御子神先生の「鉤括弧」の話がなかなか終わらない(笑)① 鴫野亜実

 御子神みこがみ先生の鉤括弧の話はなかなか終わらなかった。

「というわけで、現代の小説では、会話文の鉤括弧は改行後に書き出す場合は、頭一字あけずに始めの鉤括弧をつけ、最後は句点をつけずに終わりの鉤括弧で閉じることになっている。小学校で句点をつけるように教えるけれども出版業界ではそうだ。それが基本だ。他にいくつか慣例的に行われているルールのようなものがあるが、ひとつひとつ見ていこう」

 いや、別に、もう良いんですけどね。

「私が最近感心しているのが、『重ね鉤括弧』あるいは『多重鉤括弧』と呼ばれるやつだ。ラノベでは当たり前のように使われている」


「「「なんです!!! それは???」」」


 あたしと鴇田ときた、そして香月かづき先輩が声をそろえて御子神先生に訊ねた。その様子を「重ね鉤括弧」で書いたのだ。香月先輩、合わせていただき、ありがとうございます。

「三人が声をそろえて喋れば、三つの鉤括弧が重ねられる。二人なら二つだ。その理屈で行くと、十人だったら十個なのかどうか、知らんが」

 さすがにあたしも十個も重ねたのは見たことはない。

「はじめは違和感ありありだったが、見慣れると可愛いものだ。何とも思わなくなる。むしろわかりやすい。誰が始めたのかわからないが、もはや定着しているといって良いだろう。昔なら単純に『と、三人は声を揃えた』とでも書いていたのだろう。もちろん鉤括弧は重ねずに」

 まあ、そうでしょうね。

「鉤括弧のサンドイッチも、外国語の真似をして始めたのだろうが、見慣れると何とも思わなくなった」

「「鉤括弧のサンドイッチ?」」あたしと鴇田は訊いた。


「それはだな」と言って、御子神先生はまたしても漢字テストの答案用紙の裏に書いた。「こういうやつだ。サンドイッチ」


 地の文を挟んで、同じ人物の発言を鉤括弧で挟む形だ。

「登場人物Aの発言」登場人物Aが言った。「登場人物Aの発言」


「当然のことながら、同じ人物の発言で挟むことになる。そうしないとややこしい。英語などでは当たり前のようにつかわれている技法だけれど、日本語には最初なかった書き方だ。いつから使われるようになったのか、時間があれば調べてもらいたいものだな」

 きっと香月先輩あたりが調べるでしょうね。

「もし挟まれている地の文がなかったらどうなると思う?」と言って、御子神先生は紙に書き始めた。


①「もし挟まれている地の文がなかったら」と御子神は言った。「どうなると思う?」

②「もし挟まれている地の文がなかったら」「どうなると思う?」

③「もし挟まれている地の文がなかったらどうなると思う?」


「②のケースだと、別の人物が喋ったように思われてしまう。同じ人物の発言なら①か③になるというわけだ」

「そうですね」

「日本語の場合は、③にするか次の④⑤のようにしていた」


④御子神は言った。「もし挟まれている地の文がなかったらどうなると思う?」

⑤「もし挟まれている地の文がなかったらどうなると思う?」(と)御子神は言った。


「③④⑤だったのが、英語の影響なのか①の書き方が加わり、よく使われている」

「「なるほど」」

「日本語は、そもそも主語をはっきり書かないことが多い。会話文だけでも誰が喋ったかわかる言語だからだ。主語は『わたし』、『ぼく』、『おれ』などいろいろあるし、漢字の『私』とひらがなの『わたし』、カタカナの『ボク』とか『オレ』などと登場人物ごとに使い分けるようにしておけば誰のセリフかよくわかる。ほかに動作を示す動詞に敬語をつかえば、それでも誰のセリフかわかるしな。日本語の小説において『御子神は言った』は余計な文だ。君たちが小説を書くのなら、できるだけ省いた方が良い。誰が言ったかはっきりさせざるを得ない場合のみ使うべきだ。それもできれば、『御子神は口をはさんだ』とか『御子神は怒っていた』とか『御子神は口を尖らせた』とか別の表現の方が良い。単に『御子神は言った』は本当に駄文だ」

「「承知しました」」

「で、ここから私が言いたいことにうつるが、どうしても②の形式を使いたい時が出てくることがある。滅多にないケースだが、実際に使われている技法だ。探せば見つかる」

「そんなことあるのですか?」あたしは訊いた。

「長文で改行するときですね」香月先輩があっさりと答えを言ってしまった。

「そうだ、そしてそのとき、終わり鉤括弧が消える!」


「もし挟まれている地の文がなかったら

「どうなると思う?」


「推理小説などで、探偵が長い演説をぶつとき、犯人が長い独白をするとき、途中で改行したくなることがあるんだ。ふつうそういう時は、駄文で『探偵は一息ついた』とか入れるのだが、敢えて地の文をはさまずに会話文を続ける。そのとき、同じ人物が発言したことを示すために終わり鉤括弧をつけず、改行して始め鉤括弧をつけるんだ。すごく違和感のある書き方だが、実際に使われている。

「最近のでは西尾維新の小説で見たかな。昔も横溝正史かなんかで見た記憶があるが、探しても見つからない。誰の小説だったか覚えていないのが残念だ。推理小説かミステリーだったことは間違いない。同じ人物がずっと喋り続けているときに使われた技法だ」


というわけで、御子神先生の長いセリフを終わり鉤括弧の無いかたちで書いてみたのだ。おわかりいただけただろうか。

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