ももたびあとのゆめ

 僕には夢がある。誰にも言わない、言うつもりのない内緒の夢だ。


 白いカーテンが風を含み大きく膨らんで、春の空気を病室へと誘い込む。そこそこ大きなこの病院の中庭には、院長の趣味なのか沢山の薔薇が植えられていて、丁度今が見頃を迎えているらしかった。色とりどりの花達は空気にその華やかな香りを含ませる。そして鳥籠のような部屋へ風と共に舞い込んできては、室内の空気を染めていくのだ。

 僕の手は、黒いファイルを開きページをぱらぱらとめくる。極秘、と抱えたそれらはとある観察対象のカルテだ。『彼』はこの病院には何度も何度も世話になっていて、その度に僕は――正確に言えば僕の父も、祖父も――呼び出される羽目になった。今回だってそれの一回に過ぎないわけなのだけど、僕にとっては特別な一回でもあった。

「……隆太郎さん」

 眠る彼の瞼がぴくり、と動く。僕が呼びかけるとうっすらと瞼が開いた。意外と長い睫毛で、色素の薄い瞳が天井を映し、ああ、と小さく呻いたような気がした。

「純」

 僕の名を呼び、今度はしっかりと此方へ視線を向ける。ゆっくり起き上がろうとして「痛ぇ!」と叫んでベッドに沈む。

 いや、痛いでしょうよ普通に。この人、先日大型トラックに豪快にはねられたんだから。

「まだ骨ちゃんとくっついてないんだから、大人しくしてなよ」

「ウワァ、まーじか……随分回復するのが遅くなったよなぁ」

「通常はもっとかかるの。お願いだから無茶しないでよ」

 椅子から立ち上がり、彼――隆太郎さんをベッドに押し戻す。もっと丁寧に扱えよ馬鹿! 痛いっての! とか言われたけど知ったことではない。僕の力如きでどうにかなる程ヤワではないのは知っているのだ。

「退院は一週間くらいかかるんじゃないかって、先生が言っていたよ」

「へーへー」

「で、『今度は』どうしたの」

「トラックが前方不注意で赤信号に突っ込んできやがってよ。ベビーカー押してた若いお母さん撥ね飛ばそうとしやがったもんだから、こう」

 まあ、心情としてはわからなくもない。わからなくもないけれど。

 僕は病室に入ってから二桁目に突入するだろう溜息を吐きながら、彼に問うのだ。

「何回目か覚えてる? 『死んだ』の」



***


 初めて会ったのは、爺様の葬式だったように思う。

 ぐしゃぐしゃに泣き崩れた若い男に一族が騒然となったのは言うまでもないが、うちの父親だけは冷静で「父が世話になったんです」と言ってのけて肩を支えながら奥へと連れて行ったように記憶している。その時は僕も本当に小さくて曖昧にしか覚えていないのだけど、実際に彼、紺野隆太郎を認識したのは、その時だった。


 こんな春の陽気が風で運ばれてくるような、今日みたいな穏やかな日に、僕は隆太郎さんと劇的な再会を果たすこととなった。


 その日僕は親父さんと出かけていて、その先で一報を共に聞くこととなった。

 連絡を受けながらみるみるうちに蒼白になっていく親父さんの横顔に、とんでもないことが起きたと理解できるくらいには僕だって成長していたわけで。当たり前のように、僕は一緒に病院へとタクシーで向かうことになったし、当たり前のように病室へと共に向かうこととなった。

 救急受付口で出迎えたのは、訳知り顔の医師で。その白い背中を僕達はついていくこととなった。通常の病室ではない、というのは理解した。しん、と静まり返ったその一帯の生気のなさに、察してしまったのだ。

「紺野隆太郎さんであることの、確認をしていただいてよろしいでしょうか」

「……はい」

 ああ、成程。うちの父親は所謂身元確認という儀式に召喚されたのだ。傍らの僕も息をこくり、と呑み込んだ。流石に室内に入ることは許されやしないだろうし、でもこの廊下で一人で待つのは正直怖いし、心細い。どうするのか、と不安げに見上げた僕をどう見たのか。

 医者が、神妙な面持ちで、息を吐きながら続けた言葉が廊下に響く。


「流石に電車に轢かれてしまったので、今回は駄目かと思ったんですが」


 ……うん? 流石に? 今回は? 駄目かと思った? 言葉の違和感に、首を傾げる横で、父親がこれまた神妙な面持ちで頷きながらそれに応える。

「毎回毎回、本当にすごいですよね……先生にはいつもご迷惑をかけてしまって」

「まあ、源次からの付き合いだからね。慣れたけれども」

 源次、とは僕の爺様の名前だ。このお医者さんは爺様と付き合いがある人で、尚且つ紺野隆太郎さんを知っていて、えーと、しかもこの分だと彼、相当世話になってますよね? しかも、普通では考えにくい方向性で。

「先刻、目を覚ましたところなんですけどね。話をしていかれます?」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 流石に僕はそこで声を上げてしまった。いや、状況を説明して欲しい。父親にも、そこのお医者さんにも。あと、話が出来るのなら部屋の向こうにいるであろう隆太郎さんにだって。

「その人、亡くなったんじゃあないんですか⁉」

 僕の声が、冷たい空気が満ち満ちた廊下に、響く。


「大体――ここ、霊安室じゃないですか!」



***


 百回目だね、と隆太郎さんは笑った。

「本当に呪いというものがかかっているんなら、次なんだけどなァ」

「流石に百回も死んだら信憑性が高いでしょ」

 ぱらぱら、と黒いファイルに収められたそれを見ながら答える。そこには隆太郎さんのカルテがびっしりと詰まっている。そりゃ百回分の死因、そこからの蘇生の記録が記されているのだから、重い筈だ。


 曰く、百回死なないと、死ねない呪い――らしい。


 随分昔の話になるので、隆太郎さんもどうしてこうなったのかはよくわからないし、大体呪いって言ってもどうしてそんなもんをかけられたのかはわからない。ただ、爺様の親友であった隆太郎さんは何度死んでも生き返ったし、爺様から親父さんの親友となり、そして僕とも友達となった。そしていつの間にか身内認定され、爺様の代から請け負っている病院の担当医から呼び出される羽目になっているわけだ。因みに担当医は二代目らしい。

 呪いか否かは兎も角、そんな難儀な性質な以上生き返るとなれば面倒も多い。謎も解明できればと長年隆太郎さんと取っ組み合い続けているけれども彼が生き返る原理は謎のままだ。

 ただ、呪いが本当ならば。


「次で、死ねるんだなぁ」


 目を細め、彼は笑う。僕も、笑う。

 ……貴方には教えないけどね。僕は夢があるんだ。あのね。


 百一回目の貴方の死を、僕は看取る。貴方を見送ること、なんだよ。 


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