とある門番の恋

 思えば、無駄なことだった。

 毎晩、月がてっぺんに上がる頃合いに彼女は現れた。最初は胡散臭げにこちらをじいっと見つめ、暫し考えるように小首を傾げ己の薄い唇を指で撫でていた。そして、おもむろにつかつかと歩きだすと自分の目の前にずい、と差し出したのだ。

 随分年季の入った、木の柄のブラシを。

「決めたわ。貴方、私の髪を結いなさい」

 ……何言ってるんだこのクソガキ。とは思ったが口には出さなかった。拒否しようと思えば出来ただろうし、ここに二度と来る気にならないようにだって手段を選ばなければ出来たには違いない。

 しかしそこまで嫌かといえば、別にそうでもない。大体そこまでの労力を使うのと、短い時間彼女にくれてやるのと。自分の天秤にかけた時、わずかながら髪を結う労力のマシだと判断した。どうせ子どもの気紛れだ。飽きれば来なくなるだろうと踏んで、ブラシを受け取った。


 以来、毎晩。

 彼女の柔らかで長い、癖のある髪を結い続けていた。

 飽きるかと、思ったのに。毎晩毎晩、彼女はブラシを片手にやってきた。だらだらととりとめのない、今更何の意味もないだろう話を楽しげに語っては、結われた髪に満足気に笑って去っていった。

 相当の物好きだろう。無口で無愛想な男の元に通い詰める彼女も、そしてそんな彼女の髪を結い続ける自分も。


 それも。今晩が、最後だ。


 やることは、変わらない。ゆるゆると、癖のある髪を丁寧に編んでいく。随分と慣れたもので、指は彼女の髪を覚え結い上げていった。

「ほんま、最後まで物好きやったな。あんた」

 正直な感想を始めて口にした、と思った。

 別に自分が編む必要なんかもなかったし、彼女がここに来る必要もなかった。それこそ、最初から。

「ねえ、最後だし聞いていいかしら」

 改まった調子で、投げかけられて思わず首を傾げてしまった。自分に、何を聞こうというのか。

「なんや」

「貴方、私のこと好きだったでしょ」

 ……何を言い出すかと思えば。

 にんまりとチェシャ猫のような、含みのある笑みを向けてくる。

 本当に驚くほどに可愛げのない女だった。それも最初からだ。別に、とだけ返すと、ふぅん、と大した反応もなく。

「ほれ、終いや。さっさと行き」

 編み上がった髪を放ると、貴方はいつもそうよねぇ、とまた笑う。

「ねえ。私は、貴方を好きだったわよ」

 すくり、と立ち上がりサンダルのストラップを直すと、一歩前に歩いて、そして、振り返って――一番の笑顔を、満開に、咲かせた。泣いていたのかもしれない、がそれも薄闇が隠してしまって定かではない。


 ああ、わかってるさ。自分の感情は自分が一番わかっている。

 あんたのそんな意地の悪い笑顔でも、愛しかったんだ。


 でも、そんなことは口にしちゃあ、いけない。それでも、手を振って、彼女が背中を向けたその時だけは。声にはならない声で、叫ぶ。力の限り叫んだ思いなど、届かなくていい。

 ただ、ゆく彼女の幸せだけを、祈るくらいは許せ、と。


「     」


 そして、彼は今日も門の前で立つ。

 彼女のような待ちぼうけを食らう柔い魂が、新しい生へ旅立つまでの時間つぶしに付き合う為に。

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