第25話 ヒューゴの抱えていたもの

 対峙するヒューゴに、緊張の色が見える。全てを話すと決めはしたが、やはりそれを告げるのは、彼にとって相応の覚悟がいるのだろう。

 それでも、一度軽く息を吐いた後、静かに語り始める。


「そもそもこれは、ある程度俺の近くにいるやつなら、大抵が知ってることだ。ただ、知っていながら誰も触れようとはしない。それは俺自身も同じだ。お前に渡した資料でも、これについては何も書かなかった。俺が、アスター家に金で売られたという事実はな」


 売られた。その不穏な言葉に、思わず眉を潜める。

 そう言えば、さっきロイドも同じようなことを言っていた。


「それってまさか、人身売買ってことですか?」

「いや、売られたと言っても、そういうわけじゃない。そうだな、まず最初に、俺の父親にあたる人の話でもするか。その人は、さっきお前も会った祖父殿の一人息子だった」


 ランス=アスター辺境伯の一子。その立場から、当然将来はその後を継いで当主になることものと目され、本人もそのつもりでいた。

 いや。何事もなければ、今ごろ彼が当主の座に収まっていただろう。

 しかし、そうはならなかった。


 今から二十年近く前。彼とその妻の乗る馬車が不運にも事故に遭い、崖から落ちた。すぐさま捜索が行われたものの、見つかった時には、既に二人とも事切れていた後だったという。

 アスター家よ跡取りとなるはずだった人物の、あまりに呆気ない最後だった。


「それからしばらくの間、この家はかなり荒れていたと聞く。当然だな。次期当主となるべき者が死んだのだから、新たな後継者を決めなくてはならない。だが亡くなった二人の間には子どもはおらず、当主直系の血筋は絶えた。そうなると、誰が後継者にふさわしいか。自分から名乗りをあげた者。近しい誰かに祭り上げられた者。何人もの候補が出てはきたが、どれも決め手に欠けていたそうだ」


 自分の家の話だというのに、ヒューゴはまるで他人事のように言う。

 だが今の話を聞いて、クリスはおかしなところに気づいた。


「ちょっと待ってください。亡くなった二人の間に子どもがいなかったって、それじゃヒューゴ総隊長は、いったいどこから出てきたんですか?」


 子どもができる前に死んでしまっては、ヒューゴが存在しないことになってしまう。


「別に嘘はついていないさ。確かに俺の父親とその妻との間に、子どもはいなかった。だが、別のところにはいたんだよ」

「別のところって。それって……」


 妻以外のところにいる子供。それが何を意味するのか、さすがにクリスもわかった。


「ああ、愛人だ。俺は、アスター家の人間である父親と、その愛人である母親との間に生まれた子なんだよ」


 そこまで話して、ヒューゴは自虐的に笑う。


 この時点で、なにも知らないクリスにとってはなかなかの衝撃だった。

 クリスとて何も知らない子供ではないのだし、愛人だの、その間に生まれた隠し子だのという話を聞くのも、これが初めてではない。

 だが身近な人からこんな風に言われると、どう反応していいかわからなくない。


 だが、ヒューゴの話はまだ続く。


「愛人であった俺の母は、下町に住むただの平民だったよ。どうしてそんなのが貴族である父と知り合い、愛人にまでなったのかは俺も知らない。だが当時まだ子どもだった俺は、さらにものを知らなかった。なにしろ、自分の父親の名前も、母親や俺自身がどんなに貧しい生活をしていたのかも、まるでわかっていなかったのだからな」


 はじめは静かに語っていたはずなのに、いつの間にか、その口調がだんだんと荒々しいものへと変わっていく。それだけ、ヒューゴも平常心でいられないのだろう。


「父親が生きていたころ、母は定期的に金を渡されていて、一切の苦労はなかったらしい。だが当然亡くなってからは、貰えるはずもない。元々、女で一つで子どもを育てるとなると、相当な負担だ。貯めていた金も尽きて、だんだんと生活も厳しくなっていったんだろう。ある日、俺は母に手を引かれ、このアスター家に連れて来られたんだ。そして、俺はその場で売られた」

「…………えっ?」


 ようやく出てきた、売られたという言葉。だがあまりにも唐突すぎて、すぐには理解が追い付かない。


「売られたって、どういうことですか?」

「そのままの意味だ。さっきも言った通り、当時この家は、当主を継ぐはずだった人間が亡くなり、後継者問題に揺れていた。母もどこかでそれを聞いて思ったのだろう。そこに、隠し子とはいえその血を引く子供を持っていけば、金になると考えたわけだ」

「それって……」


 ぞわりと、全身が震える。今の話を聞いて想像したことが、的外れであってほしいと願う。

 しかし、それは叶わなかった。


「金を払えば、当主直系の血筋である俺をこの家にやる。そう言って母親は、見事大金を手にすることができたよ」

「そんな!」


 信じたくはなかった。もちろん世の中には情の薄い親子だっているし、家族より金の方が大事という人間だっているだろう。そのくらいのことはわかってる。

 だが、それを受け入れられるかは全くの別問題だ。


「それって、お母さんは本当にお金のためにやったんですか? この家にいる方が、隊長のためになるからと思ったんじゃないんですか?」

「さあな。母親が何を思っていたかなんて俺にはわからん。だが、俺の目の前で言っていたよ。父親と関係を持ったのは、そうすれば金に苦労することもなかったからだ。それがなくなった今、わざわざ俺を育てる理由もないってな。それ以来、母とは一度だって会っていない」


 瓶に残っていたワインを乱暴にグラスに注ぎ込むと、それを一気に飲み干す。

 さすがに酔いが回ったのか、フラリと大きく頭を揺らし、そのまま項垂れる。


「俺が女が苦手になったのも、多分母親とのことが原因だろうな。好きでもない男と関係を持ち、愛せもしない子供を産める。それが、どうにも受け入れられなかった」


 図らずも、ずっと気になっていた疑問の答えを得ることができた。

 もちろん全ての女性がそうだというわけではないし、ヒューゴもそれはわかっているはずだ。だが一度拗れてしまった感情を、そう簡単に直せるとは思えなかった。


「酒に頼ったのは失敗だったかもな。女が苦手な原因までは、話すつもりはなかったはずなんだかな」


 そこまで言ったところで、ヒューゴは少しの間、口を紡ぐ。

 クリスもまた、何も言わなかった。いや、言えなかった。こんな話を聞いて、どんな言葉をかけたらいいのか、全くわからなかった。


「長々とつまらん話を聞かせてしまったな。さっきも言ったが、お前にこれを話したのは、俺の自己満足だ。すぐに忘れてくれてかまわん。だから、その……お前が泣く必要はない」

「えっ……?」


 言われて、自らの視界が歪んでいることに気づく。いつの間にか、目には涙が浮かんでいた。


「──っ!」


 その涙を、慌てて拭う。全て拭い終わってから、叫ぶように言う。


「泣きません! 泣いたら、隊長が困るじゃないですか!」

「お前……」


 ヒューゴが最も苦手なのは、泣いている女の姿だ。ただでさえ辛い時に、それを見せて困らせたくはなかった。何の言葉もかけてやれない自分にできることといったら、それくらいだ。


 そんなクリスを見て、ヒューゴは静かに言う。


「なあ。酒に酔ったついでに、もうひとつ、話をしてもいいか?」

「もちろんです。最後まで付き合うって、言ったじゃないですか」


 ここから、何を続けて話そうとしているのかはわからない。

 だがヒューゴがそれを望んでいるなら、全て聞き届けたいと思った。


「俺は後継者としてこの家に売られたが、話はそう簡単じゃなかったんだ。当主としてふさわしい人間になるためだと言われ、学問だの武術だの、さんざん叩き込まれはした。だがそれでも、愛人の子に、しかも平民の子との間に生まれた子に、アスター家を継がせてもいいのか、親戚連中は大いに揉めたよ。おかげで、俺も候補の一人とはいえ、今でも次の当主は決まっていない。ロイドの奴が俺を気に入らないのは、そのためだ」


 さっきまでヒューゴが話していたことは、もしかしたら、あの場でロイドの口から聞いていたかもしれない。

 そうしたらヒューゴが傷つくとわかっていたからこそ、わざわざ言ってきたのだ。


 今の話を聞いた後だと、胸の奥からさらに怒りがこみ上げてくる。


「ああいう嫌がらせがあったのも、一度や二度じゃない。いらん恥をかかされたこともあれば、逆にやり込めたこともあった。だがな──」


 不意に、ヒューゴの言葉が途切れる。これまでにも、話の途中で沈黙が続くことは何度かあったが、今までで一番長いような気がした。


 それほどまでに、言いにくいことなのだろうか。もしそうならば、無理をしてまで言わなくてもいいのではないか。

 そう口にしようとしたその時だった。


「誰かが俺のために、あんなにも声をあげ怒ってくれたのは初めてだったよ。だから、その……ありがとな」

「えっ?」


 出てきた言葉は、あまりに予想外のものだった。予想外すぎて、何を言っているのかすぐには理解できなかった。


「えっと、どういうことです?」

「どうって、礼を言ってるんだよ。今のを聞けばわかるだろ!」

「す、すみません」

「くそっ。やっぱり言うんじゃなかった」


 怒鳴ってそっぽを向くヒューゴだが、その頬は、先ほどまでと比べても、より一層赤くなっていた。

 その原因が、酔いのせいか、怒ったからか、はたまた別の何かかはわからない。


 だがそれから、クリスに聞こえないくらいの小さな声で、そっと呟く。


「お前がそういうやつだから、俺のことも全部話せる。そう思えたんだよ」

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