砲声が次々と響き渡る。

 炸裂した砲弾にあちこちの建物が破壊され、白亜の町は見るも無残にその形を変えていく。

 海賊たちが上陸できるまでにはまだ時間がかかるだろう。だが、それまでに、自分たちが砲撃に巻き込まれて大怪我をする可能性は大いにあった。

 それでも、旅人たちはあのレストランへ向かった。火に巻かれ始めたその建物の中で、まだ二人が生きていることを信じて。


「ひどいな……街がめちゃくちゃだ」


 大通りに充満する黒く焦げ臭い煙に、旅人は思わず顔を顰める。その傍らで、ユーノとカルロは、メリーとカナタに気付いてもらえるようにと懸命に二人を呼んでいた。


「メリー! カナタさーん! いるのー!?」

「無事なら返事して、二人ともー!」


 大混乱の街中に、なおもよく通る二人の声。

 もう何度名前も呼んだのかも分からなくなった頃、火の勢いが増し始めたレストランから、一つの人影が現れた。


「! カルロ君、旅人さん! 見て!」

「……あ……!」


 ユーノの嬉しそうな声に、カルロは泣き出しそうになりながらも、ほっとしたような声を上げた。一方の旅人は、注意深くその人影を観察する。

 姿を見せたのは、紛れもなく、旅人たちの探していたカナタに間違いなかった。

 彼の腕には、目を閉じて眠るメリーが抱かれている。全身からは力が抜けてしまっているのか、ぐったりしている様子だ。小さな手は薄い腹の上に組まれ、彼女の着ている真っ白なワンピースは血と煤とですっかり汚れてしまっていた。


 ――これは……


 瞬時に嫌な予感を覚えた旅人とは対照的に、ユーノとカルロは、すっかり安心しきった様子で揃って声を上げた。


『カナタさん!』


 駆け寄ってくる二人に気付いて、カナタはゆっくりと顔を上げた。


「ユーノ、カルロ……それに、旅人さんも」

「良かった! カナタさん、無事だったんだね!」

「今、そこまで海賊の船が来てるんだ。二人が入ってったレストランが砲撃されて、俺たち、心配になって……」


 そこまで言ったところで、二人は気付いた。

 カナタの腕の中で、メリーが、一言も声を発せないでいることに。

 それほどまでに、酷い傷を負っていることに。


「め、メリー! 酷い怪我……!」

「早くお医者さんに診せなくちゃ!」

「…………」

「急ごうよ、カナタさん!」

「軍医さんのとこでも、そこの診療所でもいいから、早く!」


 二人の言葉に、カナタはハッとしたように目を見開いた。

 そっと顔を伏せて唇を噛み締め、黙り込む。

 そうして再び顔を上げた時、彼は、言いようのないほどの哀しみを帯びた、苦しげな笑みを浮かべていた。


「…………」


 ただ一人、旅人だけが、その表情の意味を正しく読み取ることが出来た。

 彼の、あの表情は――――


「……カナタさん?」

「どうしたの? 早く行こうよ」

「――いや、いい」




 もう、いいんだ。




 力なく首を振る彼に、ユーノとカルロは一瞬、きょとんとした表情を浮かべた。「何を言っているのか分からない」といった様子で。

 そして、彼が何を言ったのかを理解すると、交互に口を開いた。まるで、カナタを責め立てるように。


「もういいって、どういうこと?」

「まさか、メリーが助からないって言いたいの?」

「…………」

「……何だよ。黙ってないで、何か言えよ!」

「『大丈夫だ』って言ってくれよ! いつもみたいに、無駄におっきな声でさあ!」


 理解してしまった現実を拒むかのようにいやいやと首を振って、ユーノとカルロはカナタを睨みつけた。

 カナタは何も言い返すことなく、そっと腕の中のメリーに視線を落とす。しばし彼女を見つめた後、彼は、静かに口を開いた。


「ユーノ、カルロ」

『……なに?』

「触れてみるといい。この子はもう、怒らないから」


 その意味深な言い回しに、二人は怖気づいたように後ずさる。

 じっ――と、静かに眠るメリーを見つめること、数秒。彼らは、意を決した様子で彼女の手に触れた。


「……おかしいね、ユーノ君」

「……おかしいね、カルロ君」

「メリー、冷たいよ」

「うん。冷たすぎるくらい」

「……ほっぺたも、冷たい」

「……こんなにむにむにってしてるのに、全然、怒んない……」


 震える手から伝わる冷たさに、言い知れぬ恐怖と悲しみとが湧き上がる。

 つい先ほどまで、陰から見守る自分たちの視線の先で、楽しげにカナタと過ごしていたはずのメリー。

 同じ学校に通い、勉強を教え合ったり笑い合ったりしながら、彼女と三人で過ごす明日は、もう訪れることはない。

 彼女の、花の咲くようなあの笑顔も、もう二度と、戻ることはないのだ。


 突き付けられた現実を直視した二人は、耐え切れず、わんわんと声を上げて泣き始める。そんな二人の姿に、大きな瞳を再び涙で潤ませながら、カナタは旅人のほうへと視線を移す。

 そして、静かに――けれど痛ましげな表情で三人の会話を見守っていた『旅人』に、こう話しかけた。


「旅人さん。――いや、【葬儀人アンダーテイカー】と呼んだほうがいいのか?」


 旅人は、動じることもなく、まっすぐにカナタを見つめ返す。


「どちらでも構わないよ。……何だい、カナタ君」

「頼みがある」


 きっぱりとした口調でそう言うと、カナタは、横抱きにしていたメリーの身体を、旅人へ託すようにして差し出した。


「この子たちを……メリーと、ユーノとカルロを連れて、あそこの森まで逃げてほしい。森の中にある教会に、神父がいる。事情を話せば、事が終わるまで匿ってくれるはずだ」

「君は、どうするつもりかな」

「俺には海兵としての任務がある。海賊たちが来ているのなら、せめて何としてでも上陸だけは止めねばならん」

「……分かった。引き受けよう」


 カナタの腕からそっとメリーを抱き上げ、旅人は目を伏せる。ぐったりと脱力した体は、それでも、血を失ったせいなのか不気味なほど軽かった。


「頼みというのは、それだけかい?」


 旅人の問いに、一瞬、カナタは言葉に詰まる。

 けれど旅人は、薄々分かっていた。自分のことを、わざわざ【葬儀人アンダーテイカー】と呼んだ彼に、他の頼みごとがないはずがないのだと。


 旅人の予想通り、カナタはしばし引き結んでいた唇を、意を決したように開いた。

 本当なら絶対に口にしたくないはずの、もう一つの『頼みごと』を告げるために。


「……全てが終わって、俺が、君たちのいる教会まで戻ったら。そうしたら――」




 ――どうか、彼女を、『葬って』やってくれないか。




 震える声で告げられた、あまりにも切ない願い。

 目を瞑り、彼の言葉を何度も心の中で反芻しながら、旅人は一つ息をつく。


「ああ。分かった」


 だから、どうか無事で。

 旅人の返事に、カナタはようやく、小さく微笑んだ。


「ありがとう。旅人さん」


 そう言い残すと、カナタは踵を返し、港へ向かって駆け出していく。

 その背中は、何かを堪えるかのように震えていた。

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