第5話 呪われた俺……と汐崎

「まさかと思うが、俺が座っていた席か?」


 大声を出しそうになる衝動を抑え、耳打ちするように訊く。

 すると江利川は他人事のように言った。


「ええそうです。ついでにザッキー……じゃなかった、汐崎さんもです。もちろん私と小宮山さんは違いますよ。幸運でした」

「二席もあるなんて聞いていないぞ」

「ええ、言っていませんから」


 どこまでも適当な奴だ。相手が男だったら実力行使に出ているところだぞ。

 俺の睨みなど気にも留めず、江利川は神妙な顔つきになって言う。


「でもですねぇ、物事には原因があるんですよ。世の中にあふれる科学を考えてみてくださいな、科学はいわば原因と結果の積み重ねです。つまりですね、オカルトも都市伝説も、原因がはっきりしてしまえば怖くないんですよ。例えば、墓場で人魂が現れるという話が出回ったのは、土葬した遺体のリンが青白く光ることがあって、それを心霊的なものと思い込んだからなのだそうです。遺体と聞くと少し怖いかもしれませんが、得体の知れない恐ろしさは無くなりますよね。だから、ともりん……いえ、乙守さんは解明するべきなんです。この噂の原因を」

「信じている訳ではないが……まぁ呪われたくはないからな」

「ですよね」

「半ばお前の手で呪いに掛けられたようなものなんだが?」

「それはそれ、これはこれです」


 ちゃっかりそう言い残すと、江利川は二人が残っている席の方へ行ってしまった。明るい色の二つのおさげが背中に揺れていた。

 俺も二人のいるところへ一旦戻ることにした。少々行き詰っていたのだ。あの席が呪われた席と言われるには情報が少ない、というか俺一人の考えではイマイチひらめきが足りない。


「何か分かった?乙守くん」


 席に着くと汐崎がのほほんと訊ねてきた。どうやら自分が件の席に座っていることには気が付いていないようだ。

 加害者江利川は笑いをこらえるのが必至なようで肩を震わせている。隣の小宮山も汐崎から顔を背けて口元を隠しているが、明らかに笑っている。江利川は呪われた席の事を小宮山には伝えたらしい。一人なにも知らない汐崎に同情したくなったが、このまま放っておいた方が面白そうなので、俺も真実は伝えないことにする。マスコミの気持ちが分かったような、分からないような。

 俺はお手上げの仕草をして答えた。


「いや、特には。本棚が高いことと、若干机の配置が変なことくらいか」

「机の配置が変って、わざわざ机を本棚で隔てているということ?」

 小宮山の問いに俺は頷いて肯定を示した。

「確かにこの机の配置はちょっと不思議よね。本棚の高さもあるし、なんていうか薄暗い感じが圧迫感を覚えてしまうというか」

「薄暗い?」

「ええ、そう思わなかった?多分この図書室は他の教室と比べると、暗いと思うの。暗幕のせいかもだけど」


 小宮山の何気ない発言が頭の中で繋がる。

 おそらく、教室に入った時に感じた漠然とした雰囲気の悪さは、図書室が暗い事だったのだろう。

 そして特にこの辺り、呪われた席の周辺は若干暗い。別に本を読めない程ではないが、おそらく長時間ペンを動かしていると目が疲れてくるだろうなと想像できる。


「なぁ汐崎……くん、ちょっと横の机に移動してみてくれないか」

 ぎこちない呼びかけに、汐崎は笑顔で反応する。

「何か変わるか?」

「ぼくの感覚的なことになってしまうけれど、こっちの方が少しだけ明るいかも」


 やはりか。

 暗さの理由は小宮山が指摘した通り、おそらく南側の窓の一部に暗幕があるからだろう。

 最も太陽光の入る南側の窓を遮るのだから、室内が暗くなるのは必然。手前の方には暗幕が無いからといっても、奥の方まで光が届くほどではないはず。

 意図的なのかは分からないが、本棚に並ぶ本は人気のありそうなジャンルほど、比較的入口に近く手に取りやすい低めの高さに配置されていた。奥側の棚、つまり呪われた席の周辺にある本棚には、人気の無い図鑑や古典などの滅多に読み手が付かない本が並べられているため、天井近くまで本がびっしりだ。そのせいで、出入り口から見て本の配置は緩やかな階段を描くようになっている。比較的手前の棚の上方には空きが出来るため、手前の席と奥の席で明るさに差が出るのだろう。


 俺はたった今思いついた事を他の三人に共有することにした。なるべく分かり易く、そして図書館にいることを考慮して声のトーンを抑えて。謎を解き明かしたことによる気の昂ぶりを悟られないように。


 程なくして自信満々の説明を終えた……のだが、皆の表情は芳しくなかった。

 特に約一名、江利川はわざとらしく首を傾げていた。


「本当にそれだけが暗い理由でしょうか。普通の学校教室であれば、カーテンを閉めても十分に明るいはずですよね。それに夕方になって日が西に傾いた時、光が届くのは乙守さんと汐崎さんの席のはずです。でも現状、この辺りはほのかに暗いと思います」

「な、なら使っている蛍光灯が古いんじゃないか?ここ旧校舎だし」

「それです。蛍光灯なんですよ。乙守さん」


 そう言って江利川は天井を指さした。


「ね、蛍光灯の配置が変だと思いませんか?向きを見てくださいよ」


 見上げた天井には確かに棒蛍光灯、いわゆる直管蛍光灯が列になって取り付けられている。ソケットの型が古いのかプラスチックの部分は劣化しているように見えた。

 ただ、重要なのはそんなことでは無い。

 江利川の言った通り、蛍光灯のつけられている向きがおかしいのだ。普通、部屋を照らそうとするならば、本棚と平行な向きに取り付けて通路を明るくしようとするはずだ。しかし頭上の蛍光灯は、本棚の向きとは直交するように設置されていた。


 それにおかしな点はまだあった。


「変だし、何か足りなくない?」汐崎も気が付いたようだった。

「ああ、本棚がある部分にはもともとソケットがあったんだろうな」


 俺と汐崎の背後の本棚、その天井と接続する部分には何やら白っぽい跡が残っており、小さな孔も見て取ることが出来た。列になるように設置する蛍光灯の事を考えると、白くなっている部分には元々蛍光灯が付いていたに違いない。一方の小宮山や江利川の方の頭上にある蛍光灯は無傷であった。

 席を立って、もう一方の大机が並んでいる列を見に行くことにした。本棚が器用に避けているのか、こちらの天井にはちゃんと蛍光灯が揃っている。俺たちが座っている列のような欠損は無い。明るさも僅かに上か。


 席に戻って情報を伝える。

「つまり、その本棚があるせいで本来設置されていたはずの蛍光灯が取り外されているってこと?」

 小宮山の問いに、妙に真面目腐った江利川が答える。

「おそらくはそうでしょう。何のために本棚を今の配置にしたのか、なぜ図書室が暗いままなのか。そしてこのことが呪われた席に関係しているのかは、依然全く分かりませんが」

「でも一つ言えるのは、ぼくの頭上にあったはずの蛍光灯が無いせいで、ぼくの席のあたりが少し暗くなっているということだね。他の席に移動してみてわかったけれど、多分、ぼくや乙守くんが座っていたところが暗さで言えば一番だろうね。まぁ微妙な差なんだけど」


 自信満々にそう言い切った汐崎。すぐにその表情が曇りだす。

 急変するさまは、まるで真夏のにわか雨のよう。緊張した時のお腹の調子のよう。


「も、もしかして……ぼくが座っていたのが呪われた席!?」

「やっと気が付いたのか」

「本当に鈍いんだね、汐崎くんは」

「ナイス推理です汐崎さん!」

「ちょっと、みんな!何で黙っていたのさ!」


 真実に気が付いた汐崎は、さっきの小宮山や俺もびっくりなほどの真っ青になった。病的な顔色や青瓢箪なんて生ぬるい。もはやジーンズ生地に近い色なのではないだろうか。

 いやだ!死にたくない!と月並みな断末魔をあげた汐崎の口を抑え込む。ここはあくまで図書室。大声は許されない。それにあの篠原先生に注意されたくもない。


「大丈夫だ。俺の席も呪われた席だから」取り乱した汐崎を落ち着かせようと、声を掛ける。

「なんだそうなんだ……いや、何一つ大丈夫ではないんだけど!」

「大丈夫です、お二人とも。そちらの席が呪われた席と呼ばれるようになった原因を突き止めることが出来れば、何も怖くはありません。仕組みが分かれば、恐怖は理性で何とかなりますよ」

 江利川は両手でグーサインをして言った。

 そしてすぐに両手を拝むように合わせる。

「まぁ……もしもの時は線香くらいあげますので……頑張りましょうね!」

「いらない気遣いをどうも江利川さん。それにしても原因ねぇ。原因があるから結果があるのは分かるけどさ……」


 色々な感情を持て余した結果、汐崎は机にうつ伏せになって伸びることを選んだらしい。この無気力そうな様を見ていると、呪いの力が及ばずともどこかで生き倒れていそうなものだが、と不謹慎な事を思い浮かべてしまったので、心の奥底にそっと閉じ込めた。


