して欲しい。婉曲的に物事を表現するのは頭を使い過ぎるのだ。


「なぁ江利川、お前は他に何か知らないのか?噂の出どころとか」

「いやーさっぱりですね。この話を最初に聞いたのも、クラスメイトが掃除中にサボって話していた与太話を盗み聞ぎしたからですし。色々聞きまわった結果、私が知っているのは、噂の概要と席の場所だけです」

「じゃあ、ええと何だったかな……バズビーズチェアとの関連はないのか?」

「いえ、何か似ているなぁという理由でお話しました。それだけです」


 振り出しに戻った、と言うよりもそもそも真実の一端に触れているかどうかすらも怪しくなってきた。

 呪われた椅子の効力からして、ふざけた根も葉もないうわさなのではないか、という今さら身もふたもない予感が湧いて出てきてしまう。流石に昨日現地で得た情報が何かしら関係しているとは思うのだが。


「一つ確認しておきたいんだけど」

 不意に小宮山が目を光らせる。

「呪われた席、なんだよね?呪われた椅子、ではなくて」

「何か違いがあるの?」

 汐崎が訊ねると、小宮山は続けた。

「もしも呪われた椅子だったら、バズビーズチェアみたいにその椅子自体が呪いを与えるものになるじゃない?でも呪われた席だったら、呪いを与えるものは椅子だけを指している訳では無いと思うの。椅子だけでなく、机や場所を含めた事物、つまりもう少し広い範囲で捉えているんじゃないかな」

「なるほど……私が聞いたのは確かに呪われた席です。小宮山さんの理屈で言うと、やっぱりあの二席の位置的な要素が呪いに関係しているという事ですよね」

「ともすれば、あの席の暗さと呪いには何らかの関係があると考えても良いのか」

「私のミスリードかもしれないけれど、もし図書室で得られた情報をもとに噂の原因を探るのなら、その二つを結びつける方が良いと思う。今のところは他に手がかりが無さそうだし」


 これは小宮山の言う通りだ。

 と言うかなぜ今まで気が付かなかったのか。語感からして明らかに引っかかるところがある。噂を作り上げた人物がどこまで考えていたかは分からないが、言葉の一つ一つに理由があると考えれば、場所と呪いは深い関係にあるに違いない。

 とりあえずはこの仮定で話を進めるほかはない。そう思うしかなかった。

 それでも原因の推測に進展はない。


 本当になにかないのか、と自分に言い聞かせていると、昨日の最後に印象に残ったことが不意に思い出された。そう、篠原先生の話だ。

「そうだ失念するところだった。呪われた席に関係しているかどうかはさておいて、昨日篠原先生が言っていた事が気になるんだが」

「『昔は明るかった、でも暗くならないと見えないものもある、世の中には。いや逆だな』ってやつかい?抽象的だよね」並みのクオリティの物まねで汐崎は言った。


「その後言ったことによると、どうも篠原先生が中学生時代の話みたいだけど……私あの人がここの卒業生だって初めて知ったかも」

「あの人おいくつでしたっけ?五十歳は超えていそうですけど」

「いや、俺は知らんぞ」問われたので、手を振って否定する。

「確か四十五歳だったはずだよ」

 あっけらかんと言い放つ汐崎にあきれ顔の小宮山。

「何で知っているのそんなこと……」

「ほら、篠原先生って去年は三年生の担任をやっていたでしょ?だから学校紙で持ち回りのコラムを書いた時があって、年齢はそこに載っていたんだ」

「よく覚えてるな」

「ふふん、物覚えは良い方ですから、ぼく」

 と、胸を張る汐崎を後目に、小見山がぼそっと「嘘つき」と言ったのを俺は聞き逃さなかった。けれど、追及する暇なく汐崎が話を続けてしまった。

「って先生の話はいいんだよ。何はともあれ、現状は行き詰っているんだから、過去の事を含めて何か関連することがないか漁ってみない?」

「それも…‥そうだな。噂が生まれた可能性のある時期のことを探らないと真実は分からないからな」

「も、もちろん賛成ですよ。でもどうやって?ネットにこんな田舎の学校のことなんて転がっていませんし、地域のネット掲示板は地獄も地獄、人の業が煮詰まっていますよ?」と、江利川は煎じ薬を飲んだような顔をする。


