俺が相談するまでもなく、キジュウロウさんは旅人を歓迎する宴の段取りを進めていた。

 キジュウロウさんから、隣近所へと旅人の噂が伝わり、すぐにみんながキジュウロウさんの家に集まった。

 畳敷きの広間には、大机と座布団が集められた。

 村の料理自慢が集まって大量の料理を作っては、大皿に盛って次々と広間に運んでくる。

 あれよあれよと準備が進められていく中、旅人は時々手伝いを申し出ては「客人だから」と座らされてを繰り返していた。座らされている間の戸惑った顔ときたら。


 昼下がりに始まった宴は、夕方になって、夜になっても終わらなかった。

 出てくる料理をどんどん平らげながら、時々お調子者のおっちゃんたちが余興を披露するのを、手を叩いてはやし立てる。

 村のみんな――特に子どもたちは、こぞって旅人の話を聞きたがった。みんな、この谷間の田舎を久々に訪れてくれた旅人に、興味津々なんだ。

 旅人も嫌な顔一つしないで、むしろすすんでここまでの旅路の話を聞かせているみたいだった。

 大人たちに酒を勧められていたし、それもあって饒舌になっているのかもな。

 そんなことを考えながら、縁側に座ってのんびり料理を食べていると、だった。


「おおい、タケル。お前も何か、旅人さんに見せてやれよお」


 酔っぱらいの一人が、徳利を片手ににこにこ笑ってそう言った。


「ええー、俺、見世物なんかできねえんだけど?」

「あれがあるじゃろうが。ほれ、刀持って踊るのが」


 キジュウロウさんまで乗り気な様子でそう言うもんだから、客間にいるみんなの視線が俺に集まってくる。


「ああー……」


 あれかー……あれなあ。

 キジュウロウさんの言葉に、思わず苦笑い。

 一応、余興としてできそうなことが、俺にも一つだけある。

 ただ、最近あんまり練習ができてないし、そもそも村祭りの時にしかやらないから、言われてハイやりますよ、でできる自信がないんだけど。


「タケル」


 期待するような目でみんなが俺を見る中、たった一人静かにお茶を飲んでいた旅人が、小さく笑う。


「無理にやらなくてもいいんじゃないか」


 ムカッ。

 何だよ、無理にやらなくていいって。あんたの歓迎会だから、あれをやれって話になってるのに。

 勝手な話だけど、あんまりにも旅人があっさりした態度なもんだから、ちょっとむかっ腹が立ってしまった。

 だから俺は、意地になってキジュウロウさんに訊ねたんだ。


「キジュウロウさん、刀ある?」




 借りた刀を手に、桜の舞い降る裏庭へと踏み出す。客間にいたみんなが、縁側へ寄って来て、一心に俺を見ている。

 ――旅人も。

 湯呑を手に、けれどその中身に口をつけることもなく、ただじっと、俺を見つめていた。


 独特の緊張感が漂う中で、鞘から刃を抜いて構える。

 演奏役を買って出てくれた姉さんたちが、筝の弦に指を宛がうのを視界の端で捉えて――


 しゃらり。


 春の夜の、まだ少し冷たい空気を切り裂くようにして、刀を振るう。

 柄から伸びる結紐の先で、軽やかな音を立てて鈴が鳴った。

 峰に手を添え、円を描くようにくるくると回る。一歩、二歩、摺り足をしながら、袈裟掛けに空気を断つ。

 俺たち【カンザキ】の家に古くから残る、一子相伝の芸。

 それがこの、『剣舞』。

 刀を持ったまま、こうして音楽に合わせて緩やかに踊りながら、時折何もない空間を断つようにして刃を振るう。

 演目はいくつかあるけれど、その全てが、厄を払い魔を断つためにあるのだとか何とか。

 難しいことはよく分からないけど、祭りや宴のたびに、俺はこれをみんなの前で披露している。みんなが見たいと思ってくれるなら悪くないな、くらいの思いで。


 母さんが、不安を隠しきれていない下手くそな笑顔を浮かべてる。大丈夫だよ、母さん。俺、絶対失敗しないから。

 キジュウロウさんが、満足そうにうんうん頷いてる。どうだよ、前にやった時から時間は空いたけど、案外様になってるだろ。

 くるり、くるり、しゃらり。

 舞が終わりに近付く中、二度三度と空中に刀を躍らせる。

 ――胸元の十字架を握りしめた旅人は、銀色の軌跡を眺めて、ただ静かに微笑んでいた。




 借りた手拭いで顔を拭きながら、ほうっと息をつく。

 ここ一年くらい、みんなの前では披露していなかった舞だけれど、何とか失敗なく終えることができた。

 旅人も、村のみんなも楽しんでくれたみたいだったし、まあ満足のいく出来だったな。

 ぽっかりと月の浮かぶ夜空を眺めて溜め息をついた、その時。


「お疲れ様」


 ふと、後ろから声をかけられる。


「……あんたか」


 振り返った俺に、旅人は、温かいお茶の入った湯呑みを差し出してくれた。


「見事な舞だったよ。素敵だった」

「ありがとよ」


 ず、と一口お茶を啜って、また溜め息を。ほうじ茶だ。香ばしくてうまい。

 ぼうっと夜空を眺める俺の隣で、ふと、旅人が、しみじみと呟いた。


「この村は、桜が綺麗だね」


 そう呟く旅人の横顔は、心なしか柔らかいものになっている。


「そうだろ。俺たちの村の自慢だ」


 旅人にニッと笑いかけて、また一口お茶を飲んだ。

 この村は、桜の名所として有名だ。

 この季節になると、長い寒さの終わりを告げるように、村中の木々に薄紅色の花が咲く。この景色を観るために、毎年、たくさんの人がこの村を訪れたものだ。

 ……今年の春になって、ぱったりと人足は途絶えてしまったけれど。


「だから、みんな、あんたが来てくれて、嬉しいんだ」


 キジュウロウさんちの客間に集まって、どんちゃん騒ぎをする村人たち。

 頭にねじり鉢巻きをして踊る酔っ払いがいれば、それを見て楽しそうに笑う子どもたちがいる。

 台所からは、村の料理自慢たちが次々と料理を運んできて、みんな、それらの料理に、おいしそうに舌鼓を打っていた。

 そんな光景を眺めながら、俺は、口を開いた。


「なあ、旅人さん」

「なんだい?」

「ありがとうな。この村に来てくれて」


 こんなに賑やかなのは、久しぶりだ。

 俺がそう言って笑うと、旅人は、ちょっと目を見開いて――それから、どこか悲しげに眉を下げた。


「……こちらこそ、ありがとう。こんなにも歓迎してもらえて、幸せだよ」


 そう言って、旅人は、大賑わいの客間をちらりと振り返る。

 それから、また、キジュウロウさんの家から見える桜の木々を眺めて、ぽつりと呟いた。


「――本当に……美しい村だね。ここは」


 月明かりが、煌々と、満開の桜を照らし上げていた。

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