 砂浜に打ち上げられたクラゲを子供が木の枝でツンツンするみたく、小宮山は伸びた汐崎の頭頂部を指先で突く。おいおい、汐崎を禿げさせるつもりか。


「さっきも江利川さんが言っていたことなんだけど、席が暗いだけでこんな噂が立つものなのかな?暗さは確かに感じるけど、男子二人の席だけ特別に暗いってほどでは無いと思うの。むしろ図書室全体が仄暗い事の方が問題というか」


 つむじツンツンの片手間に放たれた小宮山の発言は俺を悩ませることになった。

 俺と汐崎の席が他と比べて若干暗いのは確かだ。でもそれには多少こじつけクサい推理によって、俺らがバイアスにかかってしまっているからであるとも考えられる。考えを巡らせる前に、一見して呪われた席が分からなかった事実からも、そう言えないことはない。

 なら原因は目に見えた情報からは探れないモノなのか?やはり心霊やオカルト、ちょっとした冗談から始まった風説が、時代と人を経て大げさに流布されてしまっただけなのか?考えるだけでは真実に辿り着けないのか?

 それとも何か見落としがあるのだろうか、視点を変える必要があるのではないか。そもそも図書室の明るさは呪われた席と何も関係が無いのではないか?根も葉もない虚言に踊らされているだけなのでは?


 ちょうどその時だった。六時を告げる音割れ気味のチャイムが鳴り響く。

 部活終了時刻の合図だ。


 すっと立ち上がった小宮山が明るく言った。ふわりと髪が揺れる。

「とりあえず今日はこの辺にしない?私達には一時間足らずで謎が解明できるほどの能力は無いと思うの。それに部活が新体制になった翌日からこんなにも張りきらなくていいでしょ?」

「そんなぁ!ぼくの呪いはどうなるんだよ」

「即効性のある呪いなら既に影響を受けているだろうよ。あと念のために言うが、俺も呪われているんだからな」

「何か症状が出たら私に言ってくださいね。古今東西和洋折衷の魔除けや煎じ薬を片っ端から試しますので!」

「気持ちはありがたいが結構だ。俺は江利川を犯罪者にしたくない」

「そんな!私たちは運命共同体なので、共犯ですよ!」

「死人に罪を問おうとするな!」


 俺たちは席を立ち、図書室を出ることにした。未だにペンを走らせ続けている先輩方は一向に席から動かないので、下校時間の六時半まで粘るつもりなのだろう。ご苦労さまなことだ。

 椅子を収める際、椅子の足がまた床の溝に引っ掛かってしまった。下を覗いて確認すると汐崎の椅子の下にもその溝は続いていた。ただ、俺と汐崎の席の下にだけ溝があるという風では無く、ワックスで埋められて薄くなっている所があるにせよ、円弧の一端は本棚の下にも続いているように見える。また、その溝はいくつかあるようで、小宮山たちの椅子の下のも薄い線が見てとれた。

 そんなふうに薄暗い床を観察しているうちに、三人に置いて行かれそうになる。三人がカウンター辺りで止まっているのをみて、小走りで追いかけた。もちろん、先輩の椅子や机に当たらないよう、細心の注意を払ってだが。


 三人に追いつくと、カウンター越しに汐崎と篠原先生が何やら会話をしているようだった。冗談を言うように汐崎は話しかけた。


「あの篠原先生、この図書室って少し暗くないですか?特に後ろの机の方とか。あと蛍光灯の配置も変だと思うんですけど」

 篠原先生はチラリと俺たちの方を見やると、持っていた文庫本をテーブルに伏せた。帆布製らしいブックカバーにはかなり年季が入っているように見える。

 先生は面倒臭がるように伸びをすると、静かに言った。

「君の言う事はもっともだ。昔は明るかったんだけどね。ただ、暗くならないと見えないモノもあるんだよ。世の中には」

 そしてすぐに、いや逆だな、と付け加えるように言った。

「それはどういう事ですか?教えて下さい」

 間髪入れずに小宮山が身を乗り出して訊いた。心なしか語気が強い。

「さあね忘れてしまった。ぼくが中学生の頃の話だからね」

 抑揚に乏しい声でそう言うと、先生は文庫本を手に取り、俺達に帰るように促した。部屋を出る時にチラリと見た先生は本を読んでおらず、図書室の後ろの方を眺めているようだった。先生には何かが見えているのだろうか。


 結局、呪われた席については何も分からず終い。分かったのは、図書室の様子がどうやら不可解だと言う事だけ。俺と江利川が入部して初めての部活は、なんとも釈然としないまま時間切れを迎えたのだった。

 ただどうしても、篠原先生が言った抽象的な言葉が俺の頭から離れなかった。

 山脈に暮れ行く夕日は鮮やかなオレンジ色。照らされた入道雲は陰影を際立たせている。

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