②
俺が相談するまでもなく、キジュウロウさんは旅人を歓迎する宴の段取りを進めていた。
キジュウロウさんから、隣近所へと旅人の噂が伝わり、すぐにみんながキジュウロウさんの家に集まった。
畳敷きの広間には、大机と座布団が集められた。
村の料理自慢が集まって大量の料理を作っては、大皿に盛って次々と広間に運んでくる。
あれよあれよと準備が進められていく中、旅人は時々手伝いを申し出ては「客人だから」と座らされてを繰り返していた。座らされている間の戸惑った顔ときたら。
昼下がりに始まった宴は、夕方になって、夜になっても終わらなかった。
出てくる料理をどんどん平らげながら、時々お調子者のおっちゃんたちが余興を披露するのを、手を叩いてはやし立てる。
村のみんな――特に子どもたちは、こぞって旅人の話を聞きたがった。みんな、この谷間の田舎を久々に訪れてくれた旅人に、興味津々なんだ。
旅人も嫌な顔一つしないで、むしろすすんでここまでの旅路の話を聞かせているみたいだった。
大人たちに酒を勧められていたし、それもあって饒舌になっているのかもな。
そんなことを考えながら、縁側に座ってのんびり料理を食べていると、だった。
「おおい、タケル。お前も何か、旅人さんに見せてやれよお」
酔っぱらいの一人が、徳利を片手ににこにこ笑ってそう言った。
「ええー、俺、見世物なんかできねえんだけど?」
「あれがあるじゃろうが。ほれ、刀持って踊るのが」
キジュウロウさんまで乗り気な様子でそう言うもんだから、客間にいるみんなの視線が俺に集まってくる。
「ああー……」
あれかー……あれなあ。
キジュウロウさんの言葉に、思わず苦笑い。
一応、余興としてできそうなことが、俺にも一つだけある。
ただ、最近あんまり練習ができてないし、そもそも村祭りの時にしかやらないから、言われてハイやりますよ、でできる自信がないんだけど。
「タケル」
期待するような目でみんなが俺を見る中、たった一人静かにお茶を飲んでいた旅人が、小さく笑う。
「無理にやらなくてもいいんじゃないか」
ムカッ。
何だよ、無理にやらなくていいって。あんたの歓迎会だから、あれをやれって話になってるのに。
勝手な話だけど、あんまりにも旅人があっさりした態度なもんだから、ちょっとむかっ腹が立ってしまった。
だから俺は、意地になってキジュウロウさんに訊ねたんだ。
「キジュウロウさん、刀ある?」
借りた刀を手に、桜の舞い降る裏庭へと踏み出す。客間にいたみんなが、縁側へ寄って来て、一心に俺を見ている。
――旅人も。
湯呑を手に、けれどその中身に口をつけることもなく、ただじっと、俺を見つめていた。
独特の緊張感が漂う中で、鞘から刃を抜いて構える。
演奏役を買って出てくれた姉さんたちが、筝の弦に指を宛がうのを視界の端で捉えて――
しゃらり。
春の夜の、まだ少し冷たい空気を切り裂くようにして、刀を振るう。
柄から伸びる結紐の先で、軽やかな音を立てて鈴が鳴った。
峰に手を添え、円を描くようにくるくると回る。一歩、二歩、摺り足をしながら、袈裟掛けに空気を断つ。
俺たち【カンザキ】の家に古くから残る、一子相伝の芸。
それがこの、『剣舞』。
刀を持ったまま、こうして音楽に合わせて緩やかに踊りながら、時折何もない空間を断つようにして刃を振るう。
演目はいくつかあるけれど、その全てが、厄を払い魔を断つためにあるのだとか何とか。
難しいことはよく分からないけど、祭りや宴のたびに、俺はこれをみんなの前で披露している。みんなが見たいと思ってくれるなら悪くないな、くらいの思いで。
母さんが、不安を隠しきれていない下手くそな笑顔を浮かべてる。大丈夫だよ、母さん。俺、絶対失敗しないから。
キジュウロウさんが、満足そうにうんうん頷いてる。どうだよ、前にやった時から時間は空いたけど、案外様になってるだろ。
くるり、くるり、しゃらり。
舞が終わりに近付く中、二度三度と空中に刀を躍らせる。
――胸元の十字架を握りしめた旅人は、銀色の軌跡を眺めて、ただ静かに微笑んでいた。
借りた手拭いで顔を拭きながら、ほうっと息をつく。
ここ一年くらい、みんなの前では披露していなかった舞だけれど、何とか失敗なく終えることができた。
旅人も、村のみんなも楽しんでくれたみたいだったし、まあ満足のいく出来だったな。
ぽっかりと月の浮かぶ夜空を眺めて溜め息をついた、その時。
「お疲れ様」
ふと、後ろから声をかけられる。
「……あんたか」
振り返った俺に、旅人は、温かいお茶の入った湯呑みを差し出してくれた。
「見事な舞だったよ。素敵だった」
「ありがとよ」
ず、と一口お茶を啜って、また溜め息を。ほうじ茶だ。香ばしくてうまい。
ぼうっと夜空を眺める俺の隣で、ふと、旅人が、しみじみと呟いた。
「この村は、桜が綺麗だね」
そう呟く旅人の横顔は、心なしか柔らかいものになっている。
「そうだろ。俺たちの村の自慢だ」
旅人にニッと笑いかけて、また一口お茶を飲んだ。
この村は、桜の名所として有名だ。
この季節になると、長い寒さの終わりを告げるように、村中の木々に薄紅色の花が咲く。この景色を観るために、毎年、たくさんの人がこの村を訪れたものだ。
……今年の春になって、ぱったりと人足は途絶えてしまったけれど。
「だから、みんな、あんたが来てくれて、嬉しいんだ」
キジュウロウさんちの客間に集まって、どんちゃん騒ぎをする村人たち。
頭にねじり鉢巻きをして踊る酔っ払いがいれば、それを見て楽しそうに笑う子どもたちがいる。
台所からは、村の料理自慢たちが次々と料理を運んできて、みんな、それらの料理に、おいしそうに舌鼓を打っていた。
そんな光景を眺めながら、俺は、口を開いた。
「なあ、旅人さん」
「なんだい?」
「ありがとうな。この村に来てくれて」
こんなに賑やかなのは、久しぶりだ。
俺がそう言って笑うと、旅人は、ちょっと目を見開いて――それから、どこか悲しげに眉を下げた。
「……こちらこそ、ありがとう。こんなにも歓迎してもらえて、幸せだよ」
そう言って、旅人は、大賑わいの客間をちらりと振り返る。
それから、また、キジュウロウさんの家から見える桜の木々を眺めて、ぽつりと呟いた。
「――本当に……美しい村だね。ここは」
月明かりが、煌々と、満開の桜を照らし上げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます