新入生研修会レポート(仮)①「夫婦別姓」 鴫野亜実

 四月半ば、あたしたち高等部入学生四クラスはバスに詰め込まれて長野の研修施設に運び込まれた。今日から二泊三日の新入学生研修を行うらしい。

 十年以上前の共学化と高等部入学を受け入れた時に始まった恒例の行事だ。なお中高一貫生は普通に学校で授業を受けている。

 中高一貫生はこの研修を経験しないから槇村さんや但馬先輩らは研修の中身を知らない。だからというわけでもないだろうが、研修の様子を書いてこい、と但馬先輩は簡単に課題を出した。

 あたしは嫌だったけど槇村さんの「楽しみね」という一言であっさり引き受けてしまった。こんな書き方をしたら槇村さんは悲しいと思うので、文芸部への報告書は別の書き方にしようと思う。これはその下書きというか、たたき台だ。(仮)をつけておこう。

 何はともあれ、研修施設に着いてしまった。まわりには何もない。森があるだけだ。冬季にはスキー場としてそこそこ人は集まって来るのだろうが、四月ともなるとあたしたち以外人気ひとけはなかった。

 空気が良いところで羽を伸ばすのなら気分も爽快というものだが、ほとんど一日中グループワークをさせられると聞いてあたしたちは揃ってため息をついていた。

 部屋に荷物を置きに入った。十畳間に四人は狭く感じる。

 あたしたちの班は女子四人、男子二人構成だったからまだ良いが、女子五人男子二人の班もあったから、その場合女子は二人と三人に分かれ、二人は別の班の二人組と一緒にされる。残りの三人はそれで一部屋だ。

 まだ互いにクラスメイトのことをよくわかっていなかったからくじ引きに文句を言うものはいなかった。これがある程度仲良しグループができた後だったとしたら、かなり揉めただろう。

 たった二泊とはいえ、ほとんどプライバシーがない生活を強いられるのだ。合わない相手とは一緒になりたくないだろう、とあたしは勝手な想像をした。

 幸か不幸か、あたしはそういう女の群れにおける空気を読めない。ずっと我が道を行く生き方をしているから、誰と誰が仲が悪いかなんて考えることもない。だから想像するしかないのだ。

 文芸部に入ってあたしはひとを観察することを覚えた。いや、まだ覚えたわけではないが、観察しようという意識は持つようになった。これから三日間の研修でどんな人間ドラマが生まれるのかあたしは楽しみにしている。同じ班のメンバーはどう思っているか知らなかったけれど。

 一日目、到着してすぐあたしたちはジャージに着替えた。この囚人服でずっと過ごすようだ。あたしは体育会系だったから慣れているが、お嬢様育ちの子も多く、居心地は悪そうに見えた。

 何はともあれ、いきなりグループワークが始まった。初日は競技ディベートだった。テーマは十題以上あった。環境問題、高齢化社会、等々。

 班ごとにチームとなり、代表二名がディベートに出る。無作為にテーマが選ばれ、それに対して賛成か反対かもくじで決まる。反対の立場になったら、たとえ本音は賛成であっても反対の立場で相手を論破しなければならない。そういう対戦型ゲームだった。

 なお代表二名はテーマと立場が決まってから選出して良いことになっていたから、たいていの班はテーマをそれぞれ割り振って担当するようにしていた。

 持ち時間は五分ずつ。チームは四クラスで二十四もあったから全てのチームと対戦できるわけもなく、トーナメントで優勝チームを決めることもなかったが、教職員で構成される審査員から優秀賞が選出されることになっていて、何らかの報奨もあるようだった。それにどのくらいの価値があるのか全くわからない。

 対戦は午後三時から四つの会場で行われる。二つのチームが対戦し、一つのチームが審判として勝敗の判定に加わる。参加していないチームは別室のモニターで観戦が許されていた。

 そういうスケジュールだったから三時まではチーム内で作戦会議をすることになった。下調べや担当の割り振りだ。あたしのチームはふだんの班六人。男子二人、女子四人からなる。鴇田ときたも入っていた。

 正直なところディベートに強そうなタイプは一人もいなかった。あたしは勝負事で気後れすることは絶対になかったけれど、論理的に相手を言い負かすのはからっきしダメだったので、作戦会議で積極的に発言できないでいた。鴇田もおとなしくしている。

 もう一人の男子竹中たけなかが軽薄で口も軽かったから、女子のお喋り担当の小泉こいずみさんとともに進行役となっていた。昼食時間をはさんで三時間作戦会議をしたのだが、思わぬところからヒートアップし始めた。

