少年と旅人と宴の夜

「タケルー!」


 せっせと畑作業を続けていると、不意に母さんの声がした。


「知り合いかい?」

「俺の母さん」

「それはそれは」


 表から裏庭へと回ってきた母さんに気付いて、うんうん頷く。そんな旅人に、母さんは不思議そうに小首を傾げていた。


「ええと……タケルのお知り合いかしら?」

「知り合いというか何というか……」


 ついさっき知り合ったばっかりだしなあ、なんて思っているうちに、旅人はゆっくりと腰を上げて母さんに歩み寄っていく。


「初めまして。息子さんには、先ほどここへ――宿までの案内を世話になりました」

「あら、まあ。そうだったんですか」


 深々と頭を下げる旅人につられて、母さんもぺこぺこと頭を下げる。顔を上げた時、その表情は、何だかうきうきしているように見えた。


「それで、宿に御用ということは……」

「ええ。しがない旅人です」

「やっぱり! まあようこそ、こんなところまでおいでくださいました」


 にこにこ笑って、母さんは持ってきた風呂敷包みに目を落とす。あの膨らみ、中身は多分、やっぱり握り飯だろう。

 けど、多分この流れだと……


「お昼を持って来たんだけど、いやね。うちの子だけに渡すのも悪いわあ」


 ああほら、やっぱりこうなった。

 うきうき、そわそわしているのを全然隠し切れていないまま、母さんは辺りをきょろきょろ見回し始める。多分、キジュウロウさんのこと探してるんだな。


「いや、そんなに気を回していただかなくても」

「まあ駄目よ! 折角村にお客様が来てくれたんだもの、たっぷり歓迎したいのよ」


 言いながら、母さんはやっと俺のほうに顔を向けた。風呂敷包みは渡ってこない。俺の昼飯なのに。


「ちょっとタケル、あんたキジュウロウさんに相談してきたらどうなのよお」

「えっ、俺が行くん?」


 突然話を振られたことに、思わず面食らう。相談も何も、キジュウロウさんだって今頃は……


「久しぶりの村へのお客さんなんだから、丁重にもてなさなきゃ! でしょう?」

「いや、まあ、それは俺も思ったけどさ」


 母さんが言う『もてなし』は、旅人を歓迎する宴のことだ。

 うちの村は小さいし、キジュウロウさんの家ぐらいしか宿らしい宿はない。それでも、そこへ村中の人が集まって、桜を見に来たお客さんを料理や余興でもてなすのが、俺たちの習慣であり、楽しみの一つでもあった。

 けど、実際のところ、この村に余所からの客が来るのはかなり久しぶりのことだ。少なくとも、俺がこの前村の外に出て、帰ってきて――それより後は誰も、外からこの村にやってきたやつはいなかった。


 だからこそ、母さんの気持ちは分かる。ちょっと風変わりな旅人だけど、それでもお客であることに違いはないんだ。久しぶりに宴でも開いて、楽しくもてなしたいような気持ちは、ある。きっと、桜が綺麗な今だからこそ、村中のみんなで寄り合って騒ぐのは楽しいはずだ。

 ……それに、さっき旅の道中の話を聞かせてくれた礼だって、したいし。


「分かったよ。残りの収穫、今度に回せないか頼んでくるから」

「じゃあ母さん、奥さんたちに声かけてくるわねえ」

「気が早いって」


 まあでも、キジュウロウさんならやるって言うだろうし。そもそも、多分あの人、もう宴やる気満々なんじゃないかって感じだし。準備は早いほどいいか。


「んじゃ、旅人さんはちょっと待っててくれよな」

「え? ああ……」


 俺が言えば、旅人はちょっと戸惑い気味に、それでもこくりと頷く。


「……待てと言われてもな。何をしていればいいものか」


 困った様子の旅人の手に、母さんはポンと風呂敷包みをのせる。そして、気前よく笑って言ったんだ。


「あなたはこれでも食べて待ってて!」


 いやそれ俺の昼飯だから!

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