変人と呪われた席

第4話 乙守稔はつきとめたい

 百物語、もしくは宗教勧誘のような雰囲気の江利川が語った図書室の謎は、次のようなものだった。

 我らが中学、茶々城中学の図書室には呪われた席と言うモノが存在するらしい。出どころは不明にもかかわらず、もう何年も同じ噂が語り継がれていると言われており、その席も特定されているらしい。まぁ俺も汐崎も小宮山も知らなかったのだが。この学校のオカルト界隈(存在するのかどうかも知らないが)では有名な話なのだろうか。

 そしてその呪いというのは特定の席に座ったら最後、学業成就せず、待ち人来ず、失せもの出ず、吉方なし、訴訟事悪し、商い散々、最悪死、という散々なモノらしい。

 なんともいい加減なおみくじのような呪いである。神社で引くおみくじや占いは神様の言葉だという話を聞いたことがある。何処かの誰かが神は死んだと言ったらしいが、死ぬ前の遺言でこんな占い、もとい呪いを残されたらたまったものでは無い。まぁ一神教の神ならやりかねないのが恐ろしいところだ。八百万の神の懐が深い事を祈るばかりである。


 さて、一旦俺たちの中学校について触れておくべきだろう。我らが茶々城中学には校舎が三つあった。南側に新校舎、北側に旧校舎がありどちらも四階建てで、一般的な学校よろしく東西に延びている。両校舎の東側、その二校舎をつなぐように南北に延びるのが東校舎であり、学校を上から見るとエの字に近いコの字型になっている。

 新校舎にはほとんどのホームルーム教室が、旧校舎には専門科目の教室があり、被服室(第二家庭科室)や図書室も旧校舎にあった。東校舎は新校舎建て替えの際に作られたプレハブの校舎であり、現在は空き教室が多いため、もっぱら新旧校舎を行き来するための通路として機能していた。


 話を戻す。江利川が持って来た話ということもあり、怪しさは満点な話だったが、小宮山と汐崎の食いつきは存外よかった。オカルトとは言えど、真相が気になるという一点において俺も興味を持った。

 学校の七不思議のように、全国津々浦々の学校においても内容が共通するような怪談話なのではないか、という疑問が汐崎から出たのだが、江利川はそうではありませんと突っぱねた。彼女曰く、話の元となった出来事が全く露わになっていないことが怪しいということらしい。他にもよくわからない理屈をいくつも提示した挙句、この噂がたとえ由縁のない自然発生的なものだったとしてもそのことを証明できるのならいいではありませんか!と江利川に凄まれた汐崎は見事に丸め込まれてしまった。


 俺たちはとりあえず図書館に向かうことにした。入部の翌日、五時過ぎの事だ。

 図書室は旧校舎の一階の東の端にあった。第二家庭科室の二階下で、階段を下るとすぐに辿りつく。エの字のやや出っ張った部分が図書室であり、角部屋ということで一般の教室と比べると廊下の面積分だけ広いように思う。


 ひとり前を行く江利川について図書室に入る。紙の独特な香りが漂う。

 入口のすぐ横にはカウンターがあり、くたびれた中年の国語科教師、篠原先生が文庫本を開いていた。司書の先生は他にちゃんといるのだが、篠原先生は休み時間や放課後になるといつも図書室のカウンターの端に陣取っているらしい。図書室の隣の隣には国語科研究室があるのであまり違和感はないが、前回訪れた時に見た司書の先生の表情から察するに、司書の先生は苦労をしているんだろうなと思う。司書の先生は既に退勤してしまっているようで、今日は姿が見えなかった。

 篠原先生は俺たちをチラリとみると、何も言うことなく再び本に視線を戻してしまった。教師にあるまじき不愛想さではないか。


 俺たちは江利川の手招きで、奥まったところにある大机に腰を落ち着けることにした。被服室の時と同様に、俺と汐崎は出入り口から見て右側、つまり南側を向いて座った。

 他に生徒は数人いるのみで、開いている参考書を見るに三年の受験生であろう。先輩たちは皆、比較的出入口に近い方の席を陣取っていたため、奥の方の席に行くのに先輩の後ろを通らざるを得なかった。

 彼らの様子を見ていると、あまり雰囲気が良いとは言えないこの図書室でよく勉強するものだな、と感心してしまう。けれど、おそらく来年の今頃は俺もここ勉強している可能性があるのではないかと考えると、妙に身体が震えてくるのは気のせいだろうか。


 席に着くや否や、江利川がひそひそ声で口火を切った。


「ええと、先程聞き忘れていたのですが、皆さんはこの図書室に来たことはありますよね?」

「あるにはあるけれど、月に一度来るくらいかな。読みたい本は自分で買う派なんだ、ぼくは」と汐崎。

「入学の後のオリエンテーションで来て、その後来た記憶はないかも。何だかこの図書室に足を運ぶのは憚られてしまって。雰囲気良くないし」と小宮山。


 二人に続いて俺も答える。


「俺も二人と同じようなものだ。部活が忙しくて通う暇が無かった」

「ああ、乙守くんは陸上部だったんだっけ?うちの学校の陸上部は厳しいらしいね」

「一応、県大会常連で地方大会でもまずまずの強豪だからな。今はもう関係ない話だが」

「ややっ失敬失敬」


 話の脱線が気に入らなかったのか、江利川はムスッとしている。彼女の小さい顔にミスマッチなサイズの黒縁眼鏡はやはりコミカルに見えた


「いいですか、私達はこの図書室の謎を解き明かしに来たんですよ。皆さんがこんなにも図書室に縁が無いとは思いませんでしたよ」

「じゃあ江利川、お前はどうなんだ?」俺は頬杖をついて訊く。

「去年の春、オカルト雑誌があるかと調査に来ましたが、目ぼしいモノは見つからなかったのでそれ以来は足を運んでいません」

「お前も俺らと大して変わらんだろうが」

「それで、その呪われた席というのはどこなの?パッと見どれがその席か分からないんだけど。と言うかどれも怪しく見えるんだけど……」


 周りをキョロキョロと見渡していた小宮山が言った。

 小宮山の言う通り、一見しただけではそれらしい席は分からない。

 図書室内には四人掛けの大机が八つ。天井に付く高さの本棚に隔てられ、出入口の方から見て手前から奥に向かって左右に四つずつ並んでいた。俺たちが座ったのは左側の最奥の大机だった。本棚のせいでもう一列の大机の方は、ほんの隙間からしか見えない。妙な圧迫感があった。


「さぁどこの席でしょうね?件のバズビーズチェアは?」ともったいぶる江利川。


 バズビーズチェアってなに、と首を傾げる小宮山に江利川は答えた。


「バズビーズチェア、イギリスに実際に実在する座ると死ぬ椅子です。現在は誰も座れないように壁に吊るされているそうです。これまでに座った60人近くが亡くなっているとか、いないとか。怖いですねぇ。この図書室にあるのも同じような代物かもしれませんよぉ。どれでしょうねぇ」


 嬉々としてこんなことを語る江利川の姿に、俺は驚きを通り越して若干引いてしまった。

 一方の汐崎と小宮山は江利川の語った内容に怖がっているようだった。

 それにしても小宮山が怖がっているのは意外だった。美白の色白が病的に見えるほど青ざめており、カメラがあったら撮影して弱みとして握っておきたい程だった。もちろん俺は脅迫まがいの事をするつもりは無い、あくまで情報収集の一環だ。


 小宮山はさておいて、こうも江利川に焚きつけられてしまっては仕方が無いではないか、と俺は考えることにした……が、その前に情報収集をしなくてはならない。

 根を深くして柢を固くす。土台となる情報が乏しいのでは、上に積み上げた結論は真実とかけ離れてしまう可能性があるのだ。

 少し見て回る、と言い残して俺は席を立った。

 板張りの床には大きな円弧状に刻まれた古い傷があり、椅子を収める時に椅子の足がその溝に引っ掛かってしまった。もれなくガタッという音が出てしまい、神経質そうな先輩に向けられた視線が痛かった。そして何よりも、ニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべた江利川が付いて来たことが、癪に障った。


 改めて出入口の方から眺める。

 右手にはカウンター、正面にはいくつかの低い本棚があり、新しく入荷した本が並んでいる。カウンター前を奥に進むと、天井に着くほど背の高い本棚が部屋の中ほどから奥に向かって四列あり、左から二番目の本棚を挟んで先ほどの大机が並んでいた。図書室後方にあったこれらの本棚はかなり古いものらしく、黒く味のある質感をしていた。席に残った小宮山と汐崎は何やらひそひそと会話をしているように見えた。

 壁際にも本棚が設置されており、南側つまり右手側の窓の一部には暗幕がかけられている。具体的には奥の方の窓だけだ。対して北側の窓には何もかかっていない。東側つまり奥側の壁は本棚が天井まであり、そもそも窓を見つけることは出来なかった。


 奥に行くほど大きく重い本が並べられており、人気のありそうなライトノベルや人気作家の本は手前にあるという印象だ。図書室に訪れたのは久しぶりで、情報収集よりも本の部色が捗って来る。これは不可抗力である。欲求からは逃れられない。

 売れっ子作家の作品や映画原作の小説はやはり人気があるようだ。中学に入って陸上一辺倒になり、あまり本を読めていなかった俺でも知っている名前がちらほらある。

 ライトノベルも充実している。巻数が多すぎて追うことが出来なくなった作品を見つけて、少々心が躍ったものの、最後に見た時よりもさらに巻数が増えていて、驚きを越えて笑いそうになってしまった。おそらく作者は両手がタイプライターに固定されて、寝ることも許されず延々と文章をつむいでいるのだろう。まぁ大英百科事典の写しをやらされていないだけマシかもしれないが

 横溝正史や江戸川乱歩の版の古い作品群が奥の方に並んでいるのを見つけて、引っ張り出してみたが、やはり劇画チックな表紙が怖い。子供相手に生首や血みどろはちと刺激が強いのではと思ってしまう。かくいう俺も小学生の時に親に勧められて手を出した挙句、表紙にも内容にも叩きのめされた一人なのだ。

 今風のアニメ調の表紙にしたらもっと手前に並んでいてもおかしくないのに、と思う反面、可愛らしい見た目で釣って内容で恐怖に陥れるのはちょっとした詐欺になってしまうな、と思った。内容は確かだから、読み返してみるのもいいかもしれない。


「ふーん。謎解きを忘れて随分と楽しんでいますねぇ」


 不意にうしろから小突かれる。

 危うく声を出しそうになりつつも、慌てて振り向くとジトーっとした目で俺を見ている江利川がいた。


「い、いや、久しぶりの図書室でテンションが上がって本の物色が止まらない、なんてことはないからな、けっして」

「丁寧なご説明ありがとうございます」


 妙に冷ややかな口調だ。

 江利川は両手を使って眼鏡の位置を治した。鼻の上にちょこんと眼鏡が乗る。


「それで何か分かりました?」

「さっぱりだ。しいて言えば、本棚がやたら高い気がするくらいか。上の方の本を取るには踏み台が必要だな」

「私、あの上の本が取りたいんですけど、踏み台になってくれませんか?」

「断固拒否する。俺にそういう趣味はない」

「まぁいいですよ、冗談ですから。で、その本棚は例の席に何か関係が?」

「どうだろうなぁ今のところは何とも。ちなみに江利川はその席がどこにあるか知っているのか?」

「……」返事が無い。


 再び江利川に目をやるが……さっきまでの雰囲気はどこへやら。

 いかにも何かを誤魔化すように目を泳がせている。


「お前、知っているだろ」

「にゃ、何のことやら……」

「言わないと、お前をしらみつぶしに図書室の椅子に座らせることになるが良いのか?」

「ややや、勘弁勘弁ですよぉ。ほ、ほらあそこの席です」


 いとも簡単に吐いた。

 けれど、江利川が指さす先は……さっき俺たちが座っていた椅子だったのだ。

 おそらく今の俺の顔は、先ほどの小宮山もびっくりの青瓢箪だろう。

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