少年と桜の村と黒い旅人

 桜の花が、さやさやと、さやさやと風に揺れていた。

 もうすっかり、春だなあ。

 そう思いながら、麗らかな日差しの中で、俺は一つ欠伸をした。

 この村は、今、旬の野菜の収穫期の真っ最中。

 それなりに腕っぷしのいい俺は、あちこちの家の手伝いに駆り出される、忙しい日々を送っている。


「おーい、タケル!」


 そら来た。

 剣術の稽古に使っている刀(この村に昔から伝わる、反りのある片刃の剣だ)を手入れしていると、縁側のほうから、近所に住むじいちゃん――キジュウロウさんの声がした。

 一旦、刀を置いて、縁側へぺたぺたと歩いていく。

 もう結構な歳になったキジュウロウさんは、黒いシミだらけになった顔に笑みを浮かべると、一本しかない腕で汗を拭った。


「キジュウロウさん、どうした?」

「今日が畑の収穫日なんじゃ。タケルも手伝っちゃくれんか?」

「いいぜ、手伝うよ。ちょっと待ってろ」


 俺はそう言って、素早く縁側から元いた部屋へ引っ込んだ。

 打ち粉をはたいて磨き上げた刀を、そっと鞘に閉まって、部屋の隅の刀掛けに置く。

 それから、庭にいるキジュウロウさんに、先に畑に帰っているように頼んで、台所にいる母さんのところに向かった。

 顔にある黒いシミが目立つのを最近になって気にしだした母さんは、今日もしきりに洗い場の鏡を覗き込みながら、昼飯の準備をしていた。


「母さーん! 俺、キジュウロウさんとこの畑、手伝ってくるから!」

「はあい、気を付けてね。後でお昼ごはん、持って行くから」


 出かけることを伝えると、母さんは、笑顔で米粒にまみれた手を振った。

 あの様子だと、昼飯は握り飯なんだろう。母さんの作る握り飯は、好きだ。うまいから。


「ありがとうな。行ってきます!」


 母さんに手を振り返して、台所を後にした。

 玄関で履物を足にひっかけて、家の外へ飛び出す。

 あちこちで畑作業をしている人たちに挨拶をしつつ、キジュウロウさんの家に急ぐ。




「もし、そこの少年」




 聞き慣れない声がしたのは、そんな時だった。


「え?」


 少年って、俺のことか?

 とっさに周りを見回したけど、同じぐらいの年頃の人間は、今はここにはいない。

 慌てて声のした方を見ると、そこには――


「ああ、気が付いてくれたね」


 とても風変わりで、不思議な雰囲気を持った人間が、俺をじっと見て突っ立っていた。

 そいつは、黒い帽子を目深に被り、もう春だっていうのに黒い外套を着込んで、くたびれた黒い革靴をはいている。

 服の色合いとは対照的に白い首からは、銀色の十字架がついたロザリオが下げられていた。精一杯のおしゃれのつもりだろうか。

 髪の毛こそ長いものの、帽子のつばに隠れた顔立ちは、男にも女にも見える。話しかけてきた声色は高くも低くもなく、そいつが男か女かの区別は、やっぱりはっきりしない。


 けれど、それより何より気になるのは、そいつが背負っているモノだ。

 六角形を縦に伸ばしたような形の、特徴的な木製の箱。

 そいつの背丈よりも大きなそれは、いわゆる、『棺』ってやつだった。


「(な、何だ、こいつ)」


 何で、このあったかい時期に、外套なんて着てるんだよ。

 っていうか、何で棺なんか背負ってるんだよ。

 こいつ――何者だ?


「な、何すか?」


 思わず後ずさりながら訊ねれば、そいつは、帽子のつばを少し上げて、無表情にこう言った。


「良ければ、この村の宿まで、道案内を頼まれてくれるかい? この村に来るのは初めてなんだ」


 宿?

 ――ああ、なるほど。


 ある可能性に行き当たった俺は、そいつにたずね返す。


「あんた、もしかして旅人か?」

「ああ。そうだよ」


 そいつ――旅人は、小さく頷いて、背中の棺を担ぎ直した。

 重くねえのかよ、

 その言葉を何とか飲み込んで、俺は、今から行く予定だった方向を指さした。


「この村の宿屋は、キジュウロウさんちだけなんだ。俺もちょうど行くところだったから、一緒に行こうぜ」

「ありがとう。それは助かるよ」


 旅人はそう言って、俺のあとをてくてくとついて来た。

 キジュウロウさんの家は、この村のはずれにある。

 同じ村の中とはいえ、たどり着くには、あと少し――多分、歩いて10分はかかる。

 いつもなら歩くだけで退屈な道中だけれど、今日は、村の外から来た人間が一緒にいる。

 それに、桜も綺麗だ。

 道沿いに植わった桜の花びらが、ふわりふわりと舞い散っていくのを見ながら、俺は、旅人に話しかけた。


「なあ、あんたって、どこから来たんだ?」

「北だったはずだよ。多分」

「へえ。大体の旅人は南から北を目指すって聞いたことがあるけど、あんたは逆なんだ」

「まあね。南を目指すというよりは、特に当てもなく進んでいるだけだけど」


 そう話す旅人の表情は、会った時から微塵も変わらない、無表情のまま。

 俺と話をしながらも、そいつは、村の様子を観察するのに夢中で、どこか上の空のようにも思える。

 何だよ。せっかく話が弾むと思ったのに、つまんないな。

 ムッとしたけれど、頼まれ事はきちんとやるのが俺の主義。キジュウロウさんの家の前に来たところで、俺は足を止めた。


「ほら、ここがキジュウロウさんの家。立派だろ?」


 そこは、村の中でもひときわ大きな、瓦葺きの屋根を持つ家だった。

 キジュウロウさんはここの村長でもある。村の集会所を兼ねている分、めちゃくちゃでかいんだよな、この家。


「なるほど。確かに、農村にあるにしては立派な家だね」


 旅人は感心したように頷いて、すたすたと玄関へ向かっていく。

 そいつの背丈よりも大きな棺桶が、歩くのに合わせて小さくカタカタと鳴る。

 本当、あの中は何が入ってんだろうな。

 ぼんやりと旅人のことを眺めながら、俺は、そんなことを考えていた。


 ……って、ぼうっと見てる場合じゃなかった!

 俺も、キジュウロウさんの手伝いにここまで来たんだった。


 それをやっと思い出した俺は、慌てて旅人の背中を追いかけて玄関に向かった。




「…………」




 玄関先で泊まりを頼んでいる旅人が、キジュウロウさんを見て何かを考え込んでいたのなんて、知るはずもなく。

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