⑤
「……俺が……?」
目を白黒させるカナタに、神父は深く頷いた。
「どういう、ことですか。俺が強くなろうとしたことと、メリーが呼び方を変えてしまったことに――何の関係が、あるんですか」
何もかもを知っているのであろう神父に、思わず強い口調で問い詰める。
そんなカナタに、神父は、何故か寂しげに微笑む。そして、どこか遠くを見るようにしながら、再び口を開いた。
「きっかけになった出来事の詳細を、僕は今日まで知らなかったけれど。少なくとも、それがあった時期を境に、カナタが自分を変えようとしたのは、僕も気付いていた。気弱だった子どもが、底抜けに明るく、逞しく、強い少年として成長していって。泣き虫の面影が消えていくのには寂しいものがあったけれど、僕としては、素直に嬉しかったんだ」
――でもね。
「メリーは、僕以上に、寂しさ……ううん、少し違うかな。恐れと責任感を抱いていたんだと思う」
恐れ。
責任感。
想像もしていなかった言葉の並びに、カナタは思わず息を呑む。
「カナタは、例の出来事をきっかけにして『強くなりたい』と思って、自分を変えようとした。実際、カナタは変わったよ。本当に強くなった。それは本当に立派なことだと思うけれど――メリーはむしろ、あの出来事があったせいでカナタが無理をしているんじゃないかって、恐れるようになってしまったんだね」
「――っ無理なんて、俺はしていません」
「君の感覚としてはそうだろうね。でも、突然口調も性格も変わった君を見ている側としては、どこかで無理をしているんじゃないかと心配してしまう部分があったんだよ」
「……そんな……」
愕然としながらも、カナタは、心のどこかで納得してしまった。
実際、自分自信の変化していくさまは、冷静に考えればあまりにも急激なものだったと思っている。
弱々しい印象を与えないよう、一人称を『僕』から『俺』へ変えたこと。
心の内の恐怖や不安を押し殺すために、わざと声を張って話すようにしたこと。
無理矢理にでも、声を上げて笑うようにしたこと。
泣かなくなったこと。
それらの変化は、徐々にではなく、一年もかからない短期間のうちに起こった。そういう変化を起こせるよう、カナタは努力した。
それらの全てが、メリーのためにと思ってのことだった。
メリーを守る――そのためだけに強くなったのだと言ったって、過言ではない。
孤児院の弟妹たちや神父だって、カナタにとっては大切な存在だ。それでも、彼の中で、メリーはいっとう大切で、特別な存在なのだ。
だから、強くなった。強くなりたかった。
けれど、それが余計に、メリーを不安にさせる結果となってしまったのなら――
「……俺は、一体、何のために……」
呆然と呟くカナタ。
彼の肩に両手を置き、神父は静かに言った。
「君もメリーも、何も悪いことはしていない。互いに互いを思いやった結果として、そうなってしまっただけのことだよ」
「でも、俺はっ」
「カナタ」
今にも泣きそうになっていたカナタに、神父は少し厳しい声音で呼びかける。カナタは、それが、神父が自分を窘める時のものであることを十分に知っていた。
言いたいことも、涙も。ぐっと堪えて神父を見つめれば、彼は再び、柔らかい笑みを浮かべた。
「いいかい、カナタ。自分を責めてはいけないよ。君が自分を責めることは、結果として、メリーの変化も否定することになってしまうのだから」
「……っ」
「メリーはね、君に、必要以上に自分のことを背負わせたくなかったんだ。君が
神父は薄々感じていた。メリーはいつか、今のような性格になるだろうと。
カナタが語ってくれた事件や、彼自身の変化があろうとなかろうと、メリーは、不器用ながらも強くあろうとする、今のような人間に育ったと思う。ただ、メリーにしろ、カナタにしろ、そうなる時期が早すぎただけで。
「辛いかな」
「……はい。とても」
泣きたいのをこらえて、くしゃくしゃの顔になっているカナタを見て、神父は思わず小さく笑った。
安心していたのだ。
カナタの中に、まだ、ちゃんと
「君の決意や行動は、何一つ間違っていない。無駄になったこともないし、これからもきっと、無駄になる事なんてない。だから、もう、今以上に自分を責めないこと。いいね?」
「……はい……っ」
「うん、しっかり返事が出来たね。えらい、えらい」
ぽん、ぽん、と優しく頭を撫でれば、少年の瞳からは、堪えきれなかった涙がぽろぽろと零れ落ちる。
その様子に微笑みながら、神父はふと顔を上げた。
気が付けば、青と黒の静かな世界は、少しずつ優しい光で満たされ始めていた。
小鳥たちの囀りが、新しい一日の始まりを報せるかのように響き渡る。
「御覧、カナタ」
――夜明けだ。
神父の言葉に、カナタは、涙を拭いつつ顔を上げた。
水平線の向こうから、ゆっくりと陽が昇る。
眩しい光は、徐々に闇を照らし上げ、眼下に広がる白亜の街を輝かせる。
底の見えない黒洞洞とした闇を孕んでいた海は、碧く揺蕩い、全ての命の起源となった母の顔を取り戻していった。
「わあっ……!」
未だに潤む目を輝かせて、無邪気な歓声を上げるカナタ。
もうあと数時間もすればこの街を離れ、一人前の海兵を目指して旅立つことになる、大切な息子。
「……カナタ」
「何ですか?」
「いつでも帰ってくるんだよ。僕も、みんなも、待っているから」
寂しさを押し殺して、笑顔で告げる神父。
その表情に隠された感情に気付いて、カナタはまた泣きそうになってしまう。
「ありがとう、父さん」
それでも、嗚咽が漏れるのを堪えて、カナタは笑った。
涙に洗われたあとの彼の笑顔は、これ以上ないほどに清々しい。
彼と見た、この朝焼けの景色も。
父さん、と呼んでくれた、彼の笑顔も。
二人で過ごしたこの時間のことを、一生忘れまい――そう心に決めて、神父は深く頷いた。
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