『四月某日 文芸部部室にて』③ (三人称多視点編) 但馬一輝
いきなり小説を書け、と言われて書ける人間がどれほどいるだろう。いや、たとえ書けたとしても、ここで書く必然はないとか言って席を立つ人間の方が圧倒的に多い、と但馬は思っている。そこを何とかなだめすかして、時には上級生の威厳をかさにして但馬はどうにか二人に書かせるように仕向けた。文芸部に入部するに至ったいきさつを一人称で書くという課題だ。全く素直な奴らで良かったよ。但馬は内心ほくそ笑んでいた。
鴇田はため息をつくのをこらえていた。本当ならこの部室から抜け出したい。いったいなぜこうなったのだ。但馬先輩は威圧してくるし、鴫野は目を血走らせているし、これではどうしようもないではないか。しかし、自由に書く作文なら得意だったからどうにか手を動かすことはできている。これまでのことを日記のように自由に書けば良い。フィクションが混じって良いと言われているし。気持ちを切り替えて鴇田は目の前のノートパソコンに向かった。
なんだこれは? どういう状況か。鴫野は眉間に皺がよるのを自覚した。槇村さんはどこにいる。槇村さんとお喋りをして清楚で上品な女子高生を目指そうと意気込んでいたのに、なぜこんなガタイの良い先輩男子と間抜け面のクラスメイトと暗い部屋で沈黙を満喫しなければならないのだ。その憤懣を表に出さないよう封じ込めるのに鴫野は努力しなければならなかった。
二日かけて二人の新入生は小説を仕上げてきた。なかなか良いぞ。嫌々なのはわかっていたがそれでも書き上げるとは見上げたものだ、と但馬は機嫌が良かった。
「他の部員の皆さんはいつ来られるのですか?」しびれを切らしたように鴇田は但馬に訊いた。書いた作品の講評を聞いた気がするがもう覚えていない。
「二年生もいらっしゃるのですよね?」鴫野が続く。女子の先輩もいると聞いた気がする。但馬先輩よりもストーリーにこだわった作品を書くとも聞いた気がするが。但馬のつまらない蘊蓄よりも、その先輩の話の方が余程役に立つのではないかと鴫野は思った。
「まあ、待て待て。毎日ここに来ていればいずれ顔を合わせる」但馬は焦った。たしかに俺だけではいつまでも二人を繋ぎ止めておくのは難しい。そうだなそろそろ呼んでおこうか。
「どんな先輩方なんだろう。きっと槇村さんみたいな上品で美人の先輩に違いない」鴇田はわざとらしく言ってみた。
「あんたは女子しか興味がないのか?」鴫野は軽蔑を隠さなかった。こいつは何なの?
「槇村ほどではないが、二年生の本谷は眼鏡美人で学級委員もしている優等生だ。優しいやつだからお前たちもきっと気に入るだろう」
「楽しみです」鴇田が答えた。
「お、噂をすれば影」但馬は部室の扉が開くのを見た。
鴇田と鴫野も出入口を向いた。
ブレイク
「何だか目がまわりますね」鴇田が言った。
「ほんと、遊園地のティーカップに乗っているみたい」鴫野が同調した。
「すまん、三人称多視点は慣れてないんだ。ボクにとっては難しい書き方だな。視点が瞬時にコロコロ変わるから目が回るような錯覚を覚える。あまりお勧めしないな。次に紹介する三人称客観視点、観客視点とも言うが、それと三人称神視点の方がまだ良いかな」
熱く語る但馬を見て、鴇田と鴫野は、まだあるのかとため息をつきながら顔を見合わせた。
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