「誰もお前みたいにネットだけが情報源とは言っていない。それこそ図書室を使えばいいだろう」

「あら、乙守にしては良い案じゃない」

 俺が言えたことでは無いが、小宮山嬢は余計な一言が多いのではないだろうか。

 俺が睨みを利かせているのを無視して、小宮山は淡々と続けた。

「学校史はあの図書室にあるだろうし、当時の世相を記した本もいくつかはあるはず。でも詳しい出来事を知るには新聞や雑誌を見た方がいいかも」

「だったら市の図書館にでも行くかい?あそこには地方の新聞を一世紀分は優に保存してあったはずだし、何なら市の歴史だって全部残っているはずだよ」

 得意そうに言った汐崎は、まさにフラグを立てるように話し続ける。

「誰が行くかという問題があるけどね。もちろんぼくは学校に残るよ。図書館は割と遠いからね。運動不足のぼくには辛い距離なんだ」


 だったら運動しないといけないよね、といつの間にか荷造りを終えていた小宮山が立ち上がる。その目には決意が感じられた。まさかと思うが、この汐崎を引っ張っていくつもりなのか?


「何か分かったら連絡して、江利川さんはスマホを持っていたよね。連絡先も教えたはずだし」

「ええ、持ってますよ、持っていますとも」

 フフン、と江利川は小さな本のような装丁のスマホをカバンから取り出して見せた。

「おいお前ら……学校にスマホは持ち込み禁止だろ」

「やだなぁともりんったら。バレなきゃ犯罪じゃないんですよ。ねぇ小宮山さん」

「私は家がかなり遠いという理由で、親との連絡用に携帯を許可されています」

「……」

「おい江利川」


 三人の視線が江利川に集中するも、江利川は明後日の方向を向いて口笛を吹いている。今どきそんな古典的な誤魔化し方をする奴がいるか。


「それじゃあ、作業効率を考えて二人と二人に分かれて調査しましょうか」

 小宮山は笑顔でそう言うと、汐崎の首根っこを掴んだ。この時ばかりは、小宮山の人当たりの良い笑顔が恐ろしいと思ってしまった。

「ほら行くよ汐崎くん。運動不足のままだと、呪いの効果の前に動けなくなるよ」

「そんなぁ小宮山さん!明日のぼくが筋肉痛で動けなくなる未来も考慮してよね!」

 あれよあれよと言う間に、二人は第二家庭科室を出て行ってしまった。

 遠くから汐崎の悲しい叫びが聞こえて来る。……線香くらいはあげてやろう。


 残されてしまった俺と江利川は仕方なく顔を見合わせるしかなかった。江利川は呆然として口を開けたままだった。静寂を埋めるように夏虫たちがチリチリと鳴いている。


「おーい、江利川。俺達もいくぞ」

「……あっそうですね。失礼しました」

「それにしてもアイツらの関係性が分からんな」

「汐崎さんは完全に尻に敷かれていますね。あれじゃあ」

「そういう関係だと思うか?汐崎には悪いが、釣り合わないというか」

「釣り合わない……フッ……アハハ」


 江利川は、やっぱり乙守さんは口が悪いですね、とこらえるように笑う。


「二人はちょっと違う気がしますね。カップルというより……」

「ペットか?」

「でしょうね」

「だとしたらとんでもない駄犬だな」

「わかりませんよ。物凄い一芸を持っているかもしれません」


 フフフと口元に手を当てて笑う江利川。クラスで見せる妙ちきりんな様子と違って、普通の女子と変わらない姿、むしろ至極常識人なのではないかと思えた。

 江利川とまともに会話したのは初めてかもしれないな、唐突にそんなことを思ってしまう。初対面の印象が違っていたら、もっと早くに仲良くなれていたのではないか。

 だが……電波っぽくない江利川の姿は想像できない。今見せた、普段と違う姿も江利川の一部であることは違いないのだ。彼女を理解するにはまだ時間がかかりそうだ。


「さぁ、真実を確かめに行きましょう。油を売っている場合ではありません。そもそも極東の我々が中東のビジネスに首を出せるわけが無いですけどね」

 江利川は昨日のように眼鏡を両手で直しながら、ハキハキと言った。

 くりっとした目がピカリと輝く。

「ああ、分かっている」俺は微笑んで立ち上がった。


 時刻は四時半前。昨日よりは時間がある。

 呪われた席、ひいては図書室の謎を解明するのだ。

 校庭の方から聞き慣れたホイッスルの音が響いてくるなか、俺と江利川は第二家庭科室を後にした。

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