第2話 料簡と理の研究部には活動内容が無いようです

 夏休み明けのとある日。

 俺、乙守おともりみのるは小宮山から聞かされた場所、旧校舎の三階の東の端に位置する被服室、通称第二家庭科室に足を運んでいた。まだ残暑が厳しい八月の終わりの日が傾き始めた放課後だった。


 ノックを二回するか三回するかということを扉の前で数分悩んだ挙句、妙なブレイクスルーを経て、足して五回ノックすることに決めた。

 入部期間を四カ月ほど過ぎた夏休み明け、それも二年生になって今さら入部するのだから緊張しないわけがない。人付き合いは苦手ではないが、既に構築された人間関係にズケズケと入り込めるほど俺の神経は太く無いし、初対面でワイワイしている自分の姿を想像することもできない。

 部屋の中には小宮山の他にどんな人物がいるのだろうか。残念ながら、木製の扉に付いているのはすりガラスであり、部屋の中の様子を伺うことは出来なかった。

 大きく息を吐き、満を持してノックをして扉を引く。

 その瞬間、視界は明るくひらけた。

 視界に飛び込んできた景色。その印象はおおよそ想定内に収まるものであったが、単なる驚きだけでは語れないものでもあった。


 学内においてまさに高嶺の花のように扱われている小宮山梓は、窓に背を向けて大机に腰を下ろしていた。ショートカットの艶黒い髪を風に揺らし、一方で雪のように白い肌は傾きかけの日の下でもきらきらと主張しており、そのコントラストは一種の芸術品のよう。整った目鼻立ち、とくに長いまつげときりっと透き通った目で構成された目元は、気の強そうな印象をこちらに与えて止まない。褒めたくはないが、そこに佇むそいつの姿は地上に降りて来た天使か、もしくは文字通りの高嶺に咲く一輪の花と見間違える程であった。小宮山の人気の理由を改めて理解するには、それだけで十分だった。


 小宮山に危うく見惚れそうになりながらも、俺は視線をずらした。すると小宮山とは明らかに釣り合わない存在がいることにも気が付く。

 小宮山の斜向かいには無造作な髪形でなんとも覇気のない男子が陣取っていたのだ。顔は割と整っている方で、身長も俺よりは高いだろうと推測できる。だが、どう考えても小宮山とは不釣り合いだろう。若干の猫背のまま、ゆるい頬杖を崩してこちらに振り返っている姿は、警戒一割、歓迎二割、無気力七割という風であった。


 瞬間、いくつかの疑問が頭の中に浮かんでくる。


 この男子は小宮山とどういう関係なのだろうか。

 こいつも新入部員なのだろうか。

 そもそも部員は二人しかいないのか?ポスターには少なくとも十二、三人くらいは描かれていたはずだ。


 ……悲しい想像だが、新入部員の歓迎に部員が全員参加しないなんてことは、ないだろうから、おそらくはこの二人だけが部員なのだろう。

 小宮山が自分の名前を出して部員を募集するくらいなのだから、もっと大所帯の部活だと予想していたが、それはどうやら考え違いらしい。そもそも入部届を渡しに行ったときの小宮山の様子からして、あの慌て方は新入部員自体が珍しいというような感じだった。まぁ複数人の絵が描かれていてミスリードを誘うポスターも悪いのだが。

 ちらりと部屋全体に目線を配ると、二人のほかに人はいない。教育機関において最重要とも言える教材の類も、全く見て取ることが出来なかった。入学以来この教室を授業で使ったことも、使っている所を見たことも無かったことを思い出す。

 想定内とはいえ様々な情報にあてられて、部室の入り口に呆然と立ち尽くしていると、不意に無気力そうな男子が声を掛けて来た。

「ええと、君が今日からウチの部活に入る……二年E組の乙守稔くんだね?こっちに来なよ」

「え……ああ、お邪魔する」


 軽く会釈をして、俺は案内されるがままその男子の隣の席に腰を下ろした。当然のことだが、正面には小宮山が座っていることになる。古いパイプ椅子がキィキィと軋む。

 小宮山は俺を見るなり、ニヤリと口角を上げた。人物が人物だけに嫌味の無さそうに見える笑み、この表情に落とされるヤツも多いのだろう。

 ……果たして隣の男子もその口なのだろうか。


「相変わらずぶっきらぼうなんだね、乙守は」小宮山は言った。

「うるせえ。そっちは知らないうちに随分と有名になったようだな」

「本当に口の悪さは治らないのね」

「俺とお前の間に、口の悪さが露呈するほどの会話があったとは思えないんだが」

「ふん、どうしてもこの部活に入りたいって頼み込んできた癖に」

 初手から会話のドッヂボール。昔からこうではあったが。

 別に俺は小宮山が嫌いではない。好きでもないが。無関心に近いというのが正しいだろうか。

 わざわざ好きでもない小宮山のいる部活に入ろうとしたのは、単に俺のやりたい事をやっていそうな部活だったからだ。俺一人で何かをするよりは、先駆者についた方が何かと都合がいいと判断した、それだけのことだった。

 小見山と睨み合っていると、横に座っていた男子がおずおずと会話に滑りこんできた。

「あのー小宮山さん?もしかして乙守くんとお知り合いだったりする?」

「ええそうよ、小学校が同じでクラスも何度か一緒になったかな。こんな人、知り合い程度の人間よ」

「な、なるほど」と男子は微妙に安堵したような表情を見せる。

「で、君の名前はなんて言うんだ?」俺は間を開けず、男子に訊ねた。

「ぼ、ぼく?ぼくは二年A組の汐崎しおざき湊人みなと。この部活の部員だよ。小宮山さんの事は知っているよね?」

 別のクラスの生徒で小学校も違う奴か。馴染みのない名前だった。


 俺は頷くついでに一つ訊いてみることにした。

「それで現状のこの部活には君たち二人しかいないのか?まさかそんなこと……」

「うん二人だけだよ」汐崎は当然のように頷く。

「……ああ、予想はしていたがやはりそうなのか」

 そんなことも知らずにやって来たの、とクスクス笑う小宮山。

 癪に障った俺は大げさに身振り手振りをつけて言った。

「だってあの小宮山梓が部員を募集しているんだろ?眉目秀麗、成績優秀。下駄箱を開ければラブレターが絶えず、バレンタインにはクラスの女子のほぼ全員から友チョコを貰うと噂のあの小宮山梓が」

「そんな尾ひれが付きすぎて実態が見えないような噂を、未だに信じている人が居るとは驚いたわ。まぁでも……時機を逃したのよ時機を。部員勧誘のタイミングにポスターが間に合わなくて、貼り出した時には、ほとんどの新入生が入る部活を決めてしまっていたの」

「まぁまぁ二人とも。部員が少ないことに色々理由があるだろうけど、ぼくが思うにこの部活の名前が悪いんじゃないかな?何だか変な宗教結社みたいでしょ」


 間に入った汐崎が言うことはなるほどもっともだと思った。俺は洒落た探偵組織かその類だと想像したが、名前だけなら怪しい匂いをかぎ取っても仕方が無い。それにあのポスターを見つけたのも偶然だった。あまり人通りのない掲示板に貼られていたから、目にする人も少なかったのだろう。


 俺が一人で納得していると。汐崎が何だか申し訳なさそうな顔でこちらを伺っていた。

 なんだ?と促すと彼は頭を掻きながら控え目に言う。

「あの、一つ聞きたいんだけど、何でこの部活に入りたいと思ったの?知っているだろうけど、うちの部活にまともな活動内容は無いんだよ」

「……か、活動内容が無い!?」

 俺は勢いあまって立ち上がってしまった。急に外のセミたちが堰を切ったように叫び出す。伴って、真夏の昼間が再生されるかのように体感温度が上昇する。

 汐崎の放った言葉、それはあまりに想定外の発言だったのだ。活動内容の無い部活など普通は存在し得ないし、するなどとは微塵も思っていなかった。いくら思慮深い俺でも、部活内容が無いことまでは考えが至らなかった。

 思い描いていた部活像、そして再始動するはずだった俺の中学生活が、早くも砂上の楼閣のように崩れ去る姿が見えた。


「待て待て待て。待ってくれ。料簡と理の研究部だろ?どう考えても何か問題を解決したり、あやふやな事物の真実を突き止めたりするような名前じゃないか」

「違う違う、名前は小宮山さんがこじつけて付けた名前なんだ。元々は第二料理部って名前だったから」


 第二料理部……第二家庭科室、料理、部……第二家庭科室、料簡、理、研究部……。


「なんてことだよ…‥」

 今度は落胆のあまり、勢いよく椅子に座り込こむことになった。ちらりと見えた汐崎の申し訳なさそうな表情が、一層俺の虚しさを加速させるようだった。

 不意に正面から笑いをこらえたような声がする。

「そういうわけなの乙守。どうする?入部を諦める?」

 なんとも挑発的な目つきだ。心の奥底の何かをかき立てて引っ張り出すような……。

 だが俺に答えは一つしかなかった。小宮山に煽られたわけではない、それだけは確かだった。


「……いや、入るさ。俺は決めたんだ。他に行き場所も無い」

 俺はきっぱりと言った。紛いなりにも信念があった。

「活動内容が無いならば、作ればいい。そう……じゃないか?」


 汐崎、小宮山へと順に視線を移す。


 ――ややあって。


 二人は顔を見合わせると、揃ってフフフと笑い声を漏らした。

「いいね、ぼくも何かやってみたいとは思っていたんだ!」

「乙守のくせに結構面白いことを言うんだね。いいよ、これから新しい部活として活動を始めようじゃないの」

「よ……よろしくお願いします」挨拶がまだだった事を思い出して、俺は頭を下げる。

「うん、よろしく」

「よろしくね、乙守」

 二人の混じりけの無さそうな笑み、小宮山はさておいて、少なくとも汐崎の純粋そうな笑顔は俺の加入を歓迎してくれているように感じられた。

 俺のやるべきこと、やりたいことはこの部活でなら成し遂げられるのではないだろうか。一時は打ち砕かられたそんな希望も、今なら確信的に信じられる気がした。


 早速、活動内容はどうしようか、と俺が尋ねようとした時だった。

 小宮山はわざとらしく思い出したように、ああそうだ、と呟いた。


「実はね、今日はもう一人新入部員がいるの」


 そう言うと小宮山は頬杖を突いて微笑んだのだ。

 蝉は喧しく鳴いて、窓から見える木々の葉は風に揺れて、天井の扇風機は回転を止めない。まだ残暑の気配がそこかしこから感じられる、そんな夏の終わりの放課後だった。

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