「メリーおねえちゃん、いままでありがとう」


 孤児院の子どもたちは、泣きながらそう言って、棺の中へ花を供えた。


「もっと、一緒に遊びたかったな」

「またいつか、一緒に遊ぼうね」


 陽気な双子は、しんみりとした様子で、彼女の冷たい手をそっと握った。


「どうか、安らかに眠れますように」


 幼い頃から彼女を見守り続けた神父は、心からの祈りを捧げた。


「……メリー……」


 そして、彼は――




     †




 ミドナへの上陸を試みる海賊団と、それを阻止しようとする海軍。

 彼らの戦いは、砲雷撃戦の末に海賊たちの上陸を阻止した海軍側の勝利ということになるだろう。――一応は。

 海賊船の船員クルーたちは一人残らず捕縛され、海軍本部への引き渡しが行なわれることとなった。束の間の休暇にさよならを言う暇すら与えられず、海軍の船団は、慌ただしく海軍本部のある別の港へ帰っていく。

 その船団から離れ、一隻の船がミドナの港へ戻ってきたのは、日暮れも近い時間になってからのことだった。




 ステンドグラスを通して射し込む七色の夕陽が、カナタと、彼の目の前にある棺を目映く照らし上げていた。

 日中、旅人が背負っていたその棺には、今は色とりどりの花々が敷き詰められている。そしてその中心に、ひと時の深い眠りについた少女が横たえられているのだった。


「…………」


 何も言わず、涙すら流すことなく、カナタは、少女――メリーの頬にそっと触れる。ひんやりとしたその温度は、彼女が最早生者ではなくなってしまったのだということを、嫌というほど思い出させた。


 カナタが緊急の任務を終えて教会に戻った時には、旅人は、孤児院の子どもたち、そして、教会の主であり孤児院の長でもある神父にも、事のあらましを説明し終えていた。

 子どもたちは、メリーの眠る棺に取りつくようにして、声を上げて泣いていた。

 神父は、自分も泣きたいのを堪えながら、カナタを気遣ってくれた。

 カナタが教会に戻った時には、旅人は、孤児院の子供たち、そして教会の主であり孤児院の長でもある神父にも、事のあらましを説明し終えていた。

 子どもたちとユーノ・カルロは、メリーの眠る棺を囲んで、声を上げて泣いていた。

 神父は、自分も泣きたいのを堪えながら、カナタを気遣ってくれた。


「儀式の前に、みんなで最後のお別れをしておいで」


 旅人がそう言ってその場を後にして、皆はそれぞれにメリーとの最後の対話を済ませていった。

 そして、カナタもまたこうして、メリーとの最後の時間を過ごしているのだった。




「……メリー」


 茜射す大聖堂カセドラルに、カナタの呟きが落ちる。


「痛かったろう」


 腹の傷を見つめながら、色を失った頬をそっと撫でる。笑うたびに愛らしい薔薇色に染まっていたそこは、今は、あまりにも冷たくて。


「俺が、代わってやれたら良かったのになあ」


 せめて、自分たちが逆の立場だったなら――そう思わずにはいられない。もしそうなっていたら、どれほどメリーが悲しんだのかなど、今のカナタには想像する余裕もなかった。


「……っ、う、く……ふっう……」


 少女の頬に、熱い涙が落ちる。死化粧を施された白い頬に、幾筋もの涙の跡が刻まれる。


「メリー……メリー、っ……!」


 どうして、あんなことになるまで言えなかったのだろう。

 好きだったのに。

 大好きだったのに。

 自分も、メリーも、同じ気持ちで繋がっていたのに。

 互いの願いが――気持ちが満たされたのが、愛した少女の今際の際になってからだなんて、あんまりじゃないか。


「っごめん……ごめんな、メリー……」


 強くなれたつもりでいた。

 密かに憧れていた海軍に入隊して、心身共に鍛えられて、もう小さい頃の弱い自分とはさよならを出来たのだと思っていた。

 けれど、それは思い上がりだった。

 あの瞬間まで、メリーの口から告げられるまで。カナタは、その気持ちを口にすることが出来なかった。自分の、臆病な心のせいで。


 だから、悲しい別離バッドエンドが待っていた。

 弱い自分には、メリーを幸せにするどころか、自分が幸せになる資格すらなかったのだ。

 それを思い知らされた気がして、カナタの目からは止め処なく涙が溢れていく。大聖堂に反響する自らの嗚咽が、悲しみを一層掻き立てていく。




 ――こつり。




 辺りに靴音が響き渡ったのは、そんな時だった。


「大切な人と別れる前の人間の姿というのは、いつ見ても苦しいものだね」

「……旅人、さん」


 いつの間にか、絨毯敷きの通路に立っていた旅人に、カナタは僅かに目を見開く。寂寥感を帯びた微笑みを浮かべ、旅人は彼のもとへ歩み寄っていった。その途中、ふと、彼、あるいは彼女は口を開く。


「死者の魂が、何処へ行くか知っているかい?」


 唐突な問いに、カナタはきょとんとした表情を浮かべる。それでも、彼はすぐに、どこかで見聞きしたはずだという自分の勘を頼りに、一つの答えを導き出す。


「……神の御許、だったか? 絵本で読んだ知識しかないが」

「そうだ」


 旅人は厳かに頷いた。

 厳密には、『天国』――神様の創った最初の国。

 人類にとっての、原初の楽園。

 彼、あるいは彼女の葬った人間の魂は、そこへ還ることになる。

 そう説明して、旅人はさらに言い添える。


天国そこに居るひとびとには、地上の景色が見えているんだよ。そこに響く音も、勿論聞こえている」

「……それが、どうしたと言うんだ」

「いや、なに。ただ、メリーの魂が天国に行って――その時、今のままの君を見たら、彼女もきっと悲しむだろうと思ってね」


 震える声で問うカナタに、旅人はそれだけを答えた。

 そして、


「――ところで、」


 そよぐ風のように涼やかな声で、全く場違いな話題を持ちかける。


「鐘楼の塔、だったか。あそこの鐘は素敵だね。遠くからでも光輝いて見えるし、あの音色も味があって私は好きだよ」

「? ああ。確かに立派な鐘だな?」


 この場でそんな話題を出されることがただただ疑問で、カナタは首を傾げながらも頷く。


「昨日、君たちの帰港記念のパーティー会場に居た時、この国の唱歌を聴いたよ」

「公国唱歌をか? 確かに、聖歌隊が歌っていたが……」

「あの詞も、何故か心に沁みるものがある。きっと、作者は知っているんだろうね。大切な人との“別れ”を」

「……? それが、一体――――」


 何だというのか――そう問いかけようとして、カナタはハッと息を呑んだ。

 旅人が何を言いたいのか、ようやく分かった気がした。


 カナタが答え合わせを求めるまでもなく、旅人は穏やかに微笑む。




「どうせ天国から聴くのなら、愛する人の嘆き悲しむ声よりも、愛を伝える鐘の音のほうがいい。……そうは思わないか?」




 彼、あるいは彼女の言葉に、カナタは数度瞬きをする。

 旅人の言葉を、真正面から受け止めて、そこに込められた意味を――自分がどうすべきかを、正しく理解して。

 再び湿り気を帯びていく目を何度も擦って、深く息を吐いた後、彼はにっかりと笑う。




「ああ。その通りだ!」




 その瞳に、もう、悲しみの色はなかった。

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