図書室にて 鴇田量也
その日の放課後、
鴇田にとっては初めての当番だった。
図書委員は本の貸出、返却本の確認と保管、図書室の掃除などを行う。
図書委員は各クラスに一名いたから、高等部二十四クラス、中等部十五クラス合わせて三十九人いることになり、分担して放課後、昼休み、長休みに数名ずつ当番を割り当てていた。そして今日が鴇田の初当番の日だった。
慣れないうちは常時三、四名の図書委員が当番として図書室にいることになっていた。先輩の図書委員から仕事を教わるためだ。
四月は当番の頻度が多くなるが、早く慣れるのには必要なことだった。図書委員の中には何年も続けて委員をしている者もいて、人によってはこれが楽で楽しい委員活動なのだろうと鴇田は思った。
その日の委員は高等部三年生女子、二年生男子、そして一年生女子と鴇田の四人だった。
同学年の女子は
「鴇田くん、文芸部なんだね」
「まだ仮入部期間中だよ」
鴇田は煙幕をはった。正直なところ文芸部にずっといるかはわからない。
「私も在籍していたことがあったの」網代は言った。「個性の強い先輩方が多くて、ノルマも多かったし、他にもいろいろあって行かなくなっちゃった」
「そうなんだ……」鴇田は
「でも今はこじんまりとしているみたいだし、楽しい部活に見えるね」
「え?」
鴇田は驚いて詳しい話を聞きたかったが、網代は作業のやり方をあれこれ教えたかと思うとすぐに自分の分担作業を始めた。
明らかに訊くタイミングを逃した。またいつか網代と当番が一緒になった時に訊いてみよう、とその時の鴇田は思った。
しばらくして担任の
「今日は鴇田が当番か」
図書委員は当番をしている時、腕章をつけることになっている。そうしないと図書委員として図書室にいるのか私用で図書室にいるのか区別できないからだ。
御子神は何冊か本を返しに来た。
教師でも図書室の本を借りるのか、と鴇田は新鮮な感覚にとらわれた。
「演劇部の題目を考えている」御子神が勝手に喋り出した。「鴇田は演劇に興味はないか?」
「その……、特に……」曖昧な答えしか返しようがない。担任とはいえ、まともに会話するのは初めてだった。
「部活は決めたのか? 私は演劇部の顧問をしている。ちょっと覗いてみないか?」
御子神が何の顧問をしているかなど興味はない。それに父親よりも年上の男の話を聞くのは苦手だった。だから鴇田はその場しのぎもあって「文芸部に入りました」と答えた。
「お、そうか、鴇田はそっちか」
「そっち?」
「私は昔、文芸部の顧問もしておったのだよ。この学校は部活が多くてな、顧問まで掛け持ちだ。さすがにこの歳になるといくつも顧問をするのも辛いので
御子神は饒舌だった。現代文の授業を一度受けただけの印象だが、笑えぬジョークを言う変なおじさんというのが鴇田が受けた印象だった。
御子神は本を返し終えると書庫へと移動した。
御子神の相手をするのは面倒だったが、返却本の棚戻しをしないといけないので、仕方なく鴇田は御子神の後を追うかたちとなった。
書庫には同じく図書委員の二年生男子がいたが、彼は返却本を戻し終えたらしく、別の本を手にとって見ていた。
「
「
「図書委員になったのか?」
「ええ」香月は頷いた。
「趣味と実益を兼ねるなんて良いなあ」
「先生の方こそ」香月は猫のような目を細めた。「何かお探しですか?」
「演劇部の題目を考えていてな。何しろ年に三回も校内公演を行っているからな」
「あの少ない人数ですごいですね」
「助っ人を集めるのも、大変だよ。また頼むよ」
「自分はもう勘弁して欲しいスね」
「ならば
「それは買い被りすぎですよ」
「ん、なんだね、レーモン・クノー・コレクションに興味があるのか?」御子神は香月が手にしていた「地下鉄のザジ」を見て言った。
「ちょっとタイトルに惹かれて」
「『地下鉄のザジ』は映画にもなったから円盤で観てみると良いぞ」
「そうですね……」
「レーモン・クノーも良いなあ、『イカロスの飛行』にしてみようかな、今度の公演」
「あれは確かにシナリオみたいな小説でしたね」
「読んだのか?」
「チラッと見ただけです」
「図書委員をしていれば卒業までにすべての本をチラッと見ることができるのじゃないか?」
「先生、すでにそうされているでしょう」
「そうでもないぞ、私はこれでもここではレアキャラだからな」御子神は笑った。
「『イカロスの飛行』やるのなら楽しみですね。あれは場面がコロコロ変わりますが、どうなさるおつもりですか?」
「そうだな、舞台をいくつかに区切って照明のオンオフで切り替えるかな。テクニックが必要になるが」
二人の話を鴇田はわけもわからず聞かされていた。どうもこの二人はこうしてよく本の談義をするようだ。御子神は二年生の担当教師ではないから本来接点はないのだが、どこかで関わることがあったのかもしれないと鴇田は思った。
「ところでここの隙間にあるはずの『文体練習』がなかなか返却されないのですが」
「ああ、それは多分文芸部の仕業だろう」と言って御子神は鴇田をちらりと見た。
鴇田は知らぬ存ぜぬという態度をとるしかない。
「どうせまた、
そう聞いて鴇田は納得してしまった。その時鴇田は「文体練習」が近い未来に課題にされるとは夢にも思わなかった。
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