御子神先生が「鉤括弧」の話を始める⑥「昔の角川文庫は鉤括弧の上を一マス空けていた」 鴫野亜実

 その後も延々と御子神みこがみ先生による鉤括弧の蘊蓄うんちくが続いた。あたしたちは飽きていたが、香月かづき先輩が興味深げに耳を傾けているので、黙ってなりゆきに任せていた。ということでまた話を端折はしょることにする。

 現代の小説では、鉤括弧は一字あけずに始まり、終わりは句点なしで締められる。ところが一昔前、昭和の時代の角川文庫だけが、会話文の初め鉤括弧を一段下げて始めていたのだ。以下昔の角川文庫方式で会話の様子を記載する。


 「今でこそ角川文庫も、他の出版社と同じく頭一字をあけずに始めの鉤括弧を配置しているが、昔はそうではなかったんだ。一段下げて会話が始まる。次の行はそのまま一番上の段から字が始まっているので、すぐに角川文庫だとわかる。新聞連載されたころの『こころ』や『三四郎』と同じかたちだな。改行して文が始まるのだからたとえ鉤括弧があったとしても一字あけるべきという角川文庫なりのこだわりがあったのかもしれない」

 「なるほど」

 「それは面白いですね」

 「となりで読まれている本が角川文庫だとすぐわかったものだよ」と御子神先生は得意げに言った。

 「そうなんですか」

 「ああ、そうだ。どこの文庫だかそれぞれ特徴があってわかりやすかった。しおり代わりの紐がついているのが新潮文庫、紙が白くて、字が大きめで行間が狭く感じられるのが講談社文庫、持ってみて軽いのが文春文庫。岩波文庫は当時カバーがなくてパラフィン紙みたいなので包まれていて、すぐに破けるから古本屋におかれているものはみんな裸になっている。他にも旺文社文庫は箱に入っているものがあったりしてだな、それぞれ特徴があったものだ」

 「今も一部の文庫は高さや幅が他と違っているものがありますね」香月先輩が言った。「ハヤカワ文庫は背が高いですね。一部のブックカバーが合わないです。文春文庫も少し高めでしょうか。そして幻冬舎文庫は幅が少し狭くて、本棚に入れると奥へ引っ込みますね」

 「一枚一枚の紙の大きさが違うのがありますが、どうしてなんですか? 上の部分がそろっていなくてガタガタになっているのがありますね」あたしは訊いてみた。

 「天アンカットのことだな。新潮文庫のようにスピンというしおり紐がついているやつは、上部を切りそろえると紐が切れるのでカットしていないんだ。ちなみに岩波文庫は紐がついていないけれど天アンカットにしているな。昔ながらのこだわりがあるのだろうか。そういうのを知らない人が最近多いらしくて、紙がガタガタだとクレームが入ることがあるそうだが、わざとやっているんだけどな」御子神先生は笑った。

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