この一年ですっかり嗅ぎ慣れた硝煙の匂いに、ふっと意識が戻った。

 呻き声と共に身じろげば、擦り切れたような痛みとじりじりとした熱感とが体を苛む。


「(……何だ……?)」


 何かにぶつけように鈍く痛む頭が、辺りに響く叫び声や泣き声を認識し始める。

 そういえば、何か、大きな音がした気がする。何かが破裂するような音だった。それに驚いている間に、今度は、衝撃と風と、それから熱が襲ってきて。

 立ち上がり、一度、ぐるりと周囲を見渡す。目に映るその光景は、地獄の様相を呈していた。


 見るも無残に破壊し尽くされ、元の内装も分からなくなってしまった店内には、粉々になったテーブルと椅子とが散乱している。それぞれの卓に彩りを添えるようにして飾られていた花と花瓶だったものが、そこかしこの床に散っていた。

 真っ白で清潔感のあった壁や天井は、傷つき、所々が黒く焼け焦げている。どこからか火の手が上がっているのか、辺りには熱気と黒い煙が充満していて、時折パチパチと何かの爆ぜる音が聞こえていた。




 逃げ出そうとする人々の怒号と足音が響く中、カナタは呆然と呟いた。


「な……んだ……これは……?」


 一体、何が起こったというのか。

 先ほどまで、自分は、メリーと共に楽しく食事をし、言葉を交わしていたはずだった。

 目の前で泣き出しそうになっていた彼女に触れて、大切なことを伝えようとしていたところだったのだ。


 それなのに――――




「――っ、メリー!」




 そこで、カナタはようやく、自分の身よりも優先しなければいけないことを思い出した。


 メリー。

 メリーはどうなっている?

 一体どこにいる?


 急いで自分のすぐ近くを確認するが、彼女の姿はない。

 先にここから逃げ出すことが出来たのか、それとも、まだどこかで怯えて震えているのか。

 どうか後者であってほしい――そんなふうに祈りながらも、熱された空気に焼かれてひりつく喉を叱咤して、必死に名前を叫んだ。

 この店にいる他の誰よりも、自分の声が一番よく通るように。

 彼女メリーに、ちゃんと、聞こえるように。


「メリー! 返事をしてくれ、メリー! メリー!」


 呼べども呼べども、返事をする声は聞こえてこない。

 もしかすると、本当に、先に逃げることが出来たのかもしれない。

 そして、店の外で、自分が出てくるのを待っているのかもしれない。

 だとしたら、早くここから逃げなければ。

 無事に逃げて、店の外へ出て、メリーと合流して。

 あの子は存外泣き虫だから、思いきり抱き締めて、安心させてやりたい。


 ――俺は生きている。大丈夫だ!


 ぐちゃぐちゃの顔で泣きながらも、どうにか笑って頷いてくれるメリーのことを想像しながら、カナタは出口があるほうへと足を向けた。

 一歩、二歩、インテリアの残骸を避けながら進んでいく――その足先がふと、何か、テーブルや椅子とは違った硬質さを持つ何かを蹴った。


「……?」


 本当に、何の気なしのことだった。

 店内のインテリアはおよそ持っていないであろう感触の、それが何なのかが、単純に、気になって。


 何の気なしに、視線を下へ向けて――




「――――ぁ、?」




 呼吸の仕方さえも忘れるほどの衝撃が――絶望が、一瞬にして、カナタの脳内を埋め尽くした。


 そこにあったのは――そこにいたのは、人だった。

 横向けに転がり、細い呼吸をしながら小刻みに体を震わせる、一人の人物。

 彼女の周囲には、夥しい量の血が流れており、それが致死量であるか、あるいはそれに限りなく近いものであることが目にも明らかだ。

 出血源になっているのは腹部――それも、限りなく急所に近い場所。そこに、先ほどの衝撃と爆風で折れたらしい、元はテーブルの脚だったものが、薄い体を刺し貫くように刺さっている。

 ぜごぜご、ひゅうひゅう、と異様な音を立てて呼吸する喉が、ひくりと震えて、口元から止めどなく血を溢れさせた。

 彼女は、カナタがすぐ近くにいることに気が付くと、ゆっくりと首だけを動かして、彼を見遣る。




「――カ、ナタ……さん……」




 少女――メリー・サンチェスは、自らの流した血に塗れながら、安心したように微笑んで、カナタを見上げていたのだった。

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