第35話 彼女の正体

 いったいこの女性は何者なのだろう。記憶を探るが、相変わらず思い当たるような人物は誰もいない。

 そうしている間に、その女性は連れてきた男に突き飛ばされ、部屋の中へと倒れ込む。


「ああっ!」

「大丈夫ですか? ちょっと、何をするの!」


 咄嗟に駆け寄り、突き飛ばした男を睨み付ける。しかし相手は気にする様子もなく、クリス達を見下すような笑いすら浮かべている。

 特にロイドに至っては、いっそうそれが顕著だ。


「身の程を弁えろと言ったはずだが、もう忘れたか? お前達を生かすも殺すも、私の一存で決まるというのを忘れるな。あとはヒューゴがどう出るかでも変わるが、そもそも奴が死んでいたらお前達に用はない。そんなことにならないよう、せいぜい無事を祈っているんだな」


 嫌みたらしくそう言うと、いい加減満足したのだろう。話は終わったと言わんばかりに、仲間を連れて立ち去っていく。

 その背中に向かって罵声の一つでも浴びせてやりたかったが、そんなことをしても何も変わらない。


 それよりも、今は別にやるべきことがある。


「あの、大丈夫ですか?」

「え、ええ……」


 倒れたままの女性に寄り添い、声をかける。すると女性もようやく俯いていた頭を上げ、初めて顔をまともに見ることができた。


 綺麗な人だった。整った目鼻立ちに、透き通るような白い肌は、同性が見てもつい目で追ってしまう。着ている服は一般的な庶民の着る飾り気のないものだが、それでも彼女の魅力が損なわれているとは思えない。


 だがその表情は憔悴しきっていて、美しさ以上に脆さや危うさといった印象の方が強かった。

 無理もない。あんな連中に拐われ、こんなところに閉じ込められたんだ。これで平気でいられたら、そっちの方がおかしい。


 問題なのは、この人がどこの誰で、どうしてわざわざ拐ってくる必要があったのかだ。


「あの、あなたはいったい誰ですか? どうしてこんなところに連れてこられたか、心当たりはありますか?」


 余計な刺激を与えないよう、できるだけ柔らかい口調で問いかける。

 少し時間を置いて、小さく答えが返ってきた。


「……名前はミラベル。どうしてこうなったかなんて知らないわ。いきなり拐われて、ここに連れてこられた。それだけよ」


 それだけ言うと、それ以上は話したくないのか、貝のように口を閉じる。

 とりあえず彼女の名前はわかったが、相変わらず思い当たるような人物は浮かんでこない。


 ならばとドアの方へと駆け寄り、格子窓から外を見る。さっきまでいた男達のほとんどはロイドと一緒に去っていったが、唯一最初にやって来た奴だけは、見張りのために残っていた。


「ねえ。あの人、何のためにここに連れてきたの?」

「さあな。詳しいことは、他の奴らもほとんど知らされていないみたいだぞ」

「じゃあ、どこから連れてきたの?」

「うるせーな。拐ったのは俺じゃねーから、カーバニアのどこかってことしか知らねえよ。それより、あまりうるさくするんじゃねえ!」


 質問が煩わしくなったのか、声を荒げて怒鳴る。これ以上聞いても、答えは得られそうになかった。


 ならば今まで聞いてきた話の中から、手がかりになるようなものがないかと記憶を探る。

 ミラベルが連れてこられた時、ロイドはこう言っていた。ヒューゴに対する交渉材料になるかもしれないと。


 自分は、ヒューゴの恋人ということで、今ここに閉じ込められている。ならば彼女もまた、ヒューゴと深い繋がりがあるのだろうか?


 再びミラベルの側へと寄り添い、聞いてみる。


「あなたは、ヒューゴ=アスターという人を知っていますか? ナナレンの警備隊で、総隊長をやっている方です」

「さあ、知らないわ」

「本当に覚えはありませんか? あなたがどうしてここに連れてこられたか、その手がかりになるかもしれないんです」

「知らないものは知らないわ。それに理由なんてわかっても、出られなきゃ何にもならないじゃない!」


 けんもほろろといったようにつっぱねられ、またしても手がかりになりそうなものは得られない。だがクリスは、その態度にどこか違和感を覚えた。


 例えは悪いが、警備隊の任務中、不審者の取り調べをしたことが何度かある。

 やましいことをしていた者、全くの空振りだった者、結果は様々だったが、何かしら隠し事をしている相手には、なんとなくの共通点があった。

 無意識のうちに体が強ばる。不自然に目を反らす。そういった隠し事のある者の特徴を、目の前の彼女はもっていた。


 この人は、ヒューゴのことを知っている。知っていて、なのに知らないと言い張っている。

 もう一度、問い質してみるべきだろうか。だが今の様子を見る限り、下手に聞いてもまた同じことになりそうだ。

 だから、少しだけ話を変える。


「ヒューゴって人は、その……私の、恋人なんです」


 もちろんこれは嘘。嘘ではあるが、ロイド達もそうだと思い込んでいるし、どのみちここではその設定で通すしかないだろう。

 ヒューゴの恋人になったつもりで、彼のことを話す。


「真面目で真っ直ぐで、部下のことをしっかり考えてくれる人です」


 恋人というのは嘘だが、この言葉そのものに嘘はない。

 時に上司と部下という立場を越え、信頼してくれる。任務を終えた時には、その苦労を手厚く労ってくれる。そんな彼の人柄に惹かれる隊員も少なくない。


「私が落ち込んでる時は、なんとかして元気づけようとしてくれました」


 カーバニアの街に、憂さ晴らしと言って遊びに出たことを思い出す。迷惑をかけた詫びだと言っていたが、不器用ながらも何かしようとしてくれるのは嬉しかった。


「ちょっぴり偏屈で、たまに横暴っぽいことも言います。だけど誰かを思って、気遣って、そういうヒューゴ様が、私は大好きです」


 言ってて、だんだんと顔が熱くなっていくのがわかる。そもそも本当はここまで言うつもりではなかったのだが、ヒューゴのことを話しているうちに、自然と止まらなくなっていた。


(いくらなんでも言いすぎた? いや、恋人だってことを伝えるには、この方がいい? でも、今言ったことは多少脚色はしてるけど私の本心だから……って、そうじゃない!)


 なんだか不思議な照れと緊張が沸いてくるが、本来の目的を忘れてはいけない。今の話を聞いて、ミラベルはいったいどんな反応を見せるだろう。


 残念ながら、彼女は何も言ってこない。だがその反応は、先ほどにも増して顕著だった。体を震わせ、明らかに動揺しているのがわかる。


 そこでクリスは、再び訪ねてみる。

 実は、彼女の正体について、ひとつだけ心当たりがあった。

 その心当たりが正しいかどうか、直接彼女に問い質す。


「あなたは、ヒューゴ様のお母さんですか?」


 こちらを見るミラベルの瞳が、一際大きく揺れたような気がした。

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