第31話 襲撃

「お前達、何が目的だ。俺をナナレン警備隊総隊長、ヒューゴ=アスターと知ってのことか!」


 この状況でも、ヒューゴは臆することなく、賊に向かって問いかける。だがそれに答える者は一人もいない。ただ持っている獲物を構え直し、ヒューゴを睨み付けている。


「クリス。お前は下がっていろ。いざとなれば、すぐに逃げられるようにするんだ」

「そんな。私も元警備隊員ですよ。戦力に入れてください」

「そうじゃない。お前は御者を守るんだ。本当ならそれも俺がやるべきことだが、そんな余裕があるかもわからん」


 さっきまで馬を引いていた御者は、この異様な光景に恐れをなしたのだろう。全身がガタガタと震えて、恐怖からまともに体が動かなくなっている。


「わかりました──こっちに来て!」

「は、はい!」


 クリスが御者の体を引き寄せ、それと入れ替わるように、ヒューゴが前に立つ。


 すると、ちょうどそのタイミングで、賊がそれぞれ得物を振るい、ヒューゴに向かって襲いかかってきた。


 ヒューゴも腰に刺していた剣を抜き、それに応戦する。

 キィンとかん高い音が響き、いよいよ戦いが始まった。


 幸い、今のところ賊はヒューゴ一人を狙っているようで、後ろにいるクリスや御者に向かって来るものは誰もいない。しかしだからといって安心かというと、決してそんなことはない。もしもヒューゴがやられたら、次に狙われるのは自分達だ。

 そして戦いは、どう見てもヒューゴが劣勢だった。


 多数の敵と戦うこと自体は、さっきもカーバニアでやっている。だが今は、その時とは状況がまるで違う。


 まずクリスは御者を守らなければならず、とてもヒューゴの応援にまではまわれない。

 ひとまず御者を馬車の中に入れようかとも思ったが、それだといざという時、咄嗟に逃げることができない。馬車の外で、クリスが側につきながら守るしかないのだ。


 そしてもう一つの違いは、戦う相手だ。


 見ると、ヒューゴが数人の賊相手に剣を振るっているが、未だ一人も仕留めきれないでいる。

 これは何も、賊の一人一人が特別強いというわけではない。だが誰かが危なくなると、すぐに別の者が割って入り、致命的な一撃を受けるのを避けている。

 カーバニアで戦ったごろつき達とは違い、明らかに動きに統制がとれていた。

 こういう奴らは、中途半端に一人二人が強いよりも遥かに厄介だ。


 さらに、厄介なことはまだあった。


「危ない!」


 クリスが声をあげるのとほぼ同時に、ヒューゴはサッと身を翻す。すると、彼がさっきまで立っていた所に、飛んできた矢が突き刺さる。賊の中には、弓矢を使う者もいたのだ。


 だが弓使いは茂みにでも隠れているのか、その姿をすぐには見つけることはできない。このままだと、いつどこから来るかもわからない弓矢の攻撃に注意しながら戦うことになってしまう。


 御者を守りながら、統制がとれ、飛び道具まで持ったやつらを相手にする。もはや大変を通り越し、無茶と言った方が近いかもしれない。


 そもそもこいつらは何者で、いったい何が目的なか。行きずりの物取りにしては、明らかに練度も戦力も過剰だ。

 わからないことへの不安が、焦りが、胸の奥から沸き上がってくる。


 しかし、だからといって挫けるわけにはいかない。何しろ命がかかっているのだ。


 そうこうしているうちに、賊の一人がこちらに向かってやって来る。なかなか倒しきれないヒューゴに変わって、クリス達を新たな標的にしたようだ。


「馬車を背にして、絶対に私から離れないでくださいね!」


 御者向かってそう言うと、何度もカクカクと頭を下げ、頷く。

 馬車が背中にある限り、後ろからの不意打ちは避けることができる。目の前の敵に集中することができる。


 やって来た賊は、男一人。当然、ヒューゴを相手にやっているような、仲間との連結など皆無だ。


 震えている御者と、見た目は上流階級のお嬢さんというようなクリスの格好から、用心する必要もないと判断したのだろう。

 剣を握ってはいるが、すぐに斬りかかってくるようなことはせず、見せつけるようにちらつかせている。

 だがそれは、クリスにとっては大きなチャンスだった。


「お嬢ちゃん、大人しくしといた方が身のためだぜ。でないとその顔に────がぁっ!」


 男が喋れたのはそこまでだ。完全に油断しきっているところに一気に距離を詰め、腹と顔に拳を叩き込んだ。

 さらに、崩れ落ちたところへ膝蹴りを一発。油断しきっていた代償は、あまりにも大きかった。


「まずは一人目」


 難なく倒せたのは幸運だった。だがそれもこれっきりだろう。

 今のクリスの動きを見て、周りの賊の表情が明らかに変わっていた。ただの娘ではないとわかったのだろう。これでもう、油断は期待できそうにない。


 倒した相手が動けないのを確認すると、その手から剣を奪い取る。クリスは素手での戦いの方が得意ではあるが、武器があれば、それだけで戦いの幅が広がる。


「えぇぇぇい!」


 他の賊が数人近寄ってきたところで、声を張り上げながら、大きく剣を振るう。

 相手はすぐさま身を引いてかわすが、それでいい。

 クリスの目的は、敵を倒すことではなく、我が身と御者を守ること。そのためには、例え当たらなくても、剣を振り回すことに意味はある。


 賊だって、命が惜しいのは同じだ。迂闊に近寄ると、やられるかもしれない。そう思わせることで警戒心が増し、慎重になってくれたら、それだけこちらに対して攻撃しにくくなる。

 そしてより強い警戒心を持たせるには、素手より殺傷能力の高い剣の方が都合がよかった。


 とはいえ、防戦一方なのは変わらない。このままでは、いつかは限界がくる。

 今はまだ無傷でいるが、剣と剣を打ち合う度、顔の数センチ先を刃がかすめる度、体力も精神力も確実に削られていく。


 ヒューゴはどうだろう。見ると、できるだけ多くの敵を引き付けようとしているのか、派手に動きながら、同時に何人もを相手にしている。

 そして、彼の振るった剣が、賊の一人を切りつける。


「ぐぁっ!」


 血が飛び散り、悲鳴が上がる。

 仲間の一人がやれたことで、他の賊にも動揺が走ったようだ。その時できた隙を、ヒューゴは見逃さなかった。


 周りを囲む賊の間をすり抜け、そのまま一気にクリス達のところへと詰め寄ってくる。


「クリス。無事か?」

「なんとか。でもこのままだと、いつかはやられます」

「だろうな。どう考えても、俺達だけで勝てる相手じゃない」


 隣で御者が、それを聞いて「ひいっ!」と短い悲鳴をあげた。

 だがヒューゴも、わざわざ怖がらせるためにやって来たわけじゃない。


「さっきやったみたいに、俺が先行して突っ込んで、あいつらの囲いに穴を開ける。その隙に、お前達は逃げるんだ」

「に、逃げるって、どこまでですか? 馬も使えないのに」


 御者が泣きそうな顔で訪ねる。馬車を引いていた馬は、早々に賊によって取り押さえられ、無理に取り返そうとしても返り討ちにあうのは目に見えている。


 そうなると自分の足で走るしかないが、なにしろここは山の中。安全な場所につくまで、どれだけかかるかわからない。


「ここから離れたら、道から外れて藪の中に入ってやりすごせ。お前達の命が目的でもない限り、それでなんとかなるだろう」


 確かにこの暗さでは、一度見失うとそう簡単には見つかりそうにない。

 だがその作戦には、ひとつどうしても気になることがあった。


「総隊長はどうするんですか?」


 二人を逃がすためには、ヒューゴができるだけ多くの敵を引き付けておく必要がある。それが如何に危険なことかは、わざわざ考えるまでもない。例えクリス達が逃げ切れたとしても、それからはヒューゴ一人で、賊を相手にしなければならなくなる。


「心配するな。お前達が逃げるのを見届けたら、俺も適当なところで逃げ出すさ」


 そうは言っても、そこから逃げきるとなると、クリス達よりも数段難しくなるだろう。できることなら、そんな危険な手段など、とってほしくはない。


 しかしそうとわかっていても、クリスにそれを止めることはできなかった。


 警備隊に所属している以上、命をかけてでも市民を守る義務がある。これは、ヒューゴが隊員達に何度も言ってきた言葉。そして命懸けというのは、ヒューゴ自身にも当てはまる。

 恐らく何を言っても、その意思を曲げることはできないだろう。ならクリスにできるのは、彼の決意を無駄にしないことだ。


「わかりました。私達は、一足先に逃げさせてもらいます」


 ヒューゴを置いていくことに躊躇いがないわけじゃない。だが彼の意思を変えることができないのなら、言われた通り全力で逃げよう。


「クリス。もう警備隊員でもないお前にこれを頼むのが、筋違いというのはわかってる。それでも、しっかり守ってやってくれないか」


 そう言って、御者の方を見る。彼の存在も、クリスに逃げるという選択を取らせた理由の一つだった。

 逃げるのが自分一人だというのなら、ヒューゴと共に残って戦う道を選んだかもしれない。だが彼の命もかかっている以上、そんなことができるはずもなかった。

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