「やけに遅かったな、メリー」


 私がカナタさんのもとに着くと、彼は炭酸水ソーダの入ったグラスを差し出してくれた。

 それを受け取って、軽くグラスを打ち鳴らしたあと、私はカナタさんの言葉に答える。


「ちょっと、旅人さんと話し込んでしまって」

「そうか。…………」


 私の言葉に、カナタさんは少しの間黙り込んで、一口炭酸水を飲む。

 しばらく、そのまま無言の時間が続いて、何となく気まずくなってきた頃。


「……彼と、何を話し込んでいたんだ?」


 ぽつりと、カナタさんがそう呟いた。

 何、って言われても……カナタさんのことが好きだとか、そんな話だったからなあ。

 カナタさんには、ちょっと話しにくいかも。


「他愛もないことですよ。カナタさんに話すようなことでもないです」


 そう言ってごまかせば、彼はむっとしたように頬をふくらませた。


「……俺には、言えないようなことなのか?」


 その表情は、子どもっぽく拗ねているようでもあって、本気で怒っているようでもあって。

 何というか――私が旅人さんと二人きりになっていたのを、あんまり快く思っていないみたいな。

 私の勘違いでないなら、今のカナタさんは、そんな感じの顔をしていた。


「あの、カナタさん」

「何だ?」

「もしかして――嫉妬、してます? 旅人さんに」


 冗談半分にそう聞いてみれば、カナタさんは、一瞬きょとんとして。


「なっ……そんっ……!」


 それから、慌てたように言葉にもならない言葉を発したかと思うと、私からふいと顔を背けてしまった。

 しばらくしてから、長い間をおいて、ぽつりと一言。


「…………悪いか」


 その横顔は、茹で上がったかのように、耳まで真っ赤になっていた。


 わあ、カナタさん、めちゃくちゃ照れてるじゃないですか。

 旅人さんに嫉妬しているカナタさんが、なんだか可愛くて、それ以上に嬉しくて。

 私はつい、彼をからかうように、こんなことを言ってみるのだった。


「旅人さんって、素敵ですよね」

「なっ……!?」


「大人の魅力っていうんですかね? ミステリアスな感じで、今まで会ったことのないタイプで、ちょっと見惚れちゃいます」

「む、むむ……」


 ちょっと悔しそうに、カナタさんが頬を膨らませる。

 ふふふ。妬いてる、妬いてる。

 可愛いなあ、カナタさん。

 でも、あんまりからかってあげるのも、ちょっと可哀想かなあ。

 そう思って、私は、カナタさんの誤解を解くべく、言った。


「あーあ、私もいつか、あんな感じの、大人な女性になりたいなあ」

「…………は?」


 ぽかん、という効果音がぴったりの表情で、カナタさんが声を上げる。

 ちょっと間抜けな顔で私を見る彼に、思わず笑ってしまった。


「あははっ。やっぱりカナタさん、旅人さんのこと、男の人だと思ってたんですね?」

「そ、そうだが? え、は? 彼、いや、彼女、女性だったのか?」

「厳密には、男の人か女の人かは分からないんですけどね。私は、女の人じゃないかなって思ってますよ」

「じゃあ、メリーは別に、あの人に惚れては……」

「いません。素敵な人だなあとはちょっとだけ思いましたけど、あくまで憧れの範疇です」

「……はぁああああ……」


 私の言葉に、盛大にため息をついてうずくまる、カナタさん。

 帽子を脱いで、頭をわっしわっしと豪快に掻いて、呻き声を上げて。

 何だか、ひどく苦しげにしているようにも見える。


「か、カナタさん? 大丈夫ですか?」


 ど、どうしよう。

 あんまり揶揄いすぎて、心が痛くなっちゃったのかな?

 ちょっと心配になってきたところで、カナタさんが、ぽつりと呟く。


「……よかった」


 よかった。

 その、たった一言に、私の心臓は、大きく音を立てて跳ね上がった。

 よかった、って。

 それは、私が、旅人さんに惚れているわけではなかったことに安心したってこと?

 もしもそうだったとしたら、どうして?

 私が旅人さんを恋うているわけじゃないことに、どうして、カナタさんが安心するの?

 ねえ、カナタさん。

 それって、私――


「(期待しても、いいんですか?)」


 そう言葉にする代わりに、私は、うずくまるカナタさんと視線を合わせた。


「カナタさん、ごめんなさい。ちょっとからかいすぎました」

「本当だ。心臓に悪いぞ」

「えへへ。カナタさんの勘違いが可愛くって、つい」


 すねたように言うカナタさんの頭をそっと撫でると、彼はほんのちょっとだけまた頬を赤くして、それから、


「まったく、困った妹だ」


 そんなことを、冗談めかして言う。

 妹――か。

 やっぱり、カナタさんにとって、私は、そうなんだ。

 さっきの『よかった』っていう言葉に期待しちゃったのが、なんだか馬鹿みたい。

 ちょっぴり苦笑する私の気も知らないで、カナタさんはゆっくりと立ち上がると、帽子を被り直した。

 そして、気を取り直したように、「そういえば」と私をまっすぐに見つめてくる。


「メリー、明日は暇か?」

「え? はい。学校もお休みですし、孤児院の子たちのお世話さえなければ……」


 明日、何かあったっけ。

 そう思いながら答えれば、カナタさんは嬉しそうに笑う。


「なら、一日一緒に出かけないか? 明日は休暇を貰っていてな、折角だから、お前と過ごしたいんだ」

「……えっ」


 私と?

 もしかして、二人で――ってこと?

 いや、でも、それはさすがに自惚れすぎじゃないかな。


「わ、私は、構いませんけど……あの、孤児院の他の子たちも、誘わなくていいんですか? それに、ユーノ君とカルロ君も」

「ああ、そうだな。孤児院のほうには、一度、無事に帰って来られたと挨拶に行きたいな。ユーノとカルロを誘っても楽しいだろう。だが――」


 一拍。


「俺が明日、一日一緒にいたいのは。……メリー、お前だ」


 そう言って私を見つめるカナタさんの目は、これ以上ないくらいに真剣なもので。

 思わず、また、胸が高鳴る。


 私と、一日一緒にいたいなんて。

 さっきは『妹』なんて言ったくせに、そんなの、駄目だ。

 そんなの、期待しちゃうじゃないか。

 的外れな期待をしちゃいけないと必死で言い聞かせて――それでもやっぱり、本心は、「嬉しい」っていう気持ちでいっぱいで。


「え、えっと」


 高鳴る胸を押さえながら、私は、カナタさんを見つめ返した。


「わ、私でよければ! お出かけさせてください。一緒に」


 私の言葉に、カナタさんは目を輝かせて、それから、おひさまのように眩しい笑みを浮かべた。


「決まりだな! それじゃあ、明日、あいさつがてら孤児院まで迎えに行くぞ」

「はい。待ってますね」


 そう言って笑い合う、私たち。

 その様子を、ユーノ君とカルロ君、そして旅人さんが、揃って眺めていたことを、私は知らない。



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