旅人と夜の喫茶店と生けるしかばね

「それじゃあ、お客様は旅人さんなんですね」

「ああ、そうだよ」

「北からいらっしゃったんですか? それとも、南から?」

「随分前から続けている旅だからね。どこから歩き始めたか、もう、忘れてしまったな」

「これまで、どんなところに行ったんですか?」

「色んな国や集落に行ったよ。森の中の小さな村を訪ねたこともあったし、雪原の真ん中にある村を訪ねたこともあった。それから――――」


 旅人が喫茶店に入って、小さな店主マスターと話を始めてから、小一時間が経っていた。

 キャロ、と名乗った、金髪碧眼の小さな店主は、客人がよそから来た旅人であるということを知るや否や、興味津々で、旅人が辿ってきた旅路の話をせがんだ。

 旅人は、嫌な顔一つせず、旅の中であったことを、かいつまんでキャロに話した。


 森の中の小さな村で、吸血鬼に間違えられて大騒ぎになった話だとか。

 雪原の真ん中にある集落で、オーロラという光のカーテンを見た話だとか。

 ドラゴンと人間が共存する国の話や、世界中に春の訪れを告げる妖精たちが住む森の話など、これまで訪れた様々な場所の話をした。

 それらの話は、あまり街から出たことのないキャロを大いに楽しませ、彼女の心をときめかせた。


「すごいです。素敵です。旅人さんは、色んなものを見て聞いて、感じながら、色んな場所をめぐっているんですね」

「ああ。けれど、楽しいことやいいことばかりじゃなかったよ」


 旅人はそう言って、旅の中で感じたつらいことも話して聞かせた。


「森の中の小さな村で、吸血鬼に間違えられたと言っただろう。あの時は、村中の人たちが私を吸血鬼だと思い込んでいて、一日目は誰も宿に泊めてくれなかった」

「そうだったんですか!」

「ああ。雪原の集落を目指した時は、なかなか目的地が見つからなくて、何時間も吹雪の中を彷徨ってね。全身が凍ってしまうかと思ったよ」

「それは、大変でしたね」


 ひとつひとつの話にしっかり頷き、聞き入るキャロ。

 そんな彼女に、旅人は、さらに、ひどい有様だった国や街のことも話して聞かせた。


「ある国は、ずっと戦争のさなかにあって、傷を負った人がたくさんいた。ある街は食べ物やお金が足りなくて、貧しさに苦しむ人たちでいっぱいだった」

「そんな……」

「そして、そういう国や街には、必ずと言っていいほど――たくさんの死者たちがいた」

「…………」


 ショックを受けたように、呆然とするキャロ。

 旅人はそれを見ると、申し訳なさそうな顔をして、コーヒーカップを置いた。


「すまないね。君のように素直な子に聞かせるのには、少し重たい話だったかな」

「い、いえ! そんなことは……」


 ない、とも言いきれず、キャロは押し黙る。

 そんなキャロを見て、旅人は小さく苦笑して、少しぎこちなくなった空気を元に戻すかのように言った。


「さて。今度は、キャロの話を聞かせてほしいな」

「私の話、ですか?」

「ああ。君は、ここの店主マスターなんだろう? この店のことや、君の家族の話に、私はとっても興味があるんだ」


 旅人がそう言うと、キャロは「そうですね……」と少し迷う素振りを見せた。

 カフェオレを一口飲んでから、彼女は店内をぐるりと見わたす。

 そして、懐かしい記憶に思いを馳せるようにして、


「……このお店は、元々、私が生まれた少しあとに、父が始めたお店なんです」

「ほほう」


 ぽつり、と呟いた少女のほうへ、旅人は軽く身を乗り出した。

「父はこの街の出身で、いつからか、この街で喫茶店を開くのが夢だったそうです。それで、母と結婚して、私が生まれたあと、店を開いたそうです」

「そうなんだね」


 旅人もまた、おかわりしたコーヒーをすすりながら、店内を見回して笑みを浮かべた。


「お父様とお母様は、どんな人だい?」

「父は、落ち着いた性格の人でした。あんまり表情は豊かじゃないんですが、優しくて、笑顔が素敵な人です」

「ふふっ。そうなのかい?」

「はい。思えば、旅人さんと、少し雰囲気が似ている気がします……親馬鹿なところを除けば、ですが」


 その言葉に、思わず旅人はコーヒーを吹き出しそうになる。

 が、どうにか堪えて、キャロの話の続きを聞いた。


「母は天真爛漫で、奔放で、少し天然なところがある人なんです。だから、父と一緒になると、いいバランスだったのかもしれないです」

「そうなのか。是非とも、家族揃ってお会いしたいところだ」


 旅人は、そう言ってコーヒーを飲み干す。

 その真ん前で、キャロは一瞬、ほんの一瞬だけ、身を固くしたように見えた。

 言ってはいけないことでも、言ってしまっただろうか。

 そう思いながら、コーヒーやケーキの代金をキャロの前にぽんと置いて、旅人は言った。


「……ごちそうさま。そろそろお暇するよ」

「は、はい。おそまつさまでした」


 代金を慌ててテーブルから取り、キャロはたずねる。


「これから、どちらへ?」

「宿探しだよ。今日の寝床を何とかしないといけないからね」


 そう言うと、旅人は、椅子に掛けておいたコートを羽織り、テーブルの近くに置いていた棺を背負って、店を出て行こうとする。


「キャロ。おいしいコーヒーをありがとう」


 それじゃあ、と言って、旅人が店のドアを開きかけたときだった。


「あ、あの!」


 キャロは、とっさに声を上げて、旅人を引き留めた。


「どうかしたか?」


 旅人が訊ねれば、キャロは大急ぎで提案する。


「あ、あの、もし宿がまだお決まりでないのでしたら……うちに泊まっていきませんか?」

「ここに?」

「は、はい。裏の、私の家のほうになるんですけど、ちょうど今、空いている部屋があるので。母もきっと、旅人さんのお話を聞きたいと思うでしょうし、私も、もっと旅人さんとお話がしたいですし、それに」

「…………」

「それに……えっと……」


 キャロは、そこで少し言葉に詰まって、言いよどんだ。

 心なしか、彼女は、旅人が背負っている棺を、ちらちらと気にしているようだった。

 旅人は、しばらくその様子を見ていたが、やがてキャロのほうに歩み寄る。

 そして、しゃがみこんで、目線をキャロのそれの高さに合わせると、


「そこまで言うなら、お邪魔させてもらおうかな」

「え……いいんですか?」

「いいもなにも、私は泊めてもらう立場だからね。むしろ、宿を貸してくれるなら、ありがたいくらいだ」


 そうと決まれば、まずはお母さまに挨拶をさせてくれないか?

 旅人の言葉に、キャロは頬をばら色に染めて、嬉しそうに頷いた。

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