なんてのもあるんだ」と誰かが何気なく言ったのがきっかけだった。

 そのテーマがあることはみんな気づいていただろうが、環境だとか人口だとか代替エネルギーだとか頭をひねってあれこれ話し合っているうちに後回しになっていたのだ。

「こんなの、選択的に別姓も認める、で良いんじゃね? 夫婦が好きなように選べる、で解決じゃん」軽薄な竹中が言った。

「そうかしら? どちらでも良いというのは一見自由があるように見えるけど、本当に自由に選択できるのかな? 本当は別にしたいけれど、まわりが同姓ばかりで別姓が変な目で見られてそれが嫌だから仕方なく同姓にするケースがあったりしないかな? 特に親戚の目がうるさくて本人たちの意思を通せないこともあるんじゃないかな」と言ったのは石原いしはらさんだった。

「逆に同姓が少数派になると同姓にしたくても何となくできなくなることもあるかも。私なんて名字がありふれているから別の姓になりたいと思っているけど、『あんた、姓を変えるの?信じられない!』なんて言われたら考えるわ」と佐藤さとうさんが言った。

 突然火が点いたかのようにそれまで惰性で競技ディベートの準備をしていたチームメイトが言い合いを始めた。それはまさに言い合いで、とても議論といえるものではなかった。

「いや、おかしくね? まわりに言われて意思を曲げるの? それって結局その程度の覚悟だったんじゃないの?」

「そういう竹中君は夫婦別姓反対論者なんでしょ?」

「いや、ボクはお嫁さんが姓を変えたくないというのならそれで良いと思ってるよ」

「『お嫁さん』という言い方が、日本古来の家制度のしがらみにとりつかれているみたい」

「じゃ、じゃあ、つ、妻が……」

「何噛んでるのよ!」小泉さんが笑った。

「良いな……、結婚している未来が見えるなんて……」鴇田が呟くように言った。

 みんなは一瞬言葉を失ったが、あたしは可笑しかった。

「あたしはいろんな選択肢があった方が良いと思ってるよ」あたしは珍しく口を出した。「夫婦同姓にするにしても、どちらかの姓にする必要はないんじゃない?」

「どういうこと?」

「たとえば、鈴木さんと佐藤さんが結婚して『山田』さんになるの。新しい苗字を考えて良いって話」

「それって、夫婦創姓論だな。さっき調べていて見つけた。フィンランドが選択的にそれを認めているらしい。ただし、新しい姓は候補の中から選ぶみたいだけど」竹中は調べるのも速い。

「自由に姓をつくるとキラキラネームの姓ができるね」

「『綺羅理きらり』って苗字とか?」

「良いね、それ、私は何にしようかな」

「ペンネームだな、まるで。そうまでして夫婦同姓にこだわる理由は何だろう?」

「家族の結びつきじゃない? 家族揃って同じ苗字にするって、そういうことでしょ?」

「日本の苗字は家の名前だな。英語でファミリーネームというと、家の名というよりは家族の名という感じがより表に出るよね」

「家の名にはこだわらなくて良いけど、家族はみな同じ苗字にしようという考え方か」

「そういうことを言う人は、きっと幸せな家庭に育ったんだろな」

「どうした?」

「しんみりしないでよ」

「じゃあ別姓にしたい人は家族関係がうまくいってないのか? そんなことはないだろ」

「姓を変えたくない理由の一つは仕事の関係だと思うよ。取引先にいちいち説明しないといけないし、免許証が必要な仕事なら書き換えも面倒だろうし」

「うちの学校にも、結婚したけど教員免許の書き換えをしていないので旧姓を名乗っている先生がいるらしい」

「なるほど」

「所詮、『うじ』なんてものは家の名だろう。そんなものにこだわる必要はあるのかね。いっそのこと無くしちゃうなんてのはどうかな? みんな、名前だけになる。そうすれば別姓とか同姓とかいう問題もなくなる」

「そんなことしたら同姓同名の人がたくさんになっちゃうよ、名前しかないなんて」

「名前しかないんだから同名だな」

「キラキラネームが増えるかも」

「長い名が増えるかもな、じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……」

「なんじゃ、それ」

 下らない話をした方が親睦は図れるとあたしは思った。

 ふとあたし自身のことを考えた。「鴫野しぎの」という苗字は正しく読んでもらえないし、説明するのも面倒だし、あたしは結婚したら改姓しても良いと思っていたが、お祖父じいちゃんが昔、日本で二百人もいない苗字だから大切にしてほしい、と言ったことがある。

 あたしの家はあたしと妹の二人姉妹だから二人とも苗字を変えてしまうとこの苗字はなくなるし、独身を貫いてもをつくらなかったらこの苗字を残すことはできない。そう思うと複雑だった。

 あれ、これはフラグかな? 何のフラグかって? 十六歳になってすぐに結婚したりしないよ。そうじゃなくて、こんなことを書いて但馬副部長に見られたりしたら、結婚や夫婦別姓をテーマにした小説を書け、とか言われそうじゃない。

 あたしはこのエピソードを封印しようか迷った。しかし封印してばかりでは、何の報告書も出来上がらない。あたしは頭を抱えた。

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