第2話
西新宿の連なる高層ビルの隙間に、その家はあった。そこだけ、ぽっかりと穴が開いて、まるで人を寄せ付けない雰囲気である。
どうやら数十年前に住んでいた老人が自殺をして以来、不思議なことに土地の買い手もつかず、そのまま放置されているということだ。隣に建つビルは真新しく、なぜその土地を買収しなかったのかと僕は不思議でならない。
実際、その場所には写真では分からない異様な雰囲気があった。どこが異様なのかと言われると返答に困ってしまうのだが、なんというか全体の空気が重いような気がする。高層ビルに囲まれているとは言え、そこだけ日が当たらず、ぽっかりと薄暗い。薄暗い中がら、何か手でも伸びて来そうなそんな雰囲気。
「いよいよですね」
僕が言うと、松永さんが
「そうですね。私、この後も仕事があるので、なるべく早く終わらせてください」
と冷静に無表情に言った。
ああ、そう言う感じね。と僕は思う。
当たり前ではあるんだけど、この人僕に全く興味を持っていない。そりゃそうだ。よく考えたらこんなに美人で百戦錬磨もいいところだろう女が、僕のような貧相で冴えない年齢=彼女いない歴みたいな奴に興味をもつ訳がない。勝手に舞い上がっていた僕が馬鹿みたいだ。
少し項垂れて、僕は「じゃあ、入りますよ」と玄関の扉に手をかけた。扉にお札のようなものが貼ってあって、一瞬躊躇したものの、松永氏曰く「ただの悪戯です」とのこと。何枚か写真は撮ったけど、気にせずにそのまま中に突入する。
突入した家の中は薄暗かった。まだ日中で、どこからか光が漏れているのか真っ暗ではないものの、ハンドライトが無ければ心許ない感じである。
何せ、外観からは分からないほどに家の中が荒れているのだ。玄関の床板は所半分外れているし、壁は崩れかかっている。天井も半分落ちかかっていて、時折パラパラと何やら粉のようなものが落ちる。ただ、人間が入っていないと言うだけで、ここまで荒れるものなのだろうか、と僕は思った。
「奥がキッチン、右手が風呂場、左手がリビング見たいですね。老人が自殺をしたのは二階の自室とのことですが」
松永氏が言った。
そうか、二階で自殺……。僕はとりあえず「リビングに言ってみよう」と言った。突然確信の部屋に行ってもつまらない。だって、軽いジャブから入るのがお約束だろう。別にビビっているわけなんかじゃない。
僕が玄関からいつもの癖で靴を脱いで中へ入ろうとしたら、松永氏が「何が落ちているか分からないので、危ないですよ」と止めた。そりゃそうだと思って僕は土足のまま室内へ上がり込む。
どうやら、大荒れに荒れていたのは玄関だけのようだった。廊下は割と整っていて、当時の様子がありありと浮かぶ。
左手のリビングのドアをに手をかけようとして、僕は思わず「ひえっ」と声を上げた。
ドアにべったりと「死」と赤い文字が書かれている。
僕は驚いて、松永氏を見た。松永氏は相変わらず冷静だ。
「誰かの悪戯ですね。玄関にお札を貼った人と同じ人なのかはわからないですけど。まあ、ここら辺じゃあ有名なゴーストハウスらしいですし、肝試しに来る人たちなんて沢山いるでしょう」
確かによく見ると、赤い字はペンキで書かれていた。
なんだ。肝試しってだけでも、物好きだと思うのに、さらに悪戯をするなんてどれほど暇なのだろうか。全く、少しでも驚いてしまった自分が恥ずかしいったらありゃしない。そんなことを思いながら、ドアノブに手をかける。
ドアが開くと室内に溜まった埃が舞った。
不思議な空間だった。埃が積もって、蜘蛛の巣が幾重にも重なって、古くなった蜘蛛の巣の埃が積もっているのに、部屋の中はこの家の主人が死んだ時そのままだった。部屋の真ん中に置かれたテーブル、高級そうなソファ、ブラウン管、本が並んでいる棚。テーブルには今し方まで飲んでいたかのように急須と湯呑みが置かれている。
ブラウン管。そうか、十数年前。きっと僕がまだ小学生だった頃だ。この部屋は僕が小学生だった、その時から時間が止まってしまっている。
その時だった。
パキンと何かが割れるような音がした。
僕は思わず、辺りを照らす。部屋にはもちろん僕と松永氏しかいない。風もない。僕らが動けば空気も動くけど、今はこうしてただ突っ立っている。
パキンっ……。
もう一度鳴った。
それを開始の合図として、至る所から同じような何かが割れるような音が響く。
「ラップ音……ですね」
松永氏が言った。
「ラップ音?」
「はい、霊が出す怪音のことです。聞いたことくらいはあるでしょう」
テレビやなんかで聞いたことがある気がする。でも、テレビだと編集のせいなのかここまで酷くはなかったように思う。
部屋の中では最初は小さな音だったのに、今はもうどこか大切な部材でも折れているかのようにバキンッ、バキンッと大きな音が連続して響いている。
「いえ、普通はそこまで…それに、普通は霊は人間を嫌います。もしかしたら、とても強い霊なのかもしれない」
「もしかして、この部屋にいたりします?!」
僕は耳を塞ぎながら訊く。耳を塞いでも、まるで頭の中に響いてくるような音。
「いえ、この部屋にはいません。ただ、この家に入った時から霊の気配は感じていました」
そう言うことは早く言って欲しい。
「と、とりあえず。もう、この部屋は大丈夫です。それなりに写真も撮ったし……!次の部屋に向かいましょう!」
この時なんで僕は取材をすることを諦めなかったのか、今も不思議でならない。いや、普通に今こうやって記事を書いているので、何か生命に関わることがあったとかそういう訳ではないのだが、このあと僕はトラウマ級に恐ろしい体験をすることになるのだ。もしこの時の僕に何か伝えられるとしたら、僕は「今すぐ引き返せ」と伝えたい。あの恐怖を味わうことのないように−−。
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