第3話 江利川瑞奈は電波である
「お、遅れましたぁー」
もう一人の新入部員が被服室、通称第二家庭科室に駆け込んできたのは、小見山の発言の僅か後だった。俺の三倍を超える回数のノックの後にバーンと扉が開く。
急な物音に俺は心底肝を冷やしてしまい、反射的に立ち上がって振り返った。
そこにいる人物を俺は知っていた。予想外の人物だったのは言うまでないのだが。
「えっと、君も今日からこの部活に入る、E組の
同じく立って教室の出入り口の方を見ていた汐崎が言った。
「ようこそ、料簡と理の研究部ヘ」
「おー私の名前をもうご存じでしたか!こりゃあありがたいですね。それで……どこに座れば?」
「こちらへどうぞ、江利川さん」
小宮山の案内で江利川は俺たちと同じ机に着いた。
俺の斜向かい、小宮山の隣だ。
四人掛けの大机はこうして埋まってしまった。俺が言えたことではないが、この時期の入部は珍しいなと思う。それも二年生の新入部員は。
江利川が腰を下ろすのを見て、俺も汐崎も椅子に座る。
……どうも俺のパイプ椅子だけ古いようで、軋む音が大きい。
江利川瑞奈。
後頭部の低い位置で二つ結びにした茶色がかった髪と、黒い縁の大きな眼鏡、くりっとした大きな目がトレードマークである。正統派で大人びた美人の小宮山と比べると、やや幼い印象を受ける。背丈は小宮山よりわずかに低いくらいか。
容姿で他に特筆するべきことがあるとすれば……発育の良さだろうか。横にならんだ小宮山と比べると、小見山がひどく貧相に見える。まぁ比較する以前に小宮山が単に貧相と言うかスレンダーと言うか……今はこのくらいにとどめておこう。何かの拍子に口走ったりした時が怖い。第一、他人を勝手に比較するものではない。
さて、俺がなぜ江利川を知っているかと問われれば、クラスが同じ、としか答えようがない。ただ、単なるクラスメイトという間柄で合っても、彼女が俺に強い印象を植え付けるには理由があった。
江利川は変人だった。
去年の入学時以来同じクラスなのだが、彼女の言動には度々驚かされ、度々辟易とさせられてきた。
ある時は『この部屋にはソロモン七十二柱の約半数が揃っています』と言い、クラスを阿鼻叫喚の嵐に包み込み、ある時は天気予報で一日晴れの日に『今日は土砂ぶりの雨が降るでしょう』と宣言し、見事に的中させてみせた。町に出て班活動をするという課外授業があった時には、江利川の班だけはUMAの生息地MAPを提出していたこともあった。これは江利川の独断専行だったという噂だが、もちろん疑う者はいない。
それだけではない。容姿だけならば横に座る小宮山に勝らずとも、劣りはしない江利川は男子に告白された事が何度かあった。俺が知るだけでも数回なので、おそらくはもっと告白されているに違いない。――が、江利川はその告白のすべてをことごとく断り、まるで呪い紛いの文章をその男子達に送り返したのだ。なお、その奇行の理由は未だに判明していない。
そんなこともあり、江利川はクラスにおいて現在進行形で浮いた存在になっていた。
まぁ中学生活も二年目と言うこともあり、このところは目立った奇行は見られなかったのだが。俺自身、色々な事情もあり、孤立しがちだった江利川のことを気にはかけていた。
「私のことは入部手続きとかで知っているだろうから、男子二人は江利川さんに自己紹介してよ」と小宮山が促す。
じゃあぼくから、と汐崎は猫背気味の背を伸ばした。
「ぼくは二年A組の汐崎湊人です。よろしくね」
「うん、よろしくねザッキー」
「ざ、ザッキー?」
「しおざきだから、ザッキー。可愛いでしょ?」
「な、なるほど……」
さっそく汐崎が江利川の流れに呑まれている。江利川のこういうグイグイと他人の懐に入り込もうとする精神力は見習いたいものだと思う。真似をしようとは微塵も思わないが。
小宮山が机の下で俺を蹴るので、俺は続けて名乗ることにした。
「あー、俺は江利川と同じクラスの乙守稔だ、知っているよな?よろしく頼む」
「あれ、ともりんも同じ部活なの?よろしくね!」
「いい加減、ともりんは止めてくれと言っているだろ」
「まぁまぁそんなに怒らないで下さいよ、あたしとアンタの仲じゃないか」
「へ、変な誤解を生むようなことを言うんじゃねぇよ!クラスが同じだけだろうが!」
気を付けていたはずなのに、俺も江利川の流れに呑まれてしまった。不可抗力だし、この巻き込まれ方は防ぎようがない。
そして何よりも、汐崎と小宮山が二人して訝し気な顔で俺の方を眺めてくるのが、本当にうっとうしい。示し合わせたみたいな反応が余計に面倒臭い。
コホンと咳払い。小宮山が流れを切った。
「一応訊くのだけど、江利川さんはなぜこの部活に入ろうと思ったの?」
「それはねぇ……」
江利川は溜めるように腕を組んだ。
「この部活の名前を聞いて私、ピーン来ちゃったんですよ。『料簡と理の研究部』まさにオカルトや都市伝説、UMAや心霊の真実を解き明かすために存在しているんじゃないの!そう思ったんです。科学から逸脱し、世界の理を揺るがす、それらを研究する部活を私は探し求めていたんです!」
目を輝かせ自信満々に言い切った江利川に俺は心底同情したくなった。ああコイツも大仰な名前に釣られてしまった被害者なのだ、と。
その後の進行は予想通り。汐崎は気まずそうな顔をして、さっき俺にしたのとまったく同じ説明を江利川にすることになった。
けれど、俺の時と異なっていたのは、話を聞いた江利川が妙に前向きだったことだ。
江利川はひらめいたように手のひらをポンと叩き、机に前のめりになる。眼鏡のレンズがキラリと光ったように感じられた。
「活動内容が無いならば、むしろ好都合です。この部活はいわば真っ白なキャンバス、歪みの無い世界です。そこに一滴の絵の具、もとい謎を落とし込むことで世界は一気に色鮮やかになります。つまりですね、この際、活動内容を新しく決めてしまえばいいのではないか、私はそう提案したいわけなのです!」
「まぁ俺も同意見だ。話の前半はよくわからんが」ささやかに手を挙げて賛同する。
小宮山は余裕があるようで、ウンウンと頷くばかり。
一方の汐崎は首を傾げて、はっきりしない表情をしている。
ややあって汐崎はおずおずと口を開いた。
「ぼくと小宮山さんの意見はさて置いて、乙守くんと江利川さんの趣向には少し差異があるように感じられるんだけど、どうする?」
「そうかな汐崎くん。多分だけど二人は根元の方で同じような好奇心を持っていると思うよ」
小宮山は表情を変えずに続ける。
「二人とも何かしらの謎を解き明かしたいと言う気持ちがあって、この部活に入ったのよね?だったら色んな謎に挑戦してみたらいいんじゃない?ミステリーないし学校の七不思議ないし。私もそういう話に興味が無いわけではないし。まぁ謎が身近に存在するのならだけど」
俺はウンウンと頷いて、再び賛同することにした。
どちらかというと事件性のある謎について思考を巡らしたかった俺だが、オカルトや都市伝説の裏を取るのも案外面白いかもしれない。このまま江利川に部活が乗っ取られてしまったら大変であるが、そこは俺がバランスを取ればいいだろう。第一、周囲に疑いの目を向ければ、謎と言うモノは溢れるように出てくるのだ。例えば、汐崎と小宮山の関係だって思案すべき謎だ。活動内容には困らないだろう。
「小宮山さんがそう言うなら、ぼくは賛成だよ。そういう話題には興味があったんだ。丁度最近、古本屋でオカルト雑誌を押し付けられたところだったしね」と、汐崎は鞄をゴソゴソし始めた。怪しげな物体を持ち歩いているのかこいつは……。
けれど、汐崎のその動きを制止するように、江利川が不意に手を伸ばした。
慌てたような口調で彼女は言った。
「ちょっと待って下さい!実はですね、こんなこともあろうかと一つ謎を持って来たんです。初めての持ち込み企画なのです!」
俺たちは江利川の言葉に釘付けになってしまった。空いた窓から吹き込むささやかな風が、俺たちの頬を撫でつける。
ふふん聞いて驚かないでください、と前置きをする江利川。
そうして、わざとらしく神妙な面持ちでこう言ったのだった。
「知っていますか同志諸君、図書室の呪われた席の噂を」
俺の中の何かが熱くたぎるような気がした